■ジャン・カルヴァンのジュネーブ統治に関する三つの記録
- 「ジュネーブの人口は16000人でしたが、5年間で、57人が処刑され、76人が追放された。
これらの刑はすべて、カルヴァンが下した裁可であった」
(Samuel Fisk,"Calvinistic Paths Retraced",1985,p.115)
- 「…カルヴァンはそれを用いて、いっそう厳しい刑罰を課した。
そういうものは、厳しすぎる刑罰であるとわかった。
1546年までに58人が処刑され、76人が追放された」
(Earie E. Cairns,"Christianity Through The Centuries: A History of the Christian Church",1981,p.311)
- 「1541年から1559年までの議会の公式記録は、弾劾、罰金、収監、および処刑という、暗い一つの章を明記している。
疫病が猛威を振るったこの時期、1545年、20人以上の男女が、魔術をしたという理由で、また、恐ろしい病気を広める悪しき陰謀のかどで、生きたまま焼かれた。
1542年から1546年まで、58件の死刑判決と、76件の追放命令が下された。
1558年と1559年、あらゆる種類の違反に対するさまざまな刑罰の事例が、414件に達した。
二万人の人口には、これは非常に大きな割合である。
カルヴァンの敵対者たちであるボルセク、アウディン、ガリフは…この宗教改革者(カルヴァン)を無情で残酷な暴君(専制君主)として非難している」
(Philip Schaff,"History of the Christian Church",Vol.VIII,reprinted 1995,pp.492,493)
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