UBS版聖書本文の検証
マタイ19・17

改ざんと削除により食い違いが生じている事例

ウィルバー・N・ピッカリング博士

新約聖書本文TRの訳例
《ギリシャ語》
「ティ・メ・レゲイス・アガソン…セオス…」(なぜ私を善い者と言うのですか?…神…)

《訳例》
なぜ私を善い者と言うのですか?
 おひとり以外に、善い者は一人もいません
TR 新約聖書

「何故に汝は我を善といふや。
 善は一、即ちの外にあるなし」新契約聖書

「Why callest thou me good?
 there is none good but one, that is, GodKJ

UBS版ギリシャ語本文ほか、 ごく少数の写本の読み方と訳例
《ギリシャ語》
「ティ・メ・エロータス・ペリ・トゥ・アガスウ…」(なぜ善いことについて私に尋ねるのか?…)(セオス[神]を含むものもある)

《訳例》
「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。
 よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、…」
語句が変えられており、「」が存在しない

「Why are you asking Me about what is good ?
 There is only One who is good ; but if you wish to enter into life,…」(NAS/NIVも同様。
語句が変えられており、「」が存在しない
問題点
 UBS版の本文のマタイ19・17は、UBS版の本文のマルコ10・18およびルカ18・19(これらの箇所では多数派本文と同じ)と食い違っています。  
コメント
 この異なる読み方がラテン語聖書にあることから、その読み方は二世紀に存在していたにちがいありません。
 ただし、「ディアテッサロン」(「四福音書の調和」と呼ばれるもの。153年〜172年頃アッシリアのタティアヌスが作成)には、多数派本文(TR)の読み方が記されています。
 二世紀は、エジプトの教会はグノーシス派(異端)に支配されていました。
 そのようなグノーシス派的な異文が生じたことは決して驚くべき事ではありませんが、なぜ現代の聖書編集者たちはそれを受け入れるのでしょうか?
 なぜなら、それが、「より不明瞭なもの(曖昧なもの)』(メッツガー著 p.49)だからです。
 このUBS版の本文(第三版)は、バチカン写本を「修正したもの」とぴったり同じです。
 しかも、この取捨選択的本文を支持しているものとされている大文字写本(シナイ写本・バチカン写本など)のうち、その中のどの二つの写本でも、正確に一致しているものはありません!



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