聖書の歴史 D-7 聖書の歴史 目次 

50冊の聖書とコンスタンティヌス帝 》

フロイド・N・ジョーンズ博士

● 太陽神の崇拝者 コンスタンティヌス(288年〜337年)
 聖書本文の歴史で二番目に重要な出来事が始まったのは、コンスタンティヌス注1)がローマ皇帝になった時でした。
 彼はキリスト教を容認すると公言しましたが、彼が回心したことがあったかどうかは、きわめて疑わしいことです。
 彼の「回心」に関わる諸事実は、教会における『十字像』への崇拝を永続させるために、ゆがめられてきたのです。
 当時、コンスタンティヌスは階級間にあった分裂のただ中にいて、大きな戦いに進んで行こうとしているところでした。
 彼の軍隊には多くのクリスチャンたちがいましたが、クリスチャンでない人々がそれ以上に多くいました。
 『ミルビアン橋での戦い』の前日、コンスタンティヌスが太陽神に向かって祈りをささげると、そこに一つの『十字』が現れ、「このしるしによって、打ち勝て」という刻印があった、と言われています。
 このことをよく調べると、コンスタンティヌスが見たとされるその『十字』は、大文字の「T」という字の上に、小さなが付いているものに似ていたことがわかります。
 エジプトでは、それは『アンク十字』古代エジプトの十字架)として知られていました。
 そのようなものは、決してクリスチャンのシンボルではありませんでした。
 それは常に、バビロンのカルトの宗教的シンボルとなってきたものです。
 コンスタンティヌスが彼の軍隊の者たちに、自分は「十字」のしるしを見たと話した時、クリスチャンたちは、彼があの「クリスチャン」の「十字架」のことを話しているのだと考えました。
 異教徒たちは、それが異教のシンボルであることに気付きました。それが彼らを戦いのために団結させたのです。
 実際、この幻を正当なものとする理由は、ほとんど存在しません。特に、それには現実の歴史的根拠が全くないからです。
 この話が歴史家たちから収集されてきた中で、唯一の権威者は、エウセビウスです。彼は「歴史の偽造者」として非難された人です。
 別の記述(コンスタンティヌスの息子クリスプスの家庭教師であるラクタンティウスによるものと考えられる)では、あるのことしか述べられていせん。
 そのの中で、この皇帝は、「彼の兵士たちの『神の天からのしるし』として踏みつけ、そうして戦闘に出て行け」と命じられました。
 主が異教徒の皇帝に対し、十字の紋章の付いた軍旗を作れと命じること、しかも、そのしるしの下で戦いに出て行って人々を殺すよう命じるとは、聖書全体の教えとも、真のキリスト教精神とも、全く矛盾しています。
 コンスタンティヌスは、イエス様が神としての御性質を持っておられることを全く信じていませんでした。
 皇帝であった彼は、自分を「キリスト教徒」であると公言していた時期、ローマの神秘カルトの高位の祭司でした。注2
 彼が回心したとされていた時の後も、彼は幾度も殺人を犯しました。
 彼は、彼の妻と息子をも殺したのです!注3

50冊の聖書に関わる人々
オリゲネス
  • 広範囲に旅をし、どこでもギリシャ語の新約聖書を見つけると、それを自分の教理にぴったり合うように改ざんした。
  • 新プラトン主義の創始者から教えを受けた。
  • イエスは一人の被造物にすぎないと信じた。
  • 前世からの生まれ変わり』を信じた。
  • 「洗礼による生まれ変わり」(人は水のバプテスマによって救われるという信念)を信じた。
  • 「人は罪のない者となるために、煉獄(れんごく)に行かなければならない」と信じた。
エウセビウス
  • アリウス派
  • アリウスの友人
  • イエスは肉において来られた神ではない
    と信じていた
  • オリゲネスこそ最も偉大な人物」と考えた
ローマ皇帝コンスタンティヌス
  • ローマの神秘カルトの高位の祭司
  • 妻と息子をも殺害
  • 太陽崇拝者たちの高位の祭司
  • 貨幣にアポロ(ニムロデ)像刻印
  • 異教の魔法を信奉
  • 追放されたアリウス復帰を許可
コンスタンティヌス二世
 彼が任命した主教たち
  • アリウス派


● 異教の信仰とキリスト教信仰の混合
 コンスタンティヌスは死んだ時、太陽崇拝者たちの高位の祭司でしたが、また同時に、この地上の神の教会の「最高権威者」であるとも主張していました!
 コンスタンティヌスはコンスタンチノープル(イスタンブール)を献呈した時、そのセレモニーで異教の儀式とクリスチャンの儀式の両方を用いました。
 彼が異教の信仰とキリスト教を混合しようとしたことは、彼が造った貨幣でもわかります。注4
 彼は貨幣に、マルスあるいはアポロ(ニムロデ)の肖像とともに、十字架も(特に、クリスチャンと公言する人々を喜ばせるため)刻印しました。
 さらに彼は、作物の保護と病気のいやしのために、異教の魔法も信じ続けました。
 では、彼が本当はクリスチャンではなかったのなら、なぜ、クリスチャンの信仰に対して多くの好意を示したのでしょうか?
 コンスタンティヌスは最高の政治屋でした。
 彼は、何年も厳しく残酷に迫害してもキリスト教信仰を滅ぼすことはできないことを見ていました。
 彼の地位はライバルの皇帝(マクセンティウス)から脅かされつつあり、あらゆる方面の人々から支持を取り付ける必要に迫られていたため、自分の分裂した帝国を団結させるためにクリスチャンたちに助力を求めたのです。
 それは、とても簡単なことでした。というのも、そのころ、教会のほとんどの指導者たちは、霊性や真理のことよりも、むしろ、人数と人気のことを考えつつあったからです。
 彼らは、そういう目的を達成するために、さまざまな「神秘」妥協する用意ができていたのです。このことは、ローマでは特に当てはまりました。
 コンスタンティヌスは自分の軍隊の旗のシンボルとして「十字」を採用し、また、自分の兵士たちの盾に、「X」という交差する文字(ギリシャ語の「キー」)を描くことにより、自分の軍隊の中に団結を確立しようとしたのです。
 キリスト教信仰を捨てた人々や世的なクリスチャンたちなら、彼らはキリストの「十字架」のために戦っているのだと思うはずです。
 しかし、異教徒たちは、密議宗教の「十字」の描かれている旗印のもとで戦っていたのです。注5
 この策略は功を奏し、312年十月二十八日の『ミルビアン橋での戦い』で勝利しました。
………………………
注1)Ralph Woodrow,"Babylon Mystery Religion: Ancient and Modern",pp.55-59
注2)同書 p.58
注3)同書
注4)同書 p.58
注5)Will Durant,"The Story of Civilization.Caesar and Christ",Vol.3,p.654


《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》  

さらに深い理解のために(英語)
フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書
→ "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.97~,p.101~[PDF]




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