聖書の歴史Q-2 聖書の歴史 目次  聖書のホームページ 

白いシナイ写本・薄黒いシナイ写本

ディビッド・ダニエルズ

(https://www.youtube.com/watch?v=OVjOhDJ5HKoより)




『フレデリコ・アウグスタヌス写本』:CFA

 「シナイ写本」を発見したと自分から主張した人物は、コンスタンティン・ティッシェンドルフでした。
ティッシェンドルフ
ティッシェンドルフ
 1844年、彼は自分の家族に、いくつかの文書が自分の手に入ったと言いました。
(この年、彼はシナイ半島にある聖カタリナ修道院を訪れ、(将来の)シナイ写本の一部を持ち帰っていました)
 彼は、それをライプチヒ大学(ドイツ)の図書館に持って行くことにしました。
 彼はそれを贈り物として、自分の旅費を負担した人でもある、ザクセン王国(ドイツ)の王、フリードリヒ・アウグスト2世(1797〜1854年)に献げました。
 それは、この王にちなんで『フレデリコ・アウグスタヌス写本』CFA)と命名されました。
 ここにあるのは、このCFAの最初のページです。第一歴代誌11・22から始まっています。
写真0

 このCFAの中央部にある一つのページは、トビト書外典)の1・7〜2・2です。
 この分割部分(シナイ写本には複数の分割部分[セクション]があります)の最後のページは、哀歌2・20で終わっています。

  • 1844年ティッシェンドルフが入手し、フリードリヒ王に献げられたCFA(シナイ写本の一部)…白色

 1846年、ティッシェンドルフは、このCFA43枚の皮紙、172ページ)の中にあるものを公開しました。

 その後、なぜか1859年、ティッシェンドルフはまた、シナイ半島にある聖カタリナ修道院を訪れました。
 旅費の負担者は、ロシア皇帝のアレクサンダー二世でした。
 そしてロシア政府の援助により、ティッシェンドルフは自分が『シナイ写本』と呼ぶものを持ち帰りました
その後、ロシアの後ろ盾により、彼はその本文を転写し、1862年、ティッシェンドルフは、私たちが現在『シナイ写本』と呼んでいるものを発表しました。

薄黒いシナイ写本

 ここで、少し不可思議なことがあります。
 2014年スティーブン・アヴェリー氏が私に、このCFAを見て欲しいと言いました。すなわち、ティッシェンドルフがフリードリヒ王に献げたものの一部です。
 それで私はそれらのページをよく見ました。繰り返し、何時間もかけて見ました。
 私は、ザクセン王国の王のために、だれかがこのCFA白くしたのかどうかを知ろうと見ていたのです。
 それがどんなに白いかは、ご覧の通りです。
写真1

 けれども、私が見出したのは、それよりはるかに不思議なことでした。
 CFA以外のシナイ写本は、何者かが薄黒くしたのです
 これを比べて見てください。
写真1

 これは、私の本にあるコーヒーによる染みを思い起こさせるものです。
 何者かがこれらのページを薄黒くしたのは、なぜでしょうか?

ロシア人主教の証言

 ティッシェンドルフがこの修道院を訪れた年の後、二人の別の人物が、この修道院を訪れました。
 この写本を見るためにです。
 それは、ティッシェンドルフがあのCFAを持ち去った後のことです。
 そして、彼らのうちの一人は、そのことについて書き記しました。
 ロシア人の主教ポリフィリ・ウスペンスキーです。
《ウスペンスキー主教》
写真
(1856年の著書より。クリックで拡大)
写真
(↑解明されつつあるサタンの計画より)

 1845年、彼は聖カタリナ修道院を訪れました。
 ティッシェンドルフが訪れた年の翌年です。
 ウスペンスキー主教は、「それはすべて白かった」と述べました


  • 1844年ティッシェンドルフが入手し、フリードリヒ王に献げられたCFA(シナイ写本の一部)…白色
  • 1845年にロシア人の主教ポリフィリ・ウスペンスキーが聖カタリナ修道院を訪れて見た他のシナイ写本…白色

 ところが、ティッシェンドルフ1859年に入手した後のシナイ写本の、たとえばこのマタイの福音書の箇所を見てください。
写真1

 コーヒーの染みや紅茶の染みなどのように見えます。私には、まやかし物の臭いがします。
 スティーブン氏は、1800年代に存在した偽造者たちがどうやって書物を古いもののように見せかけたかについて調べました。
 彼らは何を使ったと思いますか?
 コーヒー、紅茶、そういうようなものです
 貴重で、ユリのように真っ白な古代の聖書を、何者かが取り上げ、それを、古くて腐敗しているように見せかけたのは、なせでしょうか?
 しかも、表紙はないのです。
 その表紙を見た人は今まで一人もなく、現代でもいません。
 そして、ティッシェンドルフがそれを入手した時以来、いないのです

  • 1844年ティッシェンドルフが入手し、フリードリヒ王に献げられたCFA(シナイ写本の一部)…白色
  • 1845年にロシア人の主教ポリフィリ・ウスペンスキーが聖カタリナ修道院を訪れて見た他のシナイ写本…白色
  • 1859年ティッシェンドルフが聖カタリナ修道院を訪れて他のシナイ写本を持ち帰り、その後、『シナイ写本』として発表したもの…薄黒くて古そうに見えるもの


(https://www.youtube.com/watch?v=OVjOhDJ5HKoより)


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歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現"
2 白いシナイ写本・薄黒いシナイ写本
3 だれがシナイ写本薄黒くしたのか
4 色付けされたシナイ写本
5 シナイ写本の意図的な削除
6 偽造写本『2427』の正体
7 ティッシェンドルフが持ち去った『シモニデス写本』
8 ティッシェンドルフ抜き取られたシモニデス氏の写本
9 シナイ写本・バチカン写本_どちらも偽証物です!!



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……


聖書の歴史U WH本文に由来する"聖書"
  1. 改ざん聖書のルーツ本質
    現代の新約聖書のルーツは、19世紀後半、イギリスで二人の熟練した降霊術者が作った新約聖書本文です。
    降霊術者らが作った"聖書"

  2. 福音派・保守派の人々はだまされた!!
    真実隠蔽! それは聖書不信者・キリスト不信者向けの"聖書"でした。
    聖書を信じる人々、キリストを信じる多くの聖徒たちだまされてきました
    リベラル派ユニテリアン向け"聖書"

  3. 超重要聖句が読めなくされた"聖書"
    このみことばを一度も読んだことがない人が多いはずですが、これは超重要聖句神のことばです!
    聖書信者読めない重要聖書箇所
    1ヨハネ5・7 保持する聖書消された"聖書"

  4. 改ざん聖書の最終目的地 !!
    改ざん聖書は、どこに向かっているのでしょうか?
    現代の新約聖書の歴史 _三段階の流れ
    "一つの世界宗教"のための "一つの世界聖書"


日本語"聖書"WH本文》 WH本文を土台とする日本語"聖書"
福音派・保守派の人々はだまされた!!

 19世紀後半、イギリスで二人の熟練した降霊術者ウェストコットホートが、WH本文と呼ばれる新約聖書本文を作りました。
 そして、この二人が主導する1871年〜1881年の『聖書改訂委員会』により、このWH本文を土台とする最初の英語聖書RV(Revised VersionまたはERV)が作られました。
リベラル派向けWHリベラル派向けRV
 英語聖書RVを初め、19世紀後半以降に登場した現代の数々の新約聖書日本語聖書も)は、このWH本文を土台として作られています。

 WH本文に由来するおもな日本語新約聖書は以下の通りです。(→新約聖書と本文現代の新約聖書の歴史 _三段階の流れ参照)
(1881年〜)
  • 『大正改訳 新約聖書』(1917年〜)(WH聖書本文、ネストレ版本文)
  • 『口語訳聖書』(新約 1954年〜)(ネストレ版本文)
  • 『新改訳聖書』(新約 1970年〜)(ネストレ版本文)
  • (1975年〜)
  • 『共同訳聖書』(新約 1978年〜)(UBS版本文)
  • 『新共同訳聖書』(新約 1987年〜)(UBS版本文)
  • (2008年〜)
  • 『新改訳2017』(新約 2017 年〜)(ネストレ版本文・UBS版本文)
  • 『聖書協会共同訳』(新約 2018年〜)(UBS版本文)


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