聖書の歴史Q-6 聖書の歴史 目次  聖書のホームページ 

偽造写本『2427』の正体

ディビッド・ダニエルズ

(https://www.youtube.com/watch?v=39WV0AgeC8wより)



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(写真↑: Manuscript 2427 - a fake[写本2427は偽写本]
W.ウィルカー,2006年[PDF]より)


ネストレ版本文で非常に重要な写本』とされた『2427』

 これはネストレ版の『ギリシャ語新約聖書』(第27版)です。
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 これは、クルト&バーバラ・アーラントイエズス会カルロ・マリア・マルティニブルース・メッツガーなどの人々によって編集されています。

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 これは、今日の世界で翻訳されている新約聖書の、ほとんどすべての翻訳を決定づけるギリシャ語本文です。
 ローマ・カトリックの聖書でも、ギリシャ正教の聖書でも、プロテスタントの聖書でも、バプテスト派の聖書でも、です。
 UBS(聖書協会世界連盟)、ウィクリフ聖書翻訳協会、あるいはそれ以外の何百もの団体で働きをしている翻訳者でも、この公式な聖書本文以外の本文を使用することは許されていませんでした。ただし、第28版が出るまでは、です。
 こちらが、そのマルコの福音書の箇所です。
 私はここで何カ所かに色づけをしています。
 これらのオレンジ色の箇所がわかるでしょうか?  (それぞれクリックすると拡大されます)

 これらの箇所は、『重要な本文の読み方』とされるものが指摘されている箇所ですが、どれも、ギリシャ語写本『2427』というたった一つの資料から見出される『読み方』なのです。
 それは『非常に重要な写本』と考えられ、マルコの福音書の一つの語、語句、節におるどんな変更(変化形)のためにも決してないがしろにしてはいけないものとされました。
 私がみなさんにこのことについてお話しするのは、なぜでしょうか?
 なぜなら、それは偽物だからです。
 この偽物の写本は、シナイ写本とどんな関わりがあるのでしょうか?
 このことは、偽造物を見つけ出す方法について私たちに特別な教訓を教えてくれるのです。


アーラント"最善の資料"とされた写本『2427』

 ここにあるのは、カートとバーバラ・アーラントによる本文批評の教科書、『新約聖書の本文』です。
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 この本の中の『カテゴリー1』に分類されるもの(カートとバーバラ・アーラントにより"最善の資料"とされるもの)の中に、写本『2427』の最後のページが載っています。
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 写本『2427』は、小さな写本です。それにはマルコの福音書しか書かれていませんが、 イラストが描かれています。
(クリックで拡大されます)
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偽造写本2427

 この写本『2427』を見てみましょう。
 これらの文字は小文字です。
 興味深いのは、この箇所です。(クリックで拡大されます)
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 これは、14世紀のもの、1300年代のものとされています。
 そして、これが『カテゴリー1』に入っているのです。


バチカン写本ほぼ全く同じ写本『2427』

 なぜ、1300年代の写本が"最善の写本"の一つとみなされているのでしょうか?
 なぜなら、それがバチカン写本(下の写真)の本文と、ほぼ全く同じであるからです。

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 バチカン写本は、シナイ写本とともに、現代版聖書のほぼすべての変化形の作成のために使われているものです。
 バチカン写本は(エジプトの)アレキサンドリア型写本であり、アレキサンドリア型写本は『カテゴリー1』"最善の資料")に分類されています。
 写本『2427』『カテゴリー1』に分類されています。
 私の教授の教授であったアーネスト・カドゥマン・コルウェルは、この写本『2427』に別の名前を付けました。
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 彼はこの写本を、古代のマルコ福音書』と呼びました。
 『最古で最善のもの』としてです。
 彼は、これはマルコの福音書の『原初の本文』を保持していると言いました。
 この写真で、彼はエドガー・グッドスピード(向かって右側の人物)といっしょにいます。グットスピードは、『外典付きの新約聖書』を作りました。
 彼は、シカゴ大学のために写本『2427』を入手した人物です。
 本文批評学者たちには、『1300年代のある書記者が、バチカン写本の中にあるマルコ福音書とほぼ同一のマルコ福音書の写本を持っていて、それから書き写した』と思われたようです。
 ただし、このマルコの福音書は、当時の他の数々の聖書の本文とは全く異なるものでした。
 こうして、コルウェルも、エドガー・グッドスピードも、キルソップとシルバ・レイクも、カートとバーバラ・アーラントもみな、写本『2427』を導入しました。

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 人々は、『それはマルコの福音書の原文に最も近いものかもしれない』と言っていたのです。
 さて、だれでも知っているように、どの写本も、何かから書き写したもの(コピー)です。
 この写本『2427』は、何から書き写したものなのでしょうか?
 コルウェル教授はそのことについて考えましたが、決して答えを見出すことはありませんでした。
 それは偽物かもしれないと疑った人々も少数いました。
 コルウェルは、『写本『2427』に関して言われているどんなことも間違っている』と言いました。
 けれども、彼らの行動計画がストップしたわけではありませんでした。
 先ほど見た通り、『ネストレ版ギリシャ語新約聖書』で、彼らは、写本『2427』はマルコの福音書の原文を証言するものとして最も重要な『証言』であると主張したのです。
 これを見てください。(クリックで拡大されます)
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 これが長年にわたり、彼らの本文の決定に影響を及ぼしてきたのです。


化学分析と結果

 この写本『2427』には、古文書学者たちにとって普通ではない筆跡(手書き)があります。(クリックで拡大されます)
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 それは、いい加減(ずさん)であり、一貫性がないのです。
 専門家たちは、これが何世紀のものであるのか答えを出すことができませんでした。
 1300年代とするものから1700年代とするものまで、さまざまでした。
 この写本『2427』本物なのか偽物なのか、だれも証明できませんでした。
 ただし、それは1989年までのことでした。
 この年、メアリー・バージニア・オーナという名前の化学の教授が、この『古代のマルコ福音書』に、『プルシアン・ブルー』(紺青色)という顔料がたくさん使われていることに気付きました。(クリックで拡大されます)
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 彼女はそれに関して数々の検査を行い、実際にそうであることを証明しました。

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 『プルシアン・ブルー』でした。
 なぜ、これが問題なのでしょうか?
 なぜなら、『プルシアン・ブルー』1300年代には出回っていなかったからです。
 それは、1704年に発明され、1720年代までは売られていなかったのです。
 ですから、今や写本『2427』1300年代のものではあり得ないのです。
 それは1720年以後のものでなければならないはずです。
 けれども、さらにあります。
 それがどこから来たものか、それが発見される前の『出所』(でどころ)がどこなのか、だれも証明できませんでした。
 それが発見されたのは、ギリシャのアテネにおいて、あるビザンチン(アテネ人)の収集家の収集物の中でした。
 1917年に彼が亡くなった後で、それは発見されました。
 けれども、、さらにあります。
 2006年、シカゴ大学のマーガレット・ミッチェル高解像度のデジタル写真を撮り、初めてインターネットに掲載したのです。
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 その後、一般の人々がその写本の写真を見て、その数々のミステリーの答えを探り出そうとすることができるようになりました。
 数年後、彼女は、希少本と保存の専門家アビギル・クオントに依頼して、写本『2427』の復元と分析、および、それを検査に送ることを求めました。
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 その結果、次のことがわかりました。
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  1. その『プルシアン・ブルー』(紺青色)は、後から修正して描かれたもの(加筆)ではないこと。
    その写本には、だれも後から手を加えてはいませんでした。
    ですから、この写本は1704年以後に作られたにちがいありません。
  2. 『合成ウルトラマリン・ブルー』も見つかりました。
    それは、1820年以降、顔料としてのみ用いられるものとして作られました。
    ですから、この写本は1820年以後に作られたにちがいありません。
  3. その白色は、『亜鉛白』でした。
    ですから、この写本は1825年以後に作られたにちがいありません
  4. 別の顔料も見つかりました。硫化亜鉛です。
    それは、ある特別な工程で作られました。
    ただし、1874年までは作られていませんでした。
 したがって、バチカン写本の奇跡的な証拠とされる1300年代のこの写本は、本当は、いつ作られたのでしょうか?
 1874年以後です。
 『最古で最善』といっても、この年数なのです。


写本『2427』原文

 ところで、私たちは写本『2427』が何からのコピー(写本)であるのかを見出さなければなりません。
 ここで登場したのが、ステファン・カールソン氏です。(詳細→"Archaic Mark" (MS 2427) and the Finding of a Manuscript Fake

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 カールソン氏は写本『2427』を注意深く分析しようとしました。
 2005年の夏、彼は、マーガレット・ミッチェルがその写本全体をインターネット上に掲載していることを知りました。
 そして彼は仕事にとりかかり、最終的に、この写本(『マルコの福音書』)の中に、三つの節を見出しました。
 マルコ6・2、8・11、そして14・14です。
 これらの箇所では、非常に多くの語が欠落しており、書き写していた間に書記者が誤って本文の一行全部を飛ばす(スキップする)ことを三度してしまったように見えたのです。
 ただし、それらのは、バチカン写本の中にあるような短い行ではありませんでした。
 それらのは、現代の印刷された書籍の中にあるような長い行でした。
 彼は、写本『2427』欠落しているそれらの語と同じ語が、別の何らかの本の本文の一行でも欠落しているのを見つけることができれば、書記者がどの本から書き写したかがわかるはずだと考えたのです。
 バチカン写本を調べても、うまくいきませんでした。
 一つの行にある語数が少なすぎるのです。
 ウェストコットとホートの本文を調べても、うまくいきませんでした。
 ティッシェンドルフの『ギリシャ語新約聖書』の第七版と第八版を調べても、うまくいきませんでした。
 その本は、どこにあったでしょうか?
 そして、それはいつ作られたのでしょうか?
 彼はワシントン・D・Cのいくつもの図書館を巡り、さまざまな聖書を調べました。
 カール・ラッハマンの新約聖書や、イエズス会士のマイ枢機卿による版の『バチカン写本』などをです。
 けれども、だめでした。
 2006年、彼はその欠落している語をカードに書き、イエズス会ジョージタウン大学国会図書館でさまざまな聖書を調べましたが、何も見つかりませんでした。
 最後に、彼はアメリカ・カトリック大学に行き、一ダース(12)くらいの聖書を調べました。
 そして、彼は掘り当てたのです。


ブットマン『ギリシャ語新約聖書』

 彼が見つけたのは、フィリップ・ブットマンによる『ギリシャ語新約聖書』のこの特別な版(1860年版)でした。

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 イエズス会士のアンジェロ・マイ枢機卿(1782年〜1854年)は長年にわたってバチカン写本管理していました。
 彼はティッシェンドルフやトリゲレスに、できるだけそれを見せないようにしていました。
 その間、彼は自分自身のファクシミリ版バチカン写本)を出版するために準備していました。
 それ(マイ枢機卿のファクシミリ版『バチカン写本』)が世に出たのは、1857年と1859年でした。
マイ枢機卿
マイ枢機卿(1782年〜1854年)
 ただし、マイ多くのミスをしていました。
 ある人物が、それらのミスをも、そのまま書き写したのです。
 その人物は、フィリップ・ブットマンでした。
(注: 『写本2427』のための草稿は、マイの『バチカン写本』からマルコ16・9〜20除去される『バチカン写本』から書き写されました。 [→19世紀半ばに行われたバチカン写本書き換え参照])

マイ枢機卿による『バチカン写本』
マイ枢機卿
マイによる多くのミス有り
ブットマンによる「ギリシャ語新約聖書」(1860年)
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マイによる多くのミス有り
ブットマン"独自の箇所":85箇所有り
(マイの『バチカン写本』からマルコ16・9〜20除去される『バチカン写本』から書き写された。

 彼は、マイ枢機卿数々の間違い(エラー)を、そのまま自分の『ギリシャ語新約聖書』(1860年)の『マルコの福音書』の箇所に書き写したのです。 (詳細→"Archaic Mark" (MS 2427) and the Finding of a Manuscript Fake
 ブットマンによる『ギリシャ語新約聖書』には、マイ枢機卿によるファクシミリ版の『バチカン写本』と異なる"ブットマン独自の箇所"が、およそ85箇所ありました。
 ブットマンは彼の『ギリシャ語新約聖書』を1860年に発行しました。
 ところが、1867年に、ティッシェンドルフによる『バチカン写本』が世に出ました。
 それはマイ枢機卿による版の『バチカン写本』(1857年と1859年)より、ずっと良いものでした。
 そして、ブットマンの数々のミスのある『ギリシャ語新約聖書』を欲しがる人はなく、人々はティッシェンドルフの『バチカン写本』を買いました。
 ブットマンの『ギリシャ語新約聖書』は歴史の『ゴミ箱』の中に葬り去られようとしていました。
 ところが、1874年から1917年までの間のある時、ある偽造者がブットマンの『ギリシャ語新約聖書』を入手し、偽物古代のマルコ福音書』写本『2427』)を作ったのです。

(写真左:写本『2427』 写真右:ブットマンの『ギリシャ語新約聖書』1860年発行)
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 その偽造者は、マイ枢機卿の数々のミス書き写しただけではありません。
 彼は85"ブットマン独自の箇所"のうちの81箇所をも、同じく書き写したのです。
 そういう数々のミスも、そういう数々の"独自の箇所"も書き写している写本は、世界中にそれ以外一つもありません。

マイ枢機卿による『バチカン写本』
マイ枢機卿
マイによる多くのミス有り
ブットマンによる「ギリシャ語新約聖書」(1860年)
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マイによる多くのミス有り
ブットマン"独自の箇所":85箇所有り
(マイの『バチカン写本』からマルコ16・9〜20除去される『バチカン写本』から書き写された。
写本『2427 』(1874年〜1917年の間のある時)
偽造写本2427
マイによる多くのミス書き写す!!
 ブットマン"独自の箇所":81箇所も書き写す!!


 そもそも、いくつかの基本原則に従っていたなら、だれも写本『2427』を信用する必要はなかったのです。
 その原則とは、これです。
  1. 出所(でどころ)
    それはどこから来たものですか?
    それはどのようなものですか?
    どうやって、それがわかるのですか?
    それを証明できますか?
  2. 流通過程
    その証拠となるものが改ざん(変更)されなかったことを証明してください。
    それは、どこに行きましたか?
    だれがそれを入手したのですか?
    それを証明できますか?
    あなたは自分が今持っているものが、彼らが当時もっていたものであることを、知りたいと思うはずです。
 このように、『出所』を調べ、『流通過程』を調べ、『化学的検査』を行い、そして、『彼らが書き写した写本の調査』を行うことです。
 シナイ写本に関して、彼らはこれらののうち、どれを行ってきたと思いますか?
 ゼロです。
  1. シナイ写本は、一度もテストがされていません。
    彼らは2015年4月の検査をキャンセルしました。
    シナイ写本はテストされていないままなのです。

  2. シナイ写本は、元になる写本何もありません。
    シナイ写本と似ている写本を私たちは今まで見出したことがありません。
    バチカン写本が一番近いものかもしれませんが、違いが何千もあるのです。

  3. シナイ写本は、出所(でどころ)は何もありません。
    古代の文書に関して彼らはありとあらゆる物語作り出し、それがどこどこにあったという話を作り出しているのです。
    それらは全くの作り話でっち上げ)なのです。
    かつて、だれかがシナイ写本あるいはその一部を見たと最初に記録されているのは、1844年です。
    その一部はザクセン王国(現ドイツ)のフレデリック王のもとに送られ、その後の1845年、ロシア人主教ポリフィリ・ウスペンスキーがそれ以外の写本を聖カタリナ修道院で見ました。
    その後、1859年、それらの写本を、ティッシェンドルフがそこから持ち去ったのです。

  4. シナイ写本は、流通過程全く存在しません。
    ティッシェンドルフがそのシナイ写本を入手した時にそのことを目撃したと主張したのは、ごくわずかの人だけでした。
    そして彼らは、彼がそれを変え、それを古びたものにし、それが古く見えるようにしたと言いました。
    それを想像してみてください。
 私はシナイ写本全く信用しないと言ったではないでしょうか?
 シナイ写本には出所証明するものが何もないのです。

 しかし、『歴史的に保持されてきた聖書』の場合、出所を証明するのは簡単です。
 古代の世界のいたるところで見つかった写本何千もあるのです。
 ちょうど、イエス様がマタイ24・14で言われた通りです。

「そして、御国のこの福音は、人の住んでいる地の全域で宣べ伝えられるようになります。
 すべての国々の民に対する証しのためにです。…」(マタイ24・14)

 そして、それらの写本は互いにとても類似しており、『多数派、大多数』(Majority)を表す『M』という一文字で表示されています。(クリックで拡大されます)
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 現代の学者たちは、この『歴史的に保持されてきた聖書』の本文を激しく嫌っています。
 この多数派の本文を表している写本は、小さな筆記体の写本だけでも1200以上あるのです。
 ところが、それらの写本が、批判的なギリシャ語本文の中で参照リストに挙げられているのを、みなさんが見ることはありません。
 カートとバーバラ・アーラントによれば、こうです。
「これらの写本が省かれたのは、その参照リストに載せるものを、本文批評のために重要性のある写本に限定するためである」(『新約聖書の本文』p.163)

 つまり、彼らが取り組むべき本文が『歴史的に保持されてきた本文』ばかりであるなら、彼らの仕事はなくなってしまうのです。
 彼らは、『大きく相違しているもの』を必要とするのです。
 しかし、私たちはそういうものを必要としません。
 私たちが必要とするのは、神のことばだけです。
 すなわち、『聖書を信じる忠実な人々』という『流通過程』を通して歴史的に保持されてきて、私たちの言語に正しく翻訳された神のことばです。
 英語であれば、それはキング・ジェームズ版聖書です。
 だれかが、自分たちの聖書のほうが優れていると主張しようとする時、私はただこう言うだけです。
 「お願いします、それを証明してください


19世紀半ばに行われたバチカン写本書き換え
Manuscript 2427 - a fake[写本2427は偽写本] W.ウィルカー,2006年[PDF]
The Codex Sinaiticus is a Fake[シナイ写本は偽物]

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歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現"
2 白いシナイ写本・薄黒いシナイ写本
3 だれがシナイ写本薄黒くしたのか
4 色付けされたシナイ写本
5 シナイ写本の意図的な削除
6 偽造写本『2427』の正体
7 ティッシェンドルフが持ち去った『シモニデス写本』
8 ティッシェンドルフ抜き取られたシモニデス氏の写本
9 シナイ写本・バチカン写本_どちらも偽証物です!!
10 バチカン写本・シナイ写本の構成
11 外典を含むバチカン写本・シナイ写本
12 マルコ16・9〜20が無い写本
13 2写本の検証1
14 2写本の検証2



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の本!
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日本語聖書の改ざん箇所
HPで紹介されていない事例を含む全101箇所を解説
真のみことば真の意味

の本!
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図解 日本語聖書の改ざん
よくわかる
真の福音信仰者現代版聖書拒む理由一目瞭然!!


聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された現代版『新約聖書』
  1. シナイ写本確実偽造物です! 七つ証拠
  2. バチカン写本確実偽造物です! 偽造者らの失態
  3. 19世紀偽造者が書いたもの』読ませられている人々




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