聖書の歴史Q-8 聖書の歴史 目次  聖書のホームページ 

ティッシェンドルフ抜き取られたシモニデス氏の写本

修道士カリニコス氏の証言

カリニコス

1862年10月15日カリニコス氏から『聖なる文書ジャーナル』誌編集者への手紙
"Journal of Sacred Literature"(p.211)

シモニデス
コンスタンティン・シモニデス氏
編集者様。
 賢明なるギリシャ人シモニデス氏『偽物のシナイ写本』に関して載せた記事を、私は貴誌により読みました。
 あの旧新約聖書の写本および『バルナバの手紙』と『ヘルマスの牧者』、すなわち、ティッシェンドルフ博士によりシナイ山のギリシャ修道院から取り出されたものは、根気強きシモニデス氏自身の手の作品であることを、私はこの手紙により、すべての人に宣言します。
 1843年2月、彼がアトス(のパンテレイモン修道院)でそれを書いているのを、私自身が見たからです。
 そして私が確実なこととしてさらに知っているのは、それが彼により、コンスタンティウス総主教に渡されたことです。
 総主教は、それをシナイの聖カタリナ修道院に送りました。
 それが聖書の他の大文字写本と比較され、その後で同じシモニデス氏によって書き写され、ロシアのニコラス皇帝献呈されるようにするためにです。

コンスタンティウス総主教
コンスタンティウス総主教
(1770年〜1859年)

ニコラス一世
ロシア皇帝ニコラス一世
(1796年〜1855年)
 初めに意図されていた、アトスにあるパンテレイモン修道院を代表してではなく、コンスタンティウス総主教が代表としてです。
 それで、コンスタンティウス総主教の命令により、聖なる修道士カリストラトゥスがそれを、その同じ修道院の他の数々の写本と比較し、一部を修正した後、それをその書庫に残し、シモニデス氏の帰還を待っていました。
 けれども、シモニデス氏の来るのが間に合わず、その件はそのままにされていました。
 それは、1844年5月ティッシェンドルフ博士がシナイのギリシャ修道院(聖カタリナ修道院)に来るまでのことでした(私の記憶違いでなければ、です)。
 彼はそこに数日間滞在し、図書館員の許可を得て、私たちが今話題にしているその写本を彼の手中に収めました。
 彼(ティッシェンドルフは、それを熟読し、何度も繰り返し熟読し、その小さいほうの分割部分密かに抜き取りました。
ティッシェンドルフ
ティッシェンドルフ
 ただし、大きい方の分割部分は元の場所に残しました。
 そして、彼は邪魔されることなく立ち去りました。
 そして彼は、最後にもう一度その同じ修道院に来た時、ロシア領事を通して、その残りの分割部分も入手しました。
 私の判断では、決して果たされそうにない大げさな約束と引き換えに、です。
 私はその場にずっといたので、そういうすべてのことを知っているのです。
 そして私は今、真実のためにそれらのことを隠し立てせずに語っているのです。
 そして、私はさらに宣言して言いますが、ティッシェンドルフ博士が入手したその写本は、シモニデス氏約22年前に書いたのと同一の写本であり、それ以外の何物でもありません。
 なぜなら、私はそれがティッシェンドルフ両手の中にあるのを見てその作品だと認識したからです。
 そして私は、まず、シモニデス氏に知らせました。
 彼は、それまで、そのことについて知らずにいました。
 すなわち、シナイ山の修道院の書庫から彼の写本抜き取られたことです。

 また私は、その中に半直線の文字列で書かれているシモニデスによる』という語(署名も初めから見ていました。
 ところが、二日後、その芸術的に書かれた文字列を含むリーフ(皮紙)が無くなっていました。
 だれによって行われたのか、私にはわかりません。

 また私がさらに知っているのは、その写本がレモンの汁できれいにされて(洗われて)いたことです。
 表向きには、それらの皮紙をきれいにする目的であっても、本当は、文字の鮮度を弱めるためです。
 実際、そうなっていました。
白色写本
白色の皮紙》
+
レモン
矢印
薄黒色写本
色付けされた皮紙》

 編集者様、私は、求められなくともこれらのことを私が死ぬ前にあなたにお伝えするのが私の義務であると判断したのです。
 というのも、私は、日々を待っている老人だからです。
 そして、あなたの側でこの手紙の意図を正しく公表していただけるなら、真理と愛とのために大きく貢献することになるでしょう。

 カリニコス・ヒエロモナコス
アレキサンドリアにて 1862年10月15日
カリニコス
カリニコス・ヒエロモナコス氏


1862年12月3日シモニデス氏から『聖なる文書ジャーナル』誌編集者への手紙
"Journal of Sacred Literature"(p.212)

 アレキサンドリアのヒエロモナコス・カリニコス氏が貴方に書き送り、シナイ写本が古代のものであることに反論し、それが現代において書かれ、そして私自身によって書かれたと述べていることを、私は先月11月に受け取った手紙から確認しています。…
 私が貴方にお知らせしなければならないことですが、上記のカリニコス氏完全に正直かつ尊敬すべき人であり、真実かつ誠実な人として良く知られており、彼のどんなちょっとしたことばでも信頼することのできる人です。
 私があのシナイ写本を書いた時(1840年頃でした)、彼はアトスに住んでおられました。
 その作業をしていた間、彼は私を監督しておられました。
 こうして、彼はその目撃者となられたのです。
 ですから、彼の証言非常に貴重なものとみなすことができます。

 コンスタンティン・シモニデス
ベッドフォード・スクエアにて 1862年12月3日
シモニデス
コンスタンティン・シモニデス氏


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歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現"
2 白いシナイ写本・薄黒いシナイ写本
3 だれがシナイ写本薄黒くしたのか
4 色付けされたシナイ写本
5 シナイ写本の意図的な削除
6 偽造写本『2427』の正体
7 ティッシェンドルフが持ち去った『シモニデス写本』
8 ティッシェンドルフ抜き取られたシモニデス氏の写本
9 シナイ写本・バチカン写本_どちらも偽証物です!!



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