聖書の歴史 C-8 聖書の歴史 目次 

《 キング・ジェームズ版聖書の歴史 (2)》

フロイド・N・ジョーンズ博士

KJ聖書に使われたベザ版TR
trbible
KJ聖書

 翻訳者たちは、ビショップ聖書を彼らの第一の規準書とし、「原語の真理が許容する」場合のみ変更するようにと指示されていましたが、キング・ジェームズ版聖書のうち、ビショップ聖書から使われているのは、実際には約四パーセントだけです。
 この新しい翻訳聖書は、ほかのどの聖書よりも、ジュネーブ聖書とよく符号しています。注1
 この新約聖書の言語の九十パーセント以上は、ティンダルの訳本からのものです。文学的な美しさや威厳を表しているリズミカルな言葉づかいや文体が、キング・ジェームズ版聖書のいたるところで見られますが、これはこの殉教者(ティンダル)のペンによるものでした。
 旧約聖書のヘブル語本文としては、当時用いることのできた四つのヘブル語聖書が使われました。
 新約聖書のギリシャ語本文としては、テオドルス・ベザの本文が使われました。
 ベザは、ジョン・カルビンとも交友があり、エラスムスおよびステファヌスのギリシャ語本文を改訂していました。
 それら以外にも、多くの古代の訳本が参照され、考慮されました。
 原語にはないことばで、翻訳者たちが意味を補完するために付け加える必要があるとわかったものは、特別に扱われ、現代のキング・ジェームズ版聖書ではイタリック体(斜字)になっています。
 すべての書が翻訳されると、ウェストミンスター、ケンブリッジ、オックスフォードからそれぞれ二人ずつが集まり、この三つの団体のそれぞれの完成された作品を注意深く検討しました。最後に、二人の人がその作品を再検討しました。こうして、どの聖書も、少なくとも十四回、審査を受けたのです。
 その結果、1611年の改訂版の聖書は、どの個人の産物でも、ジェームズ王の事業でもなかったのです。
 フレデリック・ケニヨン卿がいみじくも、こう述べている通りです。

「(1611年の)聖書は、一人の人の作品ではなく、一つの学校の作品でもありませんでした。
 それは、練達した学者たちと、あらゆる階層の、そしてさまざまな意見を持った聖なる人々とから成る大集団による、計画的な働きでした。
 彼らの前には、彼らの案内書として、百年近くにおよぶ聖書改訂の労苦がありました。
 この聖書の翻訳は、それまでは論議されることさえなかったことでした。
 これは国家的な取り組みであり、この中で、可能な限り最善の聖書を作り出すこと以外の関心事は、だれも持っていなかったのです」注2

 こうして、最終的な作品が印刷物として教会の前にもたらされた時、驚くべきことは何もありませんでした。
 すべてのことがオープンに、公明正大に行われたのです。
 最終的な翻訳に関して決定がなされる重要な部屋には、タバコの煙は全くありませんでした。
 実際、収益のことは全く考慮されていませんでした。
 長年にわたり、いくつもの版が発行され、タイプ打ちのまちがいや、つづり字の修正、欄外の参照箇所の付加、もともとローマ字書体であったものからイタリック体への変更などがなされてきました。

● 誤解されてきたこと
 確かに、1611年以降、数千もの小文字写本が発見されてきました。このことがキング・ジェームズ版聖書を大きく改訂する必要性をキリスト教界に正当化させるために使われてきた大きな要因です。
 もし、キング・ジェームズ版聖書の翻訳者たちが利用できなかった大量のデータが明るみに出されたとすれば、そのことは論理的であるように見えます。そして、そういう新たな材料を考慮に入れなければならないことになります。
 そういう小文字写本の中には、年代が紀元350年から380年であると推定されるものもあり、一方でエラスムスの少数の小文字写本は十世紀から十五世紀のものであったゆえ、そのことは特に理屈に合っているように見えます。

 ところが、1611年以降に発見された何千もの写本のうち、その大多数(90パーセント〜95パーセント)の写本は、エラスムスが用いたその少数の小文字写本のギリシャ語本文と一致しているものなのです。

    
  
   
《1611年以降に発見された
 ギリシャ語写本》



● KJ版聖書の翻訳者たちが退けた「異なる読み方」
 1627年、アレクサンドリア写本がロンドンに届けられました。その結果、「キング・ジェームズ版聖書の翻訳者たちにとっては、届くのが十六年遅くて使うことができなかったのは、とても残念なことであった」と私たちはよく耳にします。
 しかし、それは真実ではありません。
 そのことは、キング・ジェームズ版聖書に関する歴史が信頼できない仕方で伝えられていることを示す一例にすぎません。
 そもそも、バチカン写本もシナイ写本も、キング・ジェームズ版聖書の翻訳者たちにだけでなく、エラスムスにも十分知られていたのです。(聖書の歴史 C-3参照)
 バチカン写本の旧約聖書の部分は1587年に印刷されていたため、キング・ジェームズ版聖書の翻訳者たちも、旧約聖書に関しては、1604年にはバチカン写本のことをすべて知っていたのです。
 このように、1611年のキング・ジェームズ版聖書の発行に関わった人々は、バチカン写本にある「異なる読み方」について知っていました。
 そして、彼らはバチカン写本を知っていたのですから、シナイ写本にある「異なる読み方」もすでに知っていたのです。
 なぜなら、それら二つは読み方が非常によく似ていたからです。(ただし、シナイ写本の最初の部分は、1844年までは発見されませんでした。それ以外の部分は、1859年に発見されました)
 事実、1611年の翻訳者たちは、それらの写本の「異なる読み方」をすべて知っており、それらを退けたのです!
 彼らは、古写本A(アレクサンドリア写本)、B(バチカン写本)、写本C、写本Dの読み方も知っており、それらがギリシャ語のTRとちがっている箇所では、それらをすべて破棄しました。
 どうしてそれが可能なのでしょうか?
 近年利用できるようになったそれらの多くの写本の「読み方」は、本質的に、ヒエロニムスのラテン語版ウルガタ聖書と同じです。注3
 宗教改革者たちは、ラテン語版ウルガタ聖書の「異なる読み方」についてすべて知っており、それを退けたのです。
 このように、宗教改革者たちは、働きのために必要とされる資料をすべて持っていたのです。注4

● 英語聖書から取り除かれたアポクリファ
 英語欽定訳聖書(キング・ジェームズ版)の初版にアポクリファ(外典)が含まれていることに関して、長年にわたり、多くのことが言われてきました。
 確かに、1611年の版には、旧約聖書と新約聖書の間にアポクリファが入れられていましたが、ヘクサプラやバチカン写本、シナイ写本とはちがって、それが旧約聖書の本文の中に入れられたことは一度もありません。
 アポクリファを翻訳したケンブリッジ大学のグループは、1611年の翻訳者たちの七つのグループのうちの一つでした。
 彼らはアポクリファの全体を英語に訳しましたが、歴史的な目的のためにのみそうしたのであって、霊感された聖書として訳したのではありませんでした。
 その翻訳者たちは自分たちの見解が決して誤解されることのないように、アポクリファを霊感された正典の一部としては決して受け入れるべきでない七つの理由を記しました。
 第二版では、旧約聖書と新約聖書の間からもアポクリファは取り除かれました。
 一方、それは、旧約聖書あるいは新約聖書の本文が正しいものであることには、全く影響を及ぼしませんでした。注5) ……………………………
注1)Alexander W.McClure,"The Translators Revived",p.67
注2)Sir Frederick Kenyon,"Our Bible and the Ancient Manuscripts",p.306
注3)Wilkinson,"Our Authorized Bible Vindicated",pp.81-83
注4)同書 pp.83-85 および、 Hills,"The King James Version Defended",pp.198-199
注5)Hills,"The King James Version Defended",p.230


《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》  

さらに深い理解のために(英語)
フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書
→ "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.82~,p.49~,p.113~,p.119~[PDF]




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