聖書の歴史 R-7 聖書の歴史 目次 

ローマ・カトリックの監督下となった聖書

ケン・マット博士
(Dr. Ken Matto "Your Modern Version is Roman Catholic"[あなたの聖書はローマ・カトリック版です]より抜粋)


● 1881年の聖書本文WHが元となった多くの聖書
1959年にはNASV (ニュー・アメリカン・スタンダード版聖書)が発行され、
WH 1973年にはNIV(ニュー・インターナショナル版聖書)、
1979年にはNKJV(ニュー・キング・ジェームズ版聖書)注1)、
1989年にはNRSV(ニュー・リバイズド・スタンダード版聖書)、
2001年にはESV(イングリッシュ・スタンダード版聖書)、
2003年にはHCSV(ホルマン・クリスチャン・スタンダード版聖書)、
2011年にはNIVのアップデート版、
2016年にはESVのアップデート版、
2017年にはCSB(クリスチャン・スタンダード聖書)が、それぞれ発行されました。
 これらの聖書が次々と発行される元となったのは、1881年の聖書本文WHでした。
 
ローマ・カトリック由来する聖書

 そのウェストコットとホートの本文WHを支持する二つの主要な写本は、福音書だけでも三千箇所が TRと異なっていました。
 それはバチカン写本とシナイ写本でした。
バチカン写本シナイ写本

 バチカン写本は1475年にバチカン図書館で発見され、キング・ジェームズ版聖書の翻訳者たちに与えられましたが、彼らはそれを退けました。なぜなら、それは、途方もなく改ざんされていたからです。
 現代の多くの聖書の土台となっている二つ目の写本は、シナイ写本です。
 それは、1844年にコンスタンティン・ティッシェンドルフにより聖カタリナ修道院で発見されたとされていました。
 ところが、今や、それは19世紀の偽造物であることがわかってきました。
 それは、まさに焼却されようとしていた時、彼が持ち帰り、1859年に公にしたものと考えられていました。それは、ダーウィンが『種の起源』を出版したのと同じ年でした。
 これらの写本は、キング・ジェームズ版聖書に対する二つの主要な攻撃材料として使われました。
ティッシェンドルフ
ティッシェンドルフ
シモニデス
シモニデス氏
 このシナイ写本は1840年代にコンスタンティン・シモニデス氏によって書かれました。
 シモニデス氏が書いた後で、それは紅茶で薄黒くされました。
写真
(↑だれがシナイ写本を薄黒くしたのか?参照。クリックで拡大)

 けれども、その写本の21葉は薄黒くされず、それらは今日でも真っ白なままです。
 どうして、その21葉以外のすべての写本を薄黒くすることができたのでしょうか?
 ティッシェンドルフは自分の写本をローマ教皇ピウス9世(在位1846年〜1878年)に献げ、彼の好意を得ました。

ティッシェンドルフ カトリック
 ローマ・カトリック教会が手にしたこの二つの写本は、ウェストコットとホートにより聖書本文WHを創り出すために使われ、その本文が、現代の多くの聖書の土台となりました。

ネストレ聖書本文の誕生(1898年)
 1898年、エバハルト・ネストレという人物が『ギリシャ語新約聖書』の第一版を創りました。それは、ティッシェンドルフ(シナイ写本発見者)の写本と、ホートおよびウェストコットの本文WHと、ウェイマウスの本文から成り立っていました。(1901年、彼はウェイマウスの本文を、1894年のベルンハルト・ヴァイスの本文で置き換えました)

WH
+ティッシェンドルフ
シナイ写本発見者)の写本
+ウェイマウスの本文




ローマ・カトリック監督下となった聖書
 さて、ここで、『ネストレ-アーラントによるギリシャ語聖書本文』の第27版から引用したいと思います。
 それは、現代の多くの聖書がローマ・カトリックに由来するものであることについて、否定できない証拠を示しています。
 現代のどの聖書にもプロテスタントの翻訳者たちが存在するかもしれませんが、彼らは、バチカンローマ教皇庁)の支配下にある監督権に対しては、補助的(付随的)なのです。
 以下の引用箇所は、『ネストレ-アーラント版聖書本文』第27版(2006年)の45ページで確認することができます。
 私がこの引用をする前に、知っておくべき重要なことがあります。それは、『ネストレ-アーラントによるギリシャ語聖書本文』第27版、および、『UBS版聖書本文』第4版の両方に関わった編集者の一人が、カルロ・マルティニという名前の、イエズス会の枢機卿であったことです。
 このことは、彼らがローマ・カトリックあの二つの写本を使っただけでなく、ローマ・カトリック枢機卿編集者として関わったことも意味します。
 ローマ・カトリック教会の正当性に嫌疑をかけるものが出版されることを枢機卿が許可すると、みなさんは本気で考えるでしょうか?

 「1955年、K.アーラントは、M.ブラック、B.M.メッツガー、A.ウィグレンとともに(その後はC.M.マルティニも加わって)、『ギリシャ語新約聖書』を作成するための編集委員会に参加するよう招かれた。それは、数々の選択された箇所に関する研究資料付きのギリシャ語本文であり、世界の聖書翻訳者たちが利用するために意図されたものである(第一版:1966年、第二版:1968年)。
 『ネストレ-アーラント版聖書本文』および『UBS版聖書本文』の二つの版の作業は、しばらくの期間、平行して行われた。
 その結果、 ネストレ-アーラント版聖書本文第26版(1979年)と、UBS版聖書本文第3版(1975年)は、土台となる同じ本文を共用した。
 この二つの聖書本文によって共用された本文は、世界各国の聖書協会によって採用された。
 そして、バチカン(ローマ教皇庁)と聖書協会世界連盟(UBS)との間での協定注2に従って、この本文は、彼らの監督の下で作成される新たな翻訳聖書および改訂版の土台として用いられている。
 このことは、異なる宗派間での関係に関して、意義深い一歩である」

ネストレ-アーラント版聖書本文』第27版(2006年),p.45 

カトリックの監督下となった聖書(1968年〜)
マイケル・ラムゼイ + カトリック

=

ネストレ-アーラント版/UBS版の聖書
  
  
聖書 新改訳2017 聖書協会 共同訳
聖書 新改訳2017 聖書協会 共同訳



 下線箇所を見れば、彼らが何も隠していないことがはっきりわかるはずです。
 現代の多くの聖書の背後のギリシャ語本文は、バチカンローマ教皇庁)の監督下にあるのです。
 現代の多くの聖書がこれらのギリシャ語本文を使っており、このことは、聖書に 何を含め、何を削除するかがローマ・カトリック教会によって決められているということを意味します。
 それで、現代の多くの聖書はバチカンにとって非常に好都合なものとなっており、ローマ・カトリックの数々の聖書と合致しているのです。

《出典 : ケン・マット博士(Dr. Ken Matto) "Your Modern Version is Roman Catholic"》  

……………………
注1)NKJV(ニュー・キング・ジェームズ版聖書)はKJV(キング・ジェームズ版聖書)の改訂版ではありません。→Does the New King James use the same texts as the old King James?

注2バチカン(ローマ教皇庁)UBS:聖書協会世界連盟とともに発行した、聖書翻訳における異なる宗派間の協同のためのガイドラインは、1968年に発行され、1987年にその改訂版が発行されました。

 「1968年、UBS:聖書協会世界連盟バチカン(ローマ教皇庁)は、異なる宗派間での聖書翻訳プロジェクトに取り組む合同協定を結んだ。…」(David W.Daniels,"Did The Catholic Church Give Us The Bible?",p.148)



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歴史R WH本文と英語聖書RV
1 1881年に登場したWH本文と英語聖書RV
2 聖書協会TBSUBS
3 ネストレ版/UBS版聖書本文とは?
4 聖書を編集するリベラル派の人々
5 ネストレ-アーラント版/UBS版聖書本文の検証
6 「ルシファー」という語が削除された聖書
7 ローマ・カトリックの監督下となった聖書
8 プロテスタントの聖書とカトリックの聖書


新約聖書改ざんの歴史概観


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