聖書の歴史CX-1 聖書の歴史 目次 

《神の摂理TR


 エドワード・F・ヒルズ博士二十世紀最大のTR擁護者と言われています)は、聖書の教えに反する本文批評の歴史とその間違いルーツをわかりやすく述べるとともに、聖書自体が記している『聖書の摂理的保持』の教えに基づくTRこそ真の新約聖書本文であることを証明しています


1 聖書に対する二つの手法



 自らを正統派のクリスチャンであると称しながら、「新約聖書を信仰の視点から研究すべきではなく、中立的な視点から研究すべきである」と主張する学者が多くいます。注1
 彼らは、「新約聖書は、それ以外の古代文書を取り扱うのと全く同じように取り扱うべきだ」と主張します。こうして彼らは、この中立的原則の唱道者として知られるウェストコットとホートの追従者となっています。
 以下のページでは、この中立的、自然主義的新約聖書本文批評学間違いを指摘し、それが懐疑主義(聖書に対する『疑い』『否定』)と現代主義に至った次第を示すことにします。
 以下に示す新約聖書本文批評学の歴史の概略により、自然主義的な手法を用いることが、必然的に、この懐疑主義に至らせるものであることがわかってきます。
エドワード・F・ヒルズ  


A 宗教改革の時代…新約聖書本文に対する神学的アプローチ

 新約聖書が初めて印刷された1516年(プロテスタント宗教改革の始まる一年前でした)より前から新約聖書本文批評が始まっていたと言うのは、適切ではあり得ません。
 したがって、最初の新約聖書本文批評学者は、エラスムス(1466年〜1536年)などの編集者たちと、ステファヌス(1503年〜59年)などの印刷者たち、および、カルヴァン(1509年〜64年)やベザ(1519年〜1605年)などの改革者たちでした。
エラスムス
エラスムス
ステファヌス
《ステファヌス》
ベザ
《ベザ》
 カルヴァンの注解書やエラスムスおよびベザの注釈を調べてわかるのは、これら十六世紀の学者たちは、何らかの明確に定義された体系としての新約聖書本文批評学を作り出したわけではなかったことです。
 彼らは、聖書のこの分野の研究を整然としたやり方で行ってはいませんでした。
 新約聖書の正典および本文に関する彼らの所見の中には、彼らが育ったヒューマニズム(人間中心主義)の文化を反映しているものもあります。
 ただし、彼らが実際に行った新約聖書編集と印刷においては、彼らは、この『受け入れられた本文』Textus Receptus)への『共通の信仰』によって導かれたのです。
【共通の信仰】
  • ずっと前から、だれからも認められてきた一つの基本理念
  • 何世紀にもわたって共通のこととして(一般に・普通に)信じられてきたこと
 聖書に約束されている通り、聖霊はいつの時代でも、神と神のことばである聖書を正しく信じており、霊的に新しく生まれ変わっており、聖霊が内住しておられ、知性が一新されている聖徒たちを正しい方向に導いてこられました。
(ヨハネ14・26、使徒15・25、27、第一ヨハネ2・20、ローマ12・2参照)

 というのも、ローマ教皇およびローマ・カトリックの教理体系に対抗して彼らが新約聖書に訴えた際、これら改革者たちは何か目新しいことを導入しようとしていたのではなく、宗教改革よりずっと前から、だれからも認められてきた一つの基本理念をよりどころとしていたからです。
 それは何世紀にもわたって共通のこととして(一般に・普通に)信じられてきたことです。
 すなわち、現在の(現行の)受け入れられている新約聖書本文(第一義的にはギリシャ語本文であり、第二義的にはラテン語本文)こそが、真の新約聖書本文であることです。
 それゆえ、この印刷されたTextus ReceptusTR)は、エラスムスおよび彼の継承者たちの編集作業を通し、神の導きの御手の下で、この共通の信仰から生まれたのです。
 したがって、宗教改革の時代、新約聖書本文に対するアプローチは、神学的なものであり、聖なるみことばに対するこの共通の信仰によって統治されたものでした。
 そのため、この初めの時期でも、『新約聖書の本文批評』は、『それ以外の古代文書の本文批評』とは異なるものでした。


B 合理主義の時代…新約聖書本文に対する自然主義的アプローチ

 十七世紀の始まり以降、合理主義者たちが台頭するようになりました。
 彼らは新約聖書本文に対する神学的アプローチを捨て、その代わりに、自然主義的アプローチを採用しました。
 この自然主義的アプローチとは、新約聖書の本文と、純粋にだれか人間の書物との間に、どんな区別もしないものです。
 彼らは、あの『共通の信仰』否定し、新約聖書本文を完全に世俗の方法で扱いました。

【自然主義的アプローチ】
  • 新約聖書の本文と、純粋にだれか人間の書物との間に、どんな区別もしない
  • 『共通の信仰』否定し、新約聖書本文を完全に世俗の方法で扱う
  1. そういう合理主義者たちの中で最も有名な人物の一人は、ヒューゴ・グロティウス(著名なオランダ人政治家であり神学者。1583年〜1645年)でした。
     グロティウスは新約聖書本文に、『推測』による修正を数多く行いました。注2
     それは、当時、古代の古典文書の編集において通例となっていた手順でした。

  2. また、1658年、ステファン・コーセレズ(オランダ・アムステルダムのアルミニアン大学の教授)は、ある新約聖書を発行することにより、この流れを継続させました。
     その『聖書』には、グロティウスのいくつかの『推測』や、新約聖書の写本から取られた『相違する読み方』を彼自身が無差別に混ぜ合わせたものも含まれていました。注3
    コーセルズのこの行為は正統派クリスチャンたちの間に警戒感を生じさせ、新約聖書本文の問題に新たな関心の目を向けさせることとなりました。

  3. 1675年、ジョン・フェル(英国国教会の監督、後にオックスフォードの司教)は、この問題に対する新たな方法を提案しました。
    「新約聖書の数々の写本の中の、相互に相違している箇所で、我々は、その原初の使徒的著者のことを考えるよりも、それらの写本を書き写した書記者たちのことを考えるべきだ。そういう書記者たちがどういう方法でミスを犯したのか、そのさまざまな方法に注目することにより、我々は偽りの読み方を探し出すことができるはずであり、こうして最終的には消去法によって真の読み方に到達できるはずだ」 注4

  4. この提案はゲアハルト・フォン・メストリヒト(ドイツ・ブレーメン市の役人)により真剣に受け留められ、彼は1711年、新約聖書本文批評学のための43のルールを刊行しました。それらのルールのほとんどは、書記者たちが犯しそうな間違いを扱っているものでした。注5
     そして、「新約聖書の霊感された著者たち」から「それを書き写した霊感されていない書記者たち」への注目点の移行は、完全に自然主義的な新約聖書本文批評学へ向けてのさらなる一歩でした。

  5. 1720年、リチャード・ベントレー(1662年〜1742年。著名なケンブリッジ大学の学者)は、完全に自然主義的な手法の新約聖書本文批評学を提案しました。
     彼が主張したのは、印刷されたギリシャ語新約聖書本文も、大多数の写本の読み方も退けること、そして、最古のギリシャ語新約聖書写本をラテン語ウルガタ聖書の最古の写本と比べることによって、新たな本文を作り出すことでした。

  6. J.A.ベンゲル(1687年〜1752年)は、新約聖書の本文批評の分野以外は、ドイツ・ルター派の正統派の人でした。彼はベントレーのように、合理主義に傾倒しました。
     彼は聖書の摂理的保持の教理を信じていると主張していましたが、新約聖書本文を扱い始めると、この教理を役に立たない原則であるかのように棚上げにしたのです。
     彼が強調したのは、「易しい読み方より、むずかしい読み方のほうを選ぶべきだ」という彼自身が定めたルールでした。注6
     彼はこう主張しました。
    「理解するのが困難な読み方と、理解しやすい読み方のどちらかを選ぶ際、その困難な読み方のほうが真の読み方である。なぜなら、正統派の書記者たちはいつでも、困難な読み方を変えて易しい読み方に変えてきたからだ」

     したがって、ベンゲルによれば、正統派のクリスチャンたちが彼ら自身の新約聖書本文を改ざんしてきたことになります。
     この仮説は、『神はご自分の特別な摂理により、代々を通じ、信者たちが使用する中で、真の本文保持してこられた』という聖書の摂理的保持の教理の否定に通じるものでした。
     それゆえ、ドイツの保守的クリスチャンたちにより、ベンゲルに対して激しい抗議が起きたのも、何ら不思議ではありません。


C 啓蒙思想の時代…新約聖書本文に対する懐疑主義的アプローチ

 十八世紀後半のドイツは、啓蒙思想の時代でした。ドイツでは、プロシアを46年間(1740年〜86年)統治した『哲学者の国王』フレデリック二世により、合理主義が積極的に奨励されました。そのような状況下で、自然主義的な手法の新約聖書本文批評に固有の懐疑主義(聖書に対する『疑い』『否定』)が、はっきりと露呈されました。
  1. ヨハン・セムラー(1725年〜91年。ハレ大学教授)は本文批評学者として初めて、こう主張しました。
    「新約聖書写本は、古代の書記者たちによって単に書き写されてきただけでなく、編集もされてきたのだ」注7

    彼は、新約聖書本文に関する独自の大胆な推測も行いました。
    たとえば、彼は、こう信じました。
    「第二コリント9章は、書記者たちによって、現在のその位置に後から挿入された断片である」とか、「ローマ16章は、元々はコリント人に宛てた手紙であって、間違ってローマ人への手紙にくっついてしまったのだ」注8

    また、それ以外のことでも、セムラーは自らを最初の現代主義者の一人であることを明らかにしました。
    彼は、こう信じました。
    「旧新約聖書の正典は徐々に成長してきたのであって、それゆえ聖書は霊感されてはいない

    セムラーによれば、「イエスと使徒たちの教えには、ユダヤ人の数々の概念が含まれており、その価値は、『特定の地域に限定されたもの』で『一時的なもの』にすぎない」とされました。注9

  2. J.J.グリースバッハ(1745年〜1812年。セムラーの弟子であり、イェナ大学教授)は、自らが新約聖書本文に関して懐疑主義者であることを早くから宣言しました。
    1771年、彼はこう書きました。
    「新約聖書は、意図的に導入された虚飾や付加や改ざんであふれており、それらは、それ以外のどの本よりも多くある」 注10

    彼は、「簡単な読み方より、困難な読み方のほうを、よしとすべきである」というベンゲルのルールに沿った思想を発展させました。
    彼はベンゲルと同様に、このルールを、「正統派のクリスチャンたちが彼ら自身の新約聖書本文を腐敗させてきた」ことを意味するものと解釈しました。注11
    グリースバッハによれば、新約聖書写本が互いに相違する場合は常に、正統派の読み方のほうを偽りとして、ただちに除外されました。さらに彼はこう書きました。
    「一つの箇所で相違する読み方が多くある場合、正統派の教理を明らかに支持する読み方を偽りとみなすのがふさわしい」

  3. グリースバッハの懐疑主義を、J.L.ハグ(1765年〜1846年)も共有しました。
    1808年、ハグは、こういう理論を主張しました。
    「第二世紀に新約聖書本文は大きく退廃して腐敗したものとなり、現存する新約聖書本文は、その腐敗した本文を編集して改訂したものにすぎない」

  4. また、カール・ラハマン(1793年〜1851年)は、この同じ懐疑主義の流れを継続させました。彼は、こう信じました。
    「現存の写本からは、第四世紀以前にさかのぼる本文を構築するのは不可能だ

    この再構築された四世紀の本文と原初の本文との間のギャップを埋めるために、ラハマンは、『推測による校訂』を行うことを提案し、1831年、彼は自分の見解を反映させたギリシャ語新約聖書を発行しました。注12

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D ウェストコットとホート消えていった

 シナイ写本とバチカン写本は、トリゲレスやティッシェンドルフにより学者たちに広められました。
バチカン写本
バチカン写本
1481年"出現"
シナイ写本
シナイ写本
1862年"出現"

 1881年、ウェストコットホートは『序論』を発行し、その中で、この新たな情報(シナイ写本とバチカン写本)を土台として新約聖書本文決定しようとしました。

B.F.ウェストコット
ウェストコット
  • 悪霊との「交信」を行った。
  • 幽霊ギルド』を設立。
    心霊術に関わった。
  • 進化論を支持
  • イエス・キリストの神性を否定
  • 聖書の霊感を否定
F.J.A.ホート
ホート
  • 悪霊との「交信」を行った。
  • 幽霊ギルド』を設立。
    心霊術に関わった。
  • 進化論を支持
  • イエス・キリストの神性を否定
  • 聖書の霊感を否定

 彼らが提起した理論は、こういうものでした。
「原初の新約聖書本文は、この二つの写本によって(特にバチカン写本によって)ほぼ完全な状態で生き残ってきた」

 この理論は、ただちに大いに人気を博し、リベラル派の人々にも保守派の人々にも、いたるところで受け入れられていきました。
 リベラル派の人々がそれを好んだ理由は、それが新約聖書本文批評という学問の中で最新の理論を代表するものであったからです。
 保守派の人々がそれを好んだ理由は、彼らが探し求めているあの安心感(保証)を彼らに与えてくれるように見えたからです。
 ところが、この安心感(保証)は、信仰に全く土台を置いていないものであったため、長続きしないものであることがわかってきました。
 というのも、この理論を作り出す際、ウェストコットとホートは本質的に自然主義的な手法に従ったからです。
 実に、彼らは
  • 新約聖書の本文の扱い方を、それ以外のどんな書物の本文の扱い方とも同じようにしていることを自慢しており、
  • 聖書の霊感摂理のことをほとんど、あるいは全くないがしろにしているのです。
 ホートはこう書きました。

「我々は、他の古代文書の本文に対しては合理的に適用できないようなこと(すなわち、聖書の霊感摂理)は、あえて考慮に入れない注13

 やがてウェストコットとホートの理論は、リベラル派や急進派の陣営で力を失っていきました。
  • 1899年、ブルキット注14)がハグの理論を復活させました。
     すなわち、「現存する本文はどれも、失われた原初の本文編集した改訂版である」というものです。
     この立場は、その後、ストリーター注15)および他の本文批評学者たちに採用されました。
  • グリースバッハおよび初期の批評学者たちの懐疑主義復活されました。
    1908年、レンダル・ハリスは、こう言いました。
    「新約聖書本文はこれまで少しでも決定されたことはなかったし、おそらく最後まで決定されないままであろう」注16

  • 二年後、コニーベアは自分の意見として、こう言いました。
    「究極の新約聖書本文と呼ばれるに値するものがたとい存在したとしても、それは永遠に回復不能だ」注17

  • そして1941年、キルソップ・レイクは、新約聖書本文の研究に生涯を費やした後で、次のような判断を下しました。
    「ウェストコットとホート、およびフォン・ゾーデンが何と主張しようとも、私たちは原初の形態の福音書を知っていません。そして、私たちがこれから知るようになることも、全くありそうにないことです」注18

 ウェストコットとホートは、グリースバッハの名を「他のすべての新約聖書本文批評学者にまさる」ものとして「大いに尊ぶ」ことを公言しました。注19
 グリースバッハと同様に、彼らは、「正統派のクリスチャン書記者たちが、正統派に有利になるように新約聖書写本改ざんしてきたのだ」と信じたのです。
 したがって、彼らはグリースバッハと同様に、「信者たちが使用してきたことを通して、新約聖書本文摂理的に保持されてきた」こと(新約聖書本文の摂理的保持の教理)の可能性を、前もって除外したのです。
 しかし、それと同時に、彼らは、「異端者たちが、新約聖書本文に何らかの意図的変更を行った」ことを否定することに非常に熱心でした。彼らはこう書きました。
「新約聖書の読み方で、間違いなく偽りの読み方が数多くある中で、『教理上の目的のために意図的改ざんがなされた徴候は全くない』という我々の信念を、ここではっきり表明することは場違いではないであろう」注20

 この偏った理論には、大多数の新約聖書写本の中に見出される本文を"有罪"とし、バチカン写本とシナイ写本の本文を"無罪"とする効果がありました。
  • けれども、この明白な偏見レンダル・ハリス(1926年)には通用しませんでした。
    彼はバチカン写本とシナイ写本を含むすべての写本を強く否定しました。
    彼は、それらはどれも、「教理上の(目的のための)改ざん」に「確かにまみれている」と主張しました。注21

 二十世紀が進展する中で、それ以外の著名な学者たちも、ますます懐疑的(聖書に対する『疑い』『否定』)になっていきました。
  • たとえば、1937年、F.G.ケニヨンはグリースバッハの主張を復活させました。
     すなわち、「新約聖書の本文は、それ以外の古代文書の本文ほど正確に保持されてはこなかった」という主張です。注22


ウェストコットホートの心霊術との関わり  改ざん英語聖書RVの誕生

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E 第二次世界大戦後の新約聖書本文批評学

 第二次世界大戦以降、自然主義的な手法新約聖書本文批評学者の側には、姿勢の変化はほとんどありません。
 原初の新約聖書本文の回復に関して言えば、悲観論時代の風潮となっています。
  • ギュンター・ツンツ(ドイツ人古典哲学者。1902年〜92年)は、こう述べています。
    「初期の編集者たちの楽観論は、懐疑主義に道を譲った。
     それは、『原初の本文』を「到達できない蜃気楼(しんきろう)』とみなす方向に傾いている」注23

  • H.グリーベン(ドイツ人学者。1960年)も、自然主義的手法新約聖書本文批評不確実なものであることを認めました。彼はこう述べています。
    「概して、このすべてのことは、『確率判断』に限定されたものである。
     新約聖書の原初の本文は、一つの仮説であるにちがいなく、仮説のままであるにちがいない」注24

  • また、ロバート・M・グラント(アメリカ人神学者。〜2014年)は、よりいっそう絶望的に表現しています。彼はこう述べています。
    「新約聖書本文研究の第一目標は、いまだに、『新約聖書の記者たちが書いたことの回復のままである。
     我々がすでに示唆してきたように、この目標の達成は、不可能にきわめて近い注25

  • ケネス・W・クラーク(アメリカ・デューク大学教授。 〜1979年)も希望的ではありません。彼はこう述べています。
    「原初の本文が一つでも回復されることの証拠が存在するというのは、疑わしいことかもしれない」注26

  • そして、クルト・アーラント(〜1994年)によれば、初期の新約聖書本文の特徴は、さまざまなバリエーション(変化形)があることだとされています。注27

クルト・アーラント
写真

聖書学者アーラント『疑い』『否定』
  • 彼は、聖書の逐語霊感否定しました。
  • 彼は、エキュメニカルな新たな正典聖書(外典を含むもの)を受け入れました。
  • 彼は、リベラル派であり、聖書の各書の正典性を疑いました。
  • 彼は、聖書を神のことばとは信じませんでした。


《出典 : The King James Version Defended 第三章 エドワード・F・ヒルズ著》


さらに深い理解のために(英語)
The King James Version Defended 第三章 1エドワード・F・ヒルズ博士著
The history of naturalistic textual criticism(自然主義の聖書本文批評学の歴史)
さらに深く学ぶためのリンク集


……………………………………………
注1)"Should Conservatives Abandon Textual Criticism?," by Marchant A. King, Bibliotheca Sacra, vol 130 (January-March, 1973), pp. 35-40
注2) Hugonis Grotii, Annotationes, vol 1, Amsterdam, 1641; vol. 2, Paris, 1646; vol. 3, Paris, 1650.
注3)S. Curcellaei, Novum Testamentum, Amsterdam, 1658.
注4)Novi Testamenti Libri Omnes. Oxford, 1675, Preface.
注5)J. A. Bengel, Gnomon of The New Testament trans. by J. Bandinel, Edinburgh; T. & T. Clark, 1840, vol. 1, pp. 20-37.
注6)J. A Bengel, Novum Testamentum, Graecum, Tubingae: George Cotta, p. 385.
注7)Apparatus ad Liberalem Novi Testamenti Interpretationem, Halae, 1767, pp. 44-50.
注8)D. Io. Sal Semleri, Paraphrasis 11. Epistolae ad Corinthos, Halae, 1776, Preface.
注9)NSHE, Article, "Semler."
注10)J J. Griesbach, Opuscula Academica, Jena, 1824, vol. 1, p. 317.
注11)J. J. Griesbach, Novum Testamentum Graece, editiosecunda, Londinin, 1809, vol. 1, pp. 63-71.
注12)Theologische Studien und Kritieken, Hamburg: 1830, pp 817-845. Novum Testamentum, Graece et Latine, Berlin: 1942, p v. xxxi.
注13)The New Testament in the Original Greek, vol. 2, Introduction and Appendix, London: Macmillan, 1881, p. 277.
注14)TS, vol. 5 (1899), p. xviii.
注15)The Four Gospels, by B. H. Streeter, London: Macmillan, 1924, pp. 111-127.
注16)Side Lights on New Testament Research, by J. Rendel Harris, London: James Clarke & Co., 1908, p. 3.
注17)History of New Testament Criticism, by F. C. Conybeare, London; Watts & Co., 1910, p. 129.
注18)Family 13 (The Ferrar Group), by K. & S. Lake, Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 1941, p. vii.
注19)N. T. in Greek, vol. 2, p. 185.
注20)Idem, p. 282.
注21)Bulletin of the Bezan Club, III: Nov., 1926, p. 5.
注22)The Text of the Greek Bible, by F. G. Kenyon, London: Duckworth, 1937, pp. 244-246.
注23)The Text of the Epistles, by G. Zuntz, London: Oxford University Press, 1953, p. 9.
注24)Der Urtext des Neuen Testaments, Kiel: Hirt, 1960, p. 20.
注25)A Historical Introduction To The New Testament, by R. M. Grant, New York: Harper & Rowe, 1963, p. 51.
注26)"The Theological Relevance of Textual Variation in Current Criticism of the Greek New Testament," by K. W. Clark, JBL, vol. 85 (1966), p. 16.
注27)"Bemerkungen zu den gegenwartigen Moglichkeiten textkritischer Arbeit," by Kurt Aland, NTS, vol. 17 (1970), p. 3.


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……


聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された現代版『新約聖書』
  1. シナイ写本確実偽造物です! 七つ証拠
  2. バチカン写本確実偽造物です! 偽造者らの失態
  3. 19世紀偽造者が書いたもの』読ませられている人々






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