聖書の歴史CX-5 聖書の歴史 目次 |
|
【1】聖書の誤りなき霊感 聖霊は、イエス様が地上で働きをされた期間、彼が信じて教えられた聖書についての見解と同じ見解を私たちも持つよう促されます。 イエス様は、聖書の「高等批評」の人々の理論をはっきりと否定されました。 彼は、モーセも(マルコ12・26)、ダビデも(ルカ20・42)、そしてダニエルも(マタイ24・15)、旧約聖書で彼らに割り当てられているそれらの書の著者たちの名前として認めておられました。 さらにイエス様は、それら旧約聖書の各書がすべて一緒に結び合わされ、一冊の聖なる誤りなき書物の形態とされたものを、『聖書』とお呼びになりました。
パウロは、こう言っています。
またペテロは、こう言っています。
聖書は、それを通して神が語られた『生ける託宣のことば』でした(使徒7・38)。 それは保管のためにユダヤ人に信託されていました(ローマ3・2)。 それは神的知識の諸要素を含んでおり(ヘブル5・12)、クリスチャンたちは自分の語ることを、それにならって語るべきです(第一ペテロ4・11)。 使徒たちにとって、「こう書かれている」とは、「神がこう言われる」と等しいことでした。 イエス様は、ちょうど旧約聖書がそうであったのと同様に、新約聖書が誤りなく霊感されるようになることを約束されました。 彼は弟子たちにこう言われました。
聖霊は使徒たちに主の教えを思い起こさせ、その意味を理解できるようにしてくださる、とイエス様は誓約されました。
そして、それらの約束はペンテコステの日から成就されていきました。 その日、ペテロは霊感を受けて、キリストの死と復活の意味を初めて告げ知らせました(使徒2・14〜36)。 パウロもこの同じ神の霊感を自覚していました。
また、ヨハネの黙示の最後の章で、使徒ヨハネは、彼の霊感がリアルなものであることを、最強の用語で主張しています(黙示22・18、19)。 ですから、イエス様と彼の使徒たちは、旧約聖書も新約聖書も、誤りなく霊感された神のことばであるとみなされたのです。 そして聖霊も、私たちの心の内で証ししておられて、この見解がまちがってはいなかったことを私たちに確証しておられるのです。 |
【2】聖書の永遠の起源 イエス様は地上におられた時、ご自分のメッセージが永遠のものであること、ご自分が語られたことばそのものが世界の創造されるより前に父なる神によりご自分に与えられていたことを、絶えず確証して語られました。 彼は、信じていない群衆に、こう語られました。
またイエス様は『大祭司としての祈り』(ヨハネ17章)の中で、ご自分が使徒たちに語ったことばが永遠において(永遠の中で)父なる神によりご自分に与えられていたことを、はっきり述べておられます。
それゆえ、聖書は永遠のものなのです。 神が永遠において恵みの契約を確立された時、彼はご自分の御子イエス・キリストに、『永遠の命のことば』をお与えになりました(ヨハネ6・68)。 そのことばとは、キリストがご自分民の救いのために天からもたらしてくださったものであり、そして今や聖書の中に記述されてとどまっているものです。 聖書は永遠のものです。 これは、神のことばであられるイエス・キリストが、ヘブル語やギリシャ語が彼の救いのメッセージの伝達のためにふさわしい媒介となるべく、摂理的に働かれたことを意味します。 したがって、聖書の記述において、聖霊は、現代主義者たちが主張するように、『人間の言語の制限と奮闘しなければならなかった』というわけではありません。 記述がなされたそれらの言語は、神の御思いの表現に完璧に適合するものとされたのです。
■聖書はどの時代とも関連がある 聖書が書かれたのは、ある特定の歴史上の期間でしたが、それらは、"その期間の産物"ではなく、神の永遠のご計画の産物なのです。 神が聖なるみことばを永遠において考案された時、彼は人間の歴史の全体を概観されたはずです。 したがって、聖書はどの時代とも関連があるのです。 それらのメッセージが廃れてしまうことは、決してあり得ないのです。
■聖書はあらゆる人々に関係がある 神は聖書で、私たちを含めて、あらゆる年齢の人に語りかけておられるのです。
|
【3】聖書の摂理的保持 聖書はどの時代とも関連があるゆえ、それは神の特別な摂理によって、代々を通じて保持されてきたのです。 聖書のこの摂理的保持が現実のことであることは、主の地上での御生涯で主ご自身によって語られました。
ここで主は、彼の地上で働きをされた時期、ユダヤ人たちの間で共通に使われていた旧約聖書本文が、『モーセおよびその他の霊感を受けた著者たちによって書かれた元の本文の、絶対的に信頼できる複製』であったことを私たちに確証しておられるのです。 その本文から何も失われたことはなく、また、これからも何も失われることがないのです。 そのような消失が起きることより、天と地が過ぎ去ることのほうが易しいことになるのです。 イエス様はまた、旧約聖書を保持してきたのと同じ神の摂理が、新約聖書をも保持することになる、と教えられました。 マタイの福音書の締めくくりの箇所に、彼の『大命令(委託)』が見出されます。 それは、十二使徒たちだけに対するものではなく、代々を通じての彼の教会に対してのものです。
この厳かな命令の中には、「神の摂理の働きを通して、教会は、イエス様の数々のことばや働きについての誤りなき記録をいつも所持し続けるようになる」という約束が含まれています。 そして、同様に、終わりの時代のことに関してイエス様が語られた中で、彼は、彼の数々の約束が確実に成就されることになるだけでなく、彼の二度目の来臨に先立つ患難の時期、それらの約束が彼の民への慰めのために利用可能なものとしてとどまることにもなる、と弟子たちに保証しておられるのです。 つまり、それらの約束のことばは、その時まで保持されているということです。
|
《出典 : The King James Version Defended 第四章 エドワード・F・ヒルズ著》
|
→次へ CX-6 |
●歴史CX 《神の摂理とTR》
1 聖書に対する二つの手法 2 現代主義の始まり…聖書の奇跡の否定 3 自然主義的本文批評を広めた人々 4 神の啓示が出発点です!! 5 『聖書を信じる学び』の3原則 6 一貫性のあるクリスチャンの『手法』 7 古代聖書と神の摂理 8 TRについての三つの見解 9 新約聖書本文の保持と『共通の信仰』 10 神に用いられたエラスムス 11 TRと伝統的本文の相違箇所 12 神の摂理を心に留めない批判者たち 13 神の摂理の継続・神が確証されたTR |
●さらに深い理解のために(英語)… ■The King James Version Defended 第四章 1(エドワード・F・ヒルズ博士著) ■The history of naturalistic textual criticism(自然主義の聖書本文批評学の歴史) ■《さらに深く学ぶためのリンク集》 |
ページの上へ↑ |
聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された |
→次へ CX-6 |
利用規約 Copyright C. エターナル・ライフ・ミニストリーズ |