聖書の歴史CX-5 聖書の歴史 目次 

《神の摂理TR

5 『聖書を信じる学び』の3原則


 『聖書を信じる学び』の3原則は、『聖書は本当に神のことばである』という、私たちが聖霊から受け取るこの確信の中に含まれています。
 これらは、以下の通りです。
1聖書の誤りなき霊感
2聖書の永遠の起源
3聖書の摂理的保持
エドワード・F・ヒルズ  


1聖書の誤りなき霊感

 聖霊は、イエス様が地上で働きをされた期間、彼が信じて教えられた聖書についての見解と同じ見解を私たちも持つよう促されます。
 イエス様は、聖書の「高等批評」の人々の理論をはっきりと否定されました。
 彼は、モーセも(マルコ12・26)、ダビデも(ルカ20・42)、そしてダニエルも(マタイ24・15)、旧約聖書で彼らに割り当てられているそれらの書の著者たちの名前として認めておられました。
 さらにイエス様は、それら旧約聖書の各書がすべて一緒に結び合わされ、一冊の聖なる誤りなき書物の形態とされたものを、『聖書』とお呼びになりました。
    イエス様は、これらの聖書
  • 聖霊によって霊感されていること(マルコ12・36)
  • それらの内の一語たりとも否定できないこと(ヨハネ10・35)
  • それらの内の一小片でも消滅することがあり得ないこと(マタイ5・18)
  • そして、それらの内に書かれているどんなことも神的権威があるものであること(マタイ4・4、7、10)
  • を信じておられました。
 旧約聖書のみことばについても、それと同じく崇高な見解がキリストの使徒たちによっても維持され、教えられました。
 パウロは、こう言っています。
聖書はどれも、神が息を吹き込まれたもので、…」(第二テモテ3・16)


 またペテロは、こう言っています。
聖書のどの預言も、自分勝手に解釈され なぜなら、かつて預言が人間の意志によってもたらされたことはないからです。
 そうではなく、神の聖なる人々が聖霊によって運ばれつつ語ったのです」(第二ペテロ1・20、21)

 聖書は、それを通して神が語られた『生ける託宣のことば』でした(使徒7・38)。
 それは保管のためにユダヤ人に信託されていました(ローマ3・2)。
 それは神的知識の諸要素を含んでおり(ヘブル5・12)、クリスチャンたちは自分の語ることを、それにならって語るべきです(第一ペテロ4・11)。
 使徒たちにとって、「こう書かれている」とは、「神がこう言われる」と等しいことでした。
 イエス様は、ちょうど旧約聖書がそうであったのと同様に、新約聖書誤りなく霊感されるようになることを約束されました。
 彼は弟子たちにこう言われました。

「私には、あなたがたに言うべきことがまだ多くありますが、あなたがたは今は耐えることができません。
 けれども、その方、真理の御霊が来られる時、彼はあなたがたをすべての真理に道案内されます。
 なぜなら、彼はご自分から話されるのではなく、何でもご自分が聞かれることを話され、来ようとしていることをあなたがたに知らせてくださるからです」(ヨハネ16・12、13)


 聖霊は使徒たちに主の教えを思い起こさせ、その意味を理解できるようにしてくださる、とイエス様は誓約されました。

「けれども、慰め主、すなわち父が私の名によって送ろうとしておられる聖霊、その方が、あなたがたにすべてのことを教えてくださり、私があなたがたに語ったすべてのことをあなたがたに思い起こさせてくださるようになります」(ヨハネ14・26)

 そして、それらの約束はペンテコステの日から成就されていきました。
 その日、ペテロは霊感を受けて、キリストの死と復活の意味を初めて告げ知らせました(使徒2・14〜36)。
 パウロもこの同じ神の霊感を自覚していました。

「もしだれかが自分を預言者か霊的な人であると思うなら、その人は、私があなたがたに書いていること主の命令であるということをはっきり知りなさい」(第一コリント14・37)


 また、ヨハネの黙示の最後の章で、使徒ヨハネは、彼の霊感がリアルなものであることを、最強の用語で主張しています(黙示22・18、19)。
 ですから、イエス様と彼の使徒たちは、旧約聖書も新約聖書も、誤りなく霊感された神のことばであるとみなされたのです。
 そして聖霊も、私たちの心の内で証ししておられて、この見解がまちがってはいなかったことを私たちに確証しておられるのです。


2聖書の永遠の起源

 イエス様は地上におられた時、ご自分のメッセージが永遠のものであること、ご自分が語られたことばそのものが世界の創造されるより前に父なる神によりご自分に与えられていたことを、絶えず確証して語られました。
 彼は、信じていない群衆に、こう語られました。

「私は私自身から話したのではなく、私をお送りになった方である父ご自身が、私が何を言い、また何を話すべきか、私に命令をお与えになったからです。
 また私は、彼の命令永遠の命であることを知っています。
 それゆえ、私が話していることは、父が私に言われた通りに、そのように話しているのです」(ヨハネ12・49、50)


 またイエス様は『大祭司としての祈り』(ヨハネ17章)の中で、ご自分が使徒たちに語ったことばが永遠において永遠の中で)父なる神によりご自分に与えられていたことを、はっきり述べておられます。

「あなたが私にお与えになったことばを、私が彼らに与えてきた…」(ヨハネ17・8)

 それゆえ、聖書は永遠のものなのです。
 神が永遠において恵みの契約を確立された時、彼はご自分の御子イエス・キリストに、『永遠の命のことば』をお与えになりました(ヨハネ6・68)。
 そのことばとは、キリストがご自分民の救いのために天からもたらしてくださったものであり、そして今や聖書の中に記述されてとどまっているものです。
 聖書は永遠のものです。
 これは、神のことばであられるイエス・キリストが、ヘブル語やギリシャ語が彼の救いのメッセージの伝達のためにふさわしい媒介となるべく、摂理的に働かれたことを意味します。
 したがって、聖書の記述において、聖霊は、現代主義者たちが主張するように、『人間の言語の制限と奮闘しなければならなかった』というわけではありません。
 記述がなされたそれらの言語は、神の御思いの表現完璧に適合するものとされたのです。

「イェホバよ、あなたのことばは天において永遠に確立しています」(詩篇119・89)


聖書はどの時代とも関連がある

 聖書が書かれたのは、ある特定の歴史上の期間でしたが、それらは、"その期間の産物"ではなく、神の永遠のご計画の産物なのです。
 神が聖なるみことばを永遠において考案された時、彼は人間の歴史の全体を概観されたはずです。
 したがって、聖書はどの時代とも関連があるのです。
 それらのメッセージが廃れてしまうことは、決してあり得ないのです。

「草は干からび、花はしぼむ。
 しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40・8)


聖書はあらゆる人々に関係がある

 神は聖書で、私たちを含めて、あらゆる年齢の人に語りかけておられるのです。

「なぜなら、前に書かれたことはどれも、私たちを教えるために前に書かれたからです。
 聖書の忍耐と慰めを通して、私たちが望みを持つようになるためです」(ローマ15・4)



3聖書の摂理的保持

 聖書はどの時代とも関連があるゆえ、それは神の特別な摂理によって、代々を通じて保持されてきたのです。
 聖書のこの摂理的保持が現実のことであることは、主の地上での御生涯で主ご自身によって語られました。

「天と地が過ぎ去るまでは、律法から文字の一点あるいは一画も、すべてが起こるまでは、過ぎ去ることは決してないからです」(マタイ5・18)
「しかし、天と地が過ぎ去ることは、律法の文字の一画が落ちるよりも易しいのです」(ルカ16・17)

 ここで主は、彼の地上で働きをされた時期、ユダヤ人たちの間で共通に使われていた旧約聖書本文が、『モーセおよびその他の霊感を受けた著者たちによって書かれた元の本文の、絶対的に信頼できる複製』であったことを私たちに確証しておられるのです。
 その本文から何も失われたことはなく、また、これからも何も失われることがないのです。
 そのような消失が起きることより、天と地が過ぎ去ることのほうが易しいことになるのです。

 イエス様はまた、旧約聖書を保持してきたのと同じ神の摂理が、新約聖書をも保持することになる、と教えられました。
 マタイの福音書の締めくくりの箇所に、彼の『大命令(委託)』が見出されます。
 それは、十二使徒たちだけに対するものではなく、代々を通じての彼の教会に対してのものです。

「あなたがたは行って、すべての国々の民を弟子としなさい。…彼らに教えなさい」(マタイ28・19、20)

 この厳かな命令の中には、「神の摂理の働きを通して、教会は、イエス様の数々のことばや働きについての誤りなき記録いつも所持し続けるようになる」という約束が含まれています。
 そして、同様に、終わりの時代のことに関してイエス様が語られた中で、彼は、彼の数々の約束が確実に成就されることになるだけでなく、彼の二度目の来臨に先立つ患難の時期、それらの約束が彼の民への慰めのために利用可能なものとしてとどまることにもなる、と弟子たちに保証しておられるのです。
 つまり、それらの約束のことばは、その時まで保持されているということです。

「天と地は過ぎ去ります。
 しかし、私のことば決して過ぎ去りません」(マタイ24・35、マルコ13・31、ルカ21・33)


《出典 : The King James Version Defended 第四章 エドワード・F・ヒルズ著》


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さらに深い理解のために(英語)
The King James Version Defended 第四章 1エドワード・F・ヒルズ博士著
The history of naturalistic textual criticism(自然主義の聖書本文批評学の歴史)
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