聖書の歴史CX-7 聖書の歴史 目次 

《神の摂理TR

7 古代聖書神の摂理

エドワード・F・ヒルズ博士

エドワード・ヒルズ博士
エドワード・F・ヒルズ博士
伝統的本文から失われていた写本

 伝統的(ビザンティン型)本文がますます優位になりつつあった時期、その型の多くの写本が消滅してしまったにちがいありません。
 新約聖書学者キルソップ・レイクらの研究調査(1928年)は、その通りであったことを示しています。
 彼はこう述べました。

「第十世紀より前の年代の断片写本が、ごくわずかであるのは、なぜでしょうか?
 第四世紀から第十世紀までの間のビザンティン帝国が繁栄していた時代には、福音書の何千もの写本が存在していたはずです。
 ところが、現在も存在する写本は、ごく少数なのです」注1


 この研究調査の結果、レイクらが見出したのは、次のことでした。

「書記者たちが(写本から)書き写して聖なる文書(冊子)とした際、通常、それらの元の数々の写本(断片写本等)を破棄したということは、否定しがたい結論です」注2


 もしレイクの仮説が正しければ、廃棄されたと考えられるそれらの写本は、伝統的本文を含むものであったはずです。
 というのも、それら数々の写本こそ、第四世紀から第十世紀までの間に最も多く書き写された写本であったことは、その後の大多数のギリシャ語新約聖書の写本伝統的本文タイプ(型)であるという事実によって証明されているからです。
 さらに、ゴシック聖書も、紀元350年ごろに伝統的本文タイプ(型)の写本から作られましたが、もはや現存してはいません。
 それらの写本が消滅した理由も、おそらく、レイクの仮説で説明できるでしょう。


古代聖書と神の摂理

 新約聖書の本文に関して神の摂理的導きの対象であったのは、特にギリシャ語圏教会でした。
 なぜなら、それこそが、ギリシャ語新約聖書の管理が委託されてきた教会であったからです。
 ただし、この神の導きは、ギリシャ語を話すそれら古代のクリスチャンたちだけに限定されたものでは決してありませんでした。
 それとは反対に、古代の数々の新約聖書の中に、教会についてのこの神の導きの動き(すなわち、誤りのある偽りの読み方を避けさせ、真の信頼できる読み方へ向けさせる導き)を示しているものが見られます。
 その証拠を以下のように要約することができます。


1シリア語圏教会における神の摂理

 シリア語圏教会において、偽りの新約聖書本文を避けさせ、真の本文へと向けさせるこの神の導きが明らかに見られます。
 ブルキット(1904年)からブーバス(1954年)までの諸々の調査研究によれば、西方本文(タティアヌスによるディァテッサロン[福音書の調和]やシナイ-シリア写本など)は四世紀半ばまでシリア語圏教会で広く流通していました。
 ところが、その後、この侵入してきた西方本文は最後は退けられ、シリア語圏教会全体は古代のペシッタ・シリア聖書をふたたび使用するようになりました。
 それは、おおむね伝統的(ビザンティン型)本文です。
 つまり、ギリシャ語圏教会とともにシリア語圏教会神の導きの御手によって真の本文へと導かれたのです。


2ラテン語圏教会における神の摂理

 西方のラテン語圏クリスチャンたちの間で、古ラテン語聖書に代えてヒエロニムスラテン語ウルガタ聖書を作ったことは、伝統的(ビザンティン型)本文へ向けての動きとみなすことができます。
 ウルガタ新約聖書は改訂された本文であり、ヒエロニムス(384年)の主張では、彼が古ラテン語聖書を『古いギリシャ語の』写本と比較することによって作ったものです。
 ホートによれば、ヒエロニムスが用いたギリシャ語写本の一つは伝統的本文のタイプのものです。
 このことに関しては、ホートの判断は正しいようです。というのも、ラテン語ウルガタ聖書伝統的本文、少なくとも次のような非常に重要な箇所で一致していることが明らかだからです。
  • キリストの苦悩(ルカ22・43、44)
  • 「父よ彼らをお赦しください」(ルカ23・34)
  • 昇天(ルカ24・51)
 ケニヨン(1937年)は、西方型本文(古ラテン語聖書など)とアレキサンドリア型本文(シナイ写本、バチカン写本など)が福音書の中で互いに相違している、そのような24の箇所をリストに挙げています。
 それら24の事例の中で、ラテン語ウルガタ聖書が、
  • 西方型本文(古ラテン語聖書など)と一致するのは11回
  • アレキサンドリア型本文と一致するのは11回
  • 伝統的本文TRによって代表されるもの)一致するのは22回
  • です。
 事実、ラテン語ウルガタ聖書が伝統的新約聖書本文と異なる読み方で重要なのは、次の三つだけです。
  • 主の祈りの終わりの箇所(マタイ6・13)
  • 主の祈りのいくつかの語句(ルカ11・2〜4)
  • ベテスダの池の御使い(ヨハネ5・4)
 ただし、この最後の箇所については、ローマ・カトリック教会の公式のウルガタ聖書では、伝統的本文一致しています。

 もう一つの事実は、ラテン語ウルガタ聖書の中に、ホートの、いわゆる八つの『合成した読み方』なるものの内の四つが存在することです。
 それらの読み方は少しも『合成したもの』ではありません。それにもかかわらず、それらは確かに、伝統的本文の顕著な特徴の一つであるように見えるのです。
 そして、ラテン語ウルガタ聖書の中にある、それらの内の四つの存在は、ヒエロニムスがラテン語ウルガタ聖書の本文の作成において伝統的(ビザンティン型)本文を使ったと推測することにより、非常に容易に説明がつくのです。

ラテン語ウルガタ聖書からTRの中に盛り込まれた少数の真の読み方

 ギリシャ語の伝統的新約聖書本文よりもむしろ、ラテン語ウルガタ聖書真の本文を保持してきた少数の箇所も存在します。
 後で見るように、ラテン語ウルガタ聖書のそれら少数の真の読み方は、その後、神の導いておられる摂理の下で、最初に印刷された新約聖書本文であるTRの中に盛り込まれたのです。


3コプト語(エジプト)教会における神の摂理

 このように、四世紀と五世紀には、東方のシリア語を話すクリスチャンたちの間でも、ビザンティン帝国のギリシャ語を話すクリスチャンたちの間でも、そして西方のラテン語を話すクリスチャンたちの間でも、同じ動きが働いていたのです。
 すなわち、偽りの西方型本文およびアレクサンドリア型本文から、真の伝統的本文のほうへという、神の導かれた流れ(動き)です。
 さらに、それからいくらか後代になっても、この動き(傾向)はエジプトのコプト語のクリスチャンたちの間でも働いていました。
 たとえば、ケニヨンが行った24の箇所の検証では、エジプトのコプト語のボハイラ方言の聖書の数々の写本の12の事例が、シナイ写本やバチカン写本などとは一致せず、TRと一致していることが明らかにされています。
 このことは、これらの重要箇所においては、伝統的本文の読み方がコプト人書記者たちによって採用されてきたことを示しています。


正統派の伝統的本文へと向かう動き…それをどう説明するのか?

したがって、中世においてはどの国でも正統派の伝統的(ビザンティン型)本文へと向かう動きが現れていたのです。
 自然主義的本文批評学者たちは、この事実を、『修道院の敬虔さ』の影響に帰することによって説明しようとしてきました。
 これらの批評学者たちによれば、それはこういう説明です。

「数々のギリシャ修道院の修道士たちが伝統的本文の正統派の読み方を発明し、そして、それが優勢になるまで、その本文をたくさん書き写して増やした

 けれども、もし伝統的(ビザンティン型)本文がギリシャ人修道院『敬虔さの産物』であったとしたら、それは正統派としてとどまることはなかったはずです。
 なぜなら、その『敬虔さ』には、マリア崇拝、聖人崇拝、偶像や絵画への崇拝などの多くの間違いが含まれていたからです。
 もしギリシャ人修道士たちが伝統的本文発明したのであれば、確かに、『彼らが、そういう間違いや迷信を好む読み方を発明した』ことになります。
 けれども、実際、そのような異教的な読み方伝統的本文の中には全く生じていません。
 ここで、自然主義的歴史家や本文批評学者の誰も説明することのできない、実に驚くべき事実があります。
 ギリシャ正教だけでなく、すべてのキリスト教界を通じて、中世は霊的衰退と教義の腐敗の時期でした。
 しかし、この間違いと迷信の進展にもかかわらず、中世のギリシャ正教で最も広く読まれて書き写された新約聖書本文が、正統派の伝統的(ビザンティン型)本文であったことです。
 また、それだけでなく、ギリシャ正教以外のキリスト教界においても、この同じ伝統的本文へと向かう動きが存在したことです。
 このユニークな状況を私たちはどう説明すればよいのでしょうか?

 可能な説明が一つだけ存在します。
 それは、新約聖書本文に対する神の特別な摂理的配慮の中に見出されます。
 この腐敗した中世を通じて、神はご自分の摂理により、ギリシャ正教の中に、信者たちから成る一つの祭司制度を保っておられたのです。
 すなわち、聖書に対する敬意と関心とを特徴とする人々です。
 彼らによって、ほとんどの新約聖書写本が書き写されたのです。
 また、彼らによって、伝統的新約聖書本文保持されたのです。
 この伝統的本文の中には、すなわち、大多数のギリシャ語新約聖書の写本の中には、マリア崇拝、聖人崇拝、あるいは偶像崇拝などに好意的な読み方は一つもありません。

 それとは反対に、伝統的本文はそういう間違いから混じりけなく純粋に保たれ、どこででも支持を得たのです。
 これは、信者たちから成る普遍的祭司制度を通して働いておられる、神の並はずれた配慮と摂理の現れであったのではないでしょうか?

……………………………………………
注1)Harvard Theological Review (Harvard University Press ), vol. 21 (1928), pp. 345-346.
注2)同上

《出典 : The King James Version Defended 第七章 エドワード・F・ヒルズ著》


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さらに深い理解のために(英語)
The King James Version Defended 第七章 4,5エドワード・F・ヒルズ博士著
The history of naturalistic textual criticism(自然主義の聖書本文批評学の歴史)
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