聖書の歴史CX-8 聖書の歴史 目次 

《神の摂理TR

8 TRについての三つの見解

エドワード・F・ヒルズ博士

エドワード・ヒルズ博士
エドワード・F・ヒルズ博士
 プロテスタントの宗教改革を先導した原則の一つは、聖書唯一かつ絶対的な権威であることでした。
 初期のプロテスタントたちが絶対的な信頼を置いた新約聖書本文は、Textus Receptus(Received Text=受け入れられた本文)でした。
 それは、1516年にエラスムスの編集のもとで、初めて印刷されました。
 この初期のプロテスタントの人々の確信は、見当外れだったのでしょうか?
 この疑問に対して三つの答え(見解)が存在し、以下のように要約することができます。


1TRについての自然主義的、批判的見解

 自然主義的立場の聖書本文批評学者たちは、もちろん、『プロテスタントの宗教改革者たちがTextus ReceptusTR)に信頼するのは、大きな間違いである』と、長年にわたり、ためらうことなく主張してきました。
 そういう学者たちによれば、TRは、
  • これまで存在した中で最悪の新約聖書本文
  • 完全に捨て去らなければならないもの
  • なのです。
 最初に公然とこの立場をとった人の一人は、イギリス人の著名な哲学者リチャード・ベントレーでした。
 彼は1713年に著した『弁証論』でその方針を展開し、それ以来、自然主義の聖書本文批評学者たちはそれを用いて、保守的クリスチャンたちに対して自分たちの見解を売り込んできました。注1
 ベントレーは、こう主張しました。
新約聖書の本文批評は、キリスト教の教理とは何の関係もない
 なぜなら、教理の本質は、どんなにひどい写本においても同じだからだ」

 そして彼は、こう結論付けました。
 「我々は、神が聖書を摂理的に保持してきたということに関する何らかの明確な信念(信仰)をもって新約聖書本文の研究を始めることはできない。
 むしろ我々は、中立の立場から研究を開始しなければならず、その後は、この中立の手法の結果が、新約聖書本文についての神の摂理的保持が本当はどういうものであったかを我々に教えてくれるところに任せなければならない。
 つまり、我々は不可知論(物事の本質は、人間には認識することが不可能である、とする立場)から開始し、徐々に自らを信仰へと追い込むのである」

 いくつかの神学校では、この方針を今でも教えています。


2TRについての高教会派の見解

高教会派: カトリックの伝統を強調する英国国教会内のグループ]
 これは、ジョン.W.バーゴン監督、聖職者F.H.A.スクリブナー、および聖職者エドワード・ミラーらの見解でした。
バーゴン
ジョン.W.バーゴン
F.H.A.スクリブナー
F.H.A.スクリブナー
 これら保守派の新約聖書本文批評学者たは、プロテスタントではなく、高教会派(カトリックの伝統を強調する英国国教会内のグループ)の人々でした。
 彼らは、三つの教会団体だけを真のキリスト教会と認めていました。
 すなわち、ギリシャ・カトリック教会、ローマ・カトリック教会、そして英国国教会です。
 彼ら自身は英国国教会の中で職務に就いていました。
 彼らは、こう主張しました。

 この三団体だけギリシャ・カトリック教会ローマ・カトリック教会英国国教会)が、『使徒的継続性』を持っている。
 この三団体だけが、前の司教たちによって聖職に任命された司教たちにより統治されてきた。
 この「前の司教たち」は、それより前の司教たちによって任命され、こうして断たれない連鎖により最初の司教たちにまでさかのぼり、その最初の司教たちは使徒たちの按手を通して聖職に任命された。
 それ以外のどんな教団も、『分派』にすぎない。

 バーゴンが、教会教父たち(彼らのほとんどは司教たちでした)の新約聖書の引用を非常に強調したのは、バーゴンの『高教会主義』のためでした。
 彼にとって、そういう引用は決定的なものだったのです。
 なぜなら、「大多数のギリシャ語写本に見出される伝統的新約聖書本文は、そもそもの初めから、初代教会の司教たちによって、あるいは、少なくとも大多数のそういう司教たちによって、権威が与えられてきた」と彼らが証明したからです。
 しかし、この高教会主義は、バーゴンが『印刷されたギリシャ語新約聖書本文』を扱うようになった時、彼を裏切ることとなりました。
 というのも、宗教改革の時代からバーゴンの時代に至るまで、『印刷された新約聖書本文』として英国国教会の司教たちから支持されてきたのは、TRだったからです。
 しかも、このTRは、司教たちによって用意されたものではなく、一人の独立した学者であるエラスムスによって用意されたものでした。
 さらに悪いことに、バーゴンの視点からは、英国国教会で使われているTRステファヌスによる第三版であり、ステファヌスはカルビン派でした。
 それゆえ、これらの理由から、バーゴンとスクリブナーはTRに疑いの目を向け、それが大多数のギリシャ語新約聖書写本の中に見出される伝統的本文と合致する場合以外は、その擁護をしませんでした。

 しかし、この立場は非論理的です。
 もし私たちが新約聖書本文の摂理的保持を信じているなら、私たちは、大多数のギリシャ語新約聖書写本の中に見出される伝統的本文擁護するのと同じく、TRをも擁護しなければなりません。
 なぜなら、TRこそ、この伝統的本文印刷されて流通してきた唯一の形態であるからです。
 TRの擁護を拒むことは、こう印象づけることと同じです。

「新約聖書本文についての神の摂理的保持は、印刷技術の発明をもって途絶えた

 それは、こう仮定することと同じです。

「神は真の新約聖書本文を、その手書き写本の期間はずっと保持してこられたが、奇妙なことに、この真の本文を数々の写本の中に隠したままにし、より劣った本文のほうは、それが印刷機で印刷されて発行され、ご自分の民の間で450年以上もの間流通するのを許された」


 ですから私たちは、バーゴンを、彼の正統派信仰のゆえに、また彼の『伝統的新約聖書本文擁護』のことでは大いに称賛しますが、彼の高教会の教えを強調することや、彼がTR軽視することに関しては、彼に従うことはできないのです。


3TRについての正統派プロテスタントの見解

 したがって、Textus ReceptusTR)の擁護は、プロテスタント理念の擁護の欠くことのできない一部なのです。
TR
 それは、信仰の論理により、必然的に次のような基本ステップが伴うものです。
  • 第一に、旧約聖書本文は、旧約の祭司制度と、その祭司制度に関わる書記者および学者たちによって保持されてきました(申命記31・24〜26)。
  • 第二に、新約聖書の本文は、信者たちから成る普遍的祭司制度により、生活のあらゆる歩みにおいて忠実なクリスチャンたちによって保持されてきました(第一ペテロ2・9)。
  • 第三に、大多数のギリシャ語新約聖書写本の中に見出される伝統的本文こそ、真の本文です。
    なぜなら、それが、信者たちから成るこの普遍的祭司制度が、神に導かれて用いた聖書本文代表しているものだからです。
  • 第四に、ギリシャ語新約聖書の最初に印刷された本文は、失敗でも後退でもなく、新約聖書の摂理的保持における前進の一歩でした。
    したがって、その本文が伝統的本文相違するる重要な少数の箇所は、伝統的本文への神の摂理的修正にすぎず、それら少数の箇所でそのような修正必要とされていたのです。
  • 第五に、聖書を信じるプロテスタントの人々用いてきたことを通して、神は、この初めて印刷された本文へのご自分の是認の印を押されたのです。
    そして、それがTextus Receptus(Received Text=受け入れられた本文)となったのです。
したがって、正統派プロテスタントのクリスチャンである私たちは、TRの形成神の特別な摂理によって導かれたと信じているのです。


エラスムスらを導いた共通の信仰

 TRの編集者であるエラスムス、ステファヌス、ベザ、およびエルゼビルらは、三つの仕方で摂理的に導かれました。
エラスムス
エラスムス
ステファヌス
《ステファヌス》
ベザ
《ベザ》
TR
  1. 第一に、彼らは神がご自分の摂理において自分たちに利用できるようにしてくださった数々の手書き写本によって導かれました。
  2. 第二に、彼らは、自分たちがその中にいたその摂理的環境によって導かれました。
  3. それから第三に、彼らはとりわけ、あの『共通の信仰』によって導かれました。
     プロテスタントの宗教改革よりはるか前、西方のキリスト教界で、新約聖書本文に関して一つの共通の信仰が産み出されていました。
     すなわち、広く受け入れられている新約聖書本文(第一義的にギリシャ語本文、そして第二義的にはラテン語本文)こそ、神の特別な摂理によって保持されてきた真の新約聖書本文であるという普遍的信念です。
     エラスムスおよびTRの他の初期の編集者たちを導いたのは、この『共通の信仰』でした。
【共通の信仰】
  • ずっと前から、だれからも認められてきた一つの基本理念
  • 何世紀にもわたって共通のこととして(一般に・普通に)信じられてきたこと
  • 聖霊が代々を通じて聖徒たちを導いてこられた結果としての『信仰』
  • 広く受け入れられている新約聖書本文(第一義的にギリシャ語本文、そして第二義的にはラテン語本文)こそ、神の特別な摂理によって保持されてきた真の新約聖書本文であるという普遍的信念
 聖書に約束されている通り、聖霊はいつの時代でも、神と神のことばである聖書を正しく信じており、霊的に新しく生まれ変わっており、聖霊が内住しておられ、知性が一新されている聖徒たちを正しい方向に導いてこられました。
(ヨハネ14・26、使徒15・25、27、第一ヨハネ2・20、ローマ12・2参照)
[神と神のことばである聖書を正しく信じていない人々・霊的に新しく生まれ変わってはいない人々・聖霊が内住してはおられない人々・知性が一新されていない人々、および不信者(未信者)たちの場合は、そうではありません]→神の御霊のことが理解できる人・できない人参照
(→『共通の信仰と聖霊の導き』参照)

……………………………………………
注1)Works, edited by A. Dyce, London: 1838, vol. 3, pp. 347-361.

《出典 : The King James Version Defended 第八章 エドワード・F・ヒルズ著》


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さらに深い理解のために(英語)
The King James Version Defended 第八章 1エドワード・F・ヒルズ博士著
The history of naturalistic textual criticism(自然主義の聖書本文批評学の歴史)
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