聖書の歴史CX-12 聖書の歴史 目次 |
■TRの人間的側面 神は、罪深くて誤りを犯しがちな人間を通して摂理的に働かれます。 それゆえ、神の摂理的な導きには、その神的側面とともに、その人間的側面もあります。 そして、そういう人間的な要素は、TRの最初の版(1516年)で明らかでした。 一つには、その働きが非常に急いで行われたため、その本文は非常に多くの印刷上のエラーで損なわれたものとなりました。 けれども、そういうミスプリントは、まもなく、エラスムスのその後の数々の版で彼自身によっても、また、他の編集者たちによっても、取り除かれました。 したがって、そういうミスプリントは、TRの永続的価値についてのいかなる評価においても考慮に入れる必要のある要素ではありません。 TRの『ヨハネの黙示』の中にある活版印刷上の少数の誤植は、重要な読み方に関わるものではありません。 このことは、明らかに神の特別な摂理に帰されるものであり、H.C.ホスキアー氏(『ヨハネの黙示』に関する偉大な権威者)の『ヨハネの黙示』の記念碑的な注解書(1929年)からはっきりわかります。(注1) その注解書は、TRをその土台として採用しています。 ここで私たちがわかるのは、注目に値する唯一の活版印刷上の誤植があるのは、黙示17・8だけであることです。 「かつていたが、今はいない(ただし、今はいます)その獣…」 ここで、「kaiper estin(ただし、今はいます)」(ギリシャ語)という読み方は、エラスムスが『ヨハネの黙示』で用いた写本『1r』にある読み方: 「kai paresti」[意味は同じ]の印刷ミスであるように見えます。 |
■修正されたTR
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■神の摂理を全く心に留めない批判者たち 自然主義の本文批評家たちがTRの中の人間的不完全さを最大限に利用して、それを、『卑しくて汚いもの』として冷笑するのは、通例のことです。 そういう批評家たちはTRを、出版社であるフローベンの側の金儲けの事業にすぎないものとして描いています。 彼らの主張では、フローベンは、スペイン人のヒメネス枢機卿が彼のコンプルテンシアン・ポリグロット聖書の一部として、ある『印刷されたギリシャ語新約聖書本文』を発行しようとしていることを聞き、"市場でいくらか利益を得ようとして"エラスムスを編集者として雇い、一年もしないうちにギリシャ語新約聖書(TR)を急いで印刷して発行したのだ、としています けれども、TRの生産に関わる人間的要素にこのような仕方で心を集中させる人々は、神の摂理のことは全く心に留めていません。 というのも、ちょうどその翌年、神のご計画の中で、ウィッテンベルクで、あの宗教改革が勃発したからです。 そして、「聖書を人々から離しておくことに専心していたローマ・カトリック教会により、あの異端審問の地であるスペインにおいて」ではなく、「聖書を人々の手中に置くことに熱心であった一人の書籍販売者により、将来のプロテスタンティズムの要塞の一つとなる場所で」、このギリシャ語新約聖書(TR)が最初に出版されることが重要であったからです。 …………………………………………… (注1)Concerning The Text Of The Apocalypse by H. C. Hoskier, London: Quaritch, 1929, vol. 1, pp. 474-77, vol. 2, pp. 454, 635. |
《出典 : The King James Version Defended 第八章 エドワード・F・ヒルズ著》
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●歴史CX 《神の摂理とTR》
1 聖書に対する二つの手法 2 現代主義の始まり…聖書の奇跡の否定 3 自然主義的本文批評を広めた人々 4 神の啓示が出発点です!! 5 『聖書を信じる学び』の3原則 6 一貫性のあるクリスチャンの『手法』 7 古代聖書と神の摂理 8 TRについての三つの見解 9 新約聖書本文の保持と『共通の信仰』 10 神に用いられたエラスムス 11 TRと伝統的本文の相違箇所 12 神の摂理を心に留めない批判者たち 13 神の摂理の継続・神が確証されたTR |
●さらに深い理解のために(英語)… ■The King James Version Defended 第八章 2g(エドワード・F・ヒルズ博士著) ■The history of naturalistic textual criticism(自然主義の聖書本文批評学の歴史) ■《さらに深く学ぶためのリンク集》 |
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聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された |
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