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《一貫性のある人・ない人》



 聖書(特に新約聖書)の本文をどのように扱う人であるかにより、三つのタイプに分類することができます。
A 聖書を信じない
B 一貫性のない保守派のクリスチャン
C 一貫性のある保守派のクリスチャン

 聖書の教えに反する本文批評の歴史(神の摂理TR [聖書の歴史CX1~13)から明らかなように、その本文批評(学)の間違いの原因は、聖書の教えに反するアプローチ(手法)を使って、他の古代文書の本文を扱うのと同じように聖書の本文を扱ったことでした。(CX-3参照)
 その流れの中で、A聖書を信じない人々、および、B 一貫性のない保守派のクリスチャンたちを通して、現代版の数々の聖書が作り出されてきました。
 彼らに共通するのは、『聖書の特別な摂理的保持』の教えを信じてなく無視・棚上げ・否定)、新約聖書の本文の扱いに関しては自然主義的な手法を採用し、他の古代文書の本文を扱うのと同じように新約聖書の本文を扱っていることです。

 他方、TR新約聖書本文は、聖書自体が記している『聖書の摂理的保持』の教えを信じて尊重するC一貫性のある保守派のクリスチャンたちを通して歴史的に保持され、もたらされました。
 エドワード・F・ヒルズ博士二十世紀最大のTR擁護者と言われています)は、聖書の教えに反する本文批評の歴史とその間違いルーツをわかりやすく述べるとともに、聖書自体が記している『聖書の摂理的保持』の教えに基づくTRこそ真の新約聖書本文であることを証明しています
 ACのそれぞれのタイプにどのような人々が該当するのか、見てみましょう。


A 聖書を信じない人

不信者・リベラル派

 このタイプに該当するのは、こういう人々です。
  • 聖書を全く信じていない人々・不信者・未信者
  • 聖書の一部を信じてはいるが、全部を信じているわけではない人々
  • 聖書に対して疑い否定的な考えを抱いている人々
  • 不可知論者理神論者リベラル派の人々
  • 彼らは、『生まれながらのたましいによる人』であり、『神の御霊のこと』理解できません。
  • 彼らは、「神の摂理・啓示・信仰・霊的理解…」などよりも「人間の理性」を重んじる人々です。
    (→『理神論者の主張』参照)

  • 彼らは、『聖書の特別な摂理的保持』の教え(※)を信じてなく(無視あるいは否定)、新約聖書の本文の扱いに関しては自然主義的な手法を採用し、他の古代文書の本文を扱うのと同じように新約聖書の本文を扱います。
    (※→聖書の歴史 A-1,A-2,A-3,『聖書の摂理的保持』参照)
 彼らが聖書を信じていない以上、聖書を『特別扱い』しないのは当然であり、その意味では『一貫性』あります。  


B 一貫性のない保守派のクリスチャン

一貫性のない人

 このタイプに該当する人々は、こう主張します。
  • 「私は聖書を全部信じています」
  • 「私は、聖書は神のことばだと信じています」
  • 「私は福音派です」
  • 「私は保守派のクリスチャンです」
  • 「私は……」
 ところが、それにもかかわらず
  • 彼らは、新約聖書の本文の扱いに関しては、『聖書の特別な摂理的保持』の教え(※)を遵守せず『棚上げ・無視・否定』)、その教えに反する自然主義的な手法を採用し、他の古代文書の本文を扱うのと同じように新約聖書の本文を扱っています。
    (※→聖書の歴史 A-1,A-2,A-3,『聖書の摂理的保持』参照)
 もちろん、それは一貫性のない、矛盾した信仰姿勢です。
私たちが『聖書の特別な摂理的保持』を本当に信じているなら、新約聖書本文批評の自然主義的手法に従うことはできないことなのです」
(詳細→本当の信者にとっての唯一の選択肢


非一貫性ルーツ

「聖書、特に新約聖書の本文批評に関する非一貫性は、三百年もさかのぼる十七世紀後半にその歴史的ルーツがあります。(→ 非一貫性ルーツ参照)
エドワード・ヒルズ博士
エドワード・F・ヒルズ博士
 当時、理神論者たちおよびその他の不信者たちが新奇な提案を持ち出し、こう言いました。

「我々の考え方を、キリスト教が真実であると決めつけることから始めないようにしよう。
 むしろ、プロテスタント、カトリック、ユダヤ人、イスラム教徒、および、あらゆる宗教と信条のすべての善良な人々が合意する真理だけを、我々の出発点としよう。
 それから、共通の合意というこの中立的プラットホームの上に立って、我々はすべての宗教および信条を、理性という光によって調べることにしよう」

 当時、正統派であったプロテスタントの学者たちが、この提案を根本的に非キリスト教的なものとして拒むことをせずに、このチャレンジを受け入れてしまったのです。
 …
リベラル化の流れ》

  1. 非キリスト教的要素を受け入れた保守派の学者たち
    • あらゆる宗教と信条合意が出発点(中立的立場)
    • 人間の理性最高の判断規準
    矢印
  2. 保守派神学校・大学・神学生のリベラル化
    • 自然主義的手法新約聖書本文批評
    • リベラル派の『教科書』の採用
    • 聖書への疑い・否定・不可知論…etc.
    矢印
  3. 保守派教会・牧師・信者のリベラル化
    • 『聖書の特別な摂理的保持』信じない
    • 『奇跡』信じない
    • 『異言や預言』信じない
    • 『啓示』信じない
    • 『悪霊』信じない
    • 『地獄』信じない…etc.
一貫性のない人
(↑クリックで拡大)

 しかし、不幸なことに、そういう正統派の指導者たちは、自分たちが裏をかかれて(出し抜かれて)きたことに気付きませんでした。
 そして、そういう中立的な出発点採用するという行為そのものが、自分たちが擁護しようとしていた信仰をすでに否定してしまっており、その後彼らがどんな論議を推し進めても、それが一貫性のないものとなることを確実にしてしまったことにも気付かなかったのです」
(詳細→非一貫性ルーツ


聖書の教えと信仰に反するアプローチ

 神のことばよりも人間の理性最高の判断規準とするこのような手法は、聖書の中から生まれてきたものではなく、むしろ、聖書の教えや信仰真っ向から反するものです。
 このような手法を採用すること自体が、聖書の教えから逸脱していました。

 その結果として生じたのは、聖書に関する懐疑主義 (聖書に対する『疑い』『否定』でした。
 現代においては、それは不可知論『神の存在は知り得ない』とする考え方)にまで至っています。
(詳細→聖書の教えと信仰に反するアプローチ

  • 彼らは、聖書の教えに反する自然主義的な手法を採用することにより、『聖書の特別な摂理的保持』の教えを「棚上げ」にしたり、否定したりしています。
    (中には、この教えに関して無知であり、自分がこの教えを信じていないこと、あるいは棚上げにしたり、否定していることに気付いていない人々もいるかもしれません)
 なぜ、彼らのアプローチでは真理に至ることはなく、かえって、聖書からの逸脱や偽りに至るのでしょうか?

 聖書に聖書以外のものを『加える』は、『うそをつく者とされる』ことになります。
 それは、厳しく禁じられている行為です

彼のことばに加えてはならない
 彼があなたを責められて、あなたがうそをつく者とされるといけないから」
(箴言30・6)
「私たちは、神のことばに混ぜ物をしている、あの多くの者たちのようではないからです。…」
(第二コリント2・17)
「もし、だれかがこれらのことに付け加えるなら、神はこの書に書かれている数々の災害を、その人の上に付け加えられます。…」
(黙示22・18)

 なぜなら、聖書に聖書以外のものを『加える』ことにより、聖書からの逸脱・偽りが生じるからです
 そして、真理・全き知識・全き信仰は、聖書のみから生じるからです

聖書+聖書以外思想・信念・自然主義・理神論…etc.
    矢印 聖書からの逸脱・偽り
聖書のみ 矢印 真理・全き知識・全き信仰


 新約聖書の本文批評に関しては、こうなります。
聖書+聖書に反する自然主義的手法
矢印 聖書に対する疑い・否定・不信・不可知論

 この迷妄の道をたどり続けることから抜け出すための第一歩は、そもそもの出発点自然主義的アプローチの採用)が間違いであったことに気付くことです


一貫性のない人…その本当の姿は?

 彼らは、聖書を全部信じていると言いながら、本当は、全部を信じているわけではなく『一貫性』ありません
 このタイプの人々の本当の姿は、こうなります。

一貫性のない人

 聖書に対する疑い・否定・不信は、彼らの『教理』にも、彼らの信仰生活・教会活動のあらゆる分野にも影響を及ぼしています
 概して、次のような影響が及んでいます。
  1. 彼らは『聖書の特別な摂理的保持』信じません『棚上げ』『否定』)。
    • それゆえ、彼らは、聖書の教えに反する『自然主義』の手法を採用し、他の古代文書の本文を扱うのと同じように聖書の本文を扱います。
    • 彼らの神学校では、メッツガー(聖書への疑いと否定で満ちた人)とアーマン(神の存在を信じない人・不可知論者)という二人のリベラル派の「聖書学者」が書いた本を指定あるいは推薦しています

  2. 『奇跡』『神のいやし』『復活』信じない人々もいます。(→奇跡の『否定』参照)
  3. 『異言』信じない人々もいます。
    • それゆえ、彼らは異言で話すことも、異言で祈ることもしません。
      そうして彼らは「自分を築き上げ」(第一コリント14・4)ることができず、「集会が建徳を受け」(5節)ることもできません。

  4. 現代の『預言』『啓示』信じない人々もいます。
    • それゆえ、聖霊の九つの賜物の現れは見られません。(第一コリント12・7〜11)
      つまり、人々が、「知恵のことば」も「知識のことば」も「信仰の賜物」も「いやしの賜物」も「力の働き」も真の「預言」も「霊の判別」も「異言」も「異言の解き明かし」も何も受けない(経験しない)まま一生を過ごすことがあり得ます。

  5. 『悪霊』や『サタン』信じない人々もいます。
    • それゆえ、彼らは自他から悪霊を追い出すことをしません(できません)。
      つまり、解放されて自由になれるはずの人々が、悪霊を追い出されずに抑圧され続けて一生を過ごすことがあり得ます。

  6. 『地獄』『死後の裁き』信じない人々もいます。
  7. 『再臨』や『携挙』信じない人々もいます。
    • それゆえ、人々が「愚かな女たち」(マタイ25・2〜)のように永遠の手遅れとなることがあり得ます。(→携挙されなかった牧師たち参照)

  8. 彼らは聖書一部しか信じていません

 これら1.〜8.は、『保守派』であるはずの人々が、聖書の教えに反する手法(『自然主義的アプローチ)を『採用』したことから始まったことの結果です。
 それが間違いであったことに気付くことこそ、『真理・全き知識・全き信仰』の道に立ち返るための第一歩です

すべてを知らせる
ことを差し控える人々

 聖書一部しか信じない人々、一部しか語らない人々とは違って、使徒パウロは、神の御旨のすべて信じ、語りました。
 パウロはこう言っています。

 私はすべての人のに対して潔白であることを、きょう、この日、あなたがたに証しします。
 なぜなら、私は、あなたがたに神の御旨のすべてを知らせることを差し控えはしなかったからです」(使徒20・26、27)

 神の御旨のすべてを知らせることを差し控えなかったパウロは、「すべての人のに対して潔白」でした。
 しかし、差し控えるなら、の責任』が生じる可能性があります。(エゼキエル33・2〜)
 パウロは「もし私が福音を伝えなければ、私はわざわいです」(第一コリント9・16)とも言っています。
 ヤコブはこう言っています。

 あなたがたは多くの者が教師になってはいけません、私の兄弟たち。
 私たちがより大きい裁きを受けるようになることを、あなたがたは知っているはずです」(ヤコブ3・1)

 これらの『一貫性のない保守派のクリスチャン』たちと全く対照的なのが、次の人々です。

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C 一貫性のある保守派のクリスチャン

一貫性のある人

『超』保守派パウロ

 たとえば、パウロは、いわば『超』保守派の一貫性のあるクリスチャンです。
  1. 彼は聖書全面的に信じています
    • それゆえ、彼は、「神の御旨のすべてを知らせることを差し控えは」しませんでした。(使徒20・27)
      (したがって、このことで彼にはの責任』はありません

  2. 彼は『聖書の特別な摂理的保持』のことを知っており信じていたはずです。
    • なぜなら、この教え(→聖書の歴史 A-1,A-2,A-3,『聖書の摂理的保持』参照)からもわかる通り、そのみことばは、旧約聖書、四福音書、第一ペテロ1・25など多くの箇所に記されており、パウロがそれらのみことばを『受け入れなかった』とは全く考えられないからです。(パウロの伝道旅行の同行者でもあったルカも、ルカ16・17、ルカ21・33などで記しています。第二テモテ3・14〜17にはパウロ自らのことばもあります)
    • それゆえ、彼は、聖書の教えに反する『自然主義』の手法を採用することなど決してないでしょう
    • 彼が現代の神学校で教えるとすれば、メッツガー(聖書への疑いと否定で満ちた人)とアーマン(神の存在を信じない人・不可知論者)という二人のリベラル派の「聖書学者」が書いた本を指定あるいは推薦することなど決してないでしょう

  3. 彼は『奇跡』『神のいやし』『復活』信じています。
    • それゆえ、神は彼を通して「数々のしるしと不思議」(使徒14・3、15・12)を行われ、死人もよみがえりました。(使徒20・9〜)
    • 現代でも、パウロと同じく聖書全面的に信じる聖徒たちを通して、『奇跡』『神のいやし』『復活』が世界中で現されています。(たとえば、メキシコではクリスチャンたちの祈りを通して2019年までに500人以上の人々が死からよみがえったことが報告されています

  4. 彼は『異言』信じています。
    • それゆえ、彼は異言で話し(第一コリント14・18)、異言で祈りました(14・14)。
      そうして彼は「自分を築き上げ」(第一コリント14・4)、「集会が建徳を受け」(5節)ました。
    • 現代でも、パウロと同じく異言で祈る世界中の多くの聖徒たちは、霊的に自分を築き上げ、霊的に『充満』され、御霊の導きを受けつつ歩み、「その人の腹から生ける水の川々が流れ出る」(ヨハネ7・38)幸いを経験しています

  5. 彼は『預言』『啓示』信じています。
    • それゆえ、彼は聖霊の九つの賜物(第一コリント12・7〜11)について教え、神の偉大なみわざも現されました。
    • 現代でも、パウロと同じく『預言』『啓示』信じる世界中の多くの聖徒たちに、神は、『夢』『幻』(使徒2・17)や種々さまざまな体験を通して貴重な霊的体験警告恵みを与えておられます

  6. 彼は『悪霊』や『サタン』についても信じています。
    • それゆえ、彼はそのことを多くの箇所で教えており、悪霊を追い出しました。(使徒16・18)
    • 現代でも、パウロと同じく『悪霊』や『サタン』のことを信じる世界中の多くの聖徒たちを通して、医学では治らない精神病や悪霊によるどんな抑圧も、イエス様の御名によって完治され、人々は解放されて完全な自由を得ています

  7. 彼は『地獄』『死後の裁き』信じています。
    • それゆえ、彼は、「死人たちの復活と永遠の裁き」(ヘブル6・2)、「その終わりは焼かれることになる」(ヘブル6・8)、「敵対する者たちを食らおうとしている」(ヘブル10・27〜39)、「滅ぼし尽くす」(ヘブル12・29)について教えました。
    • 現代でも、神は世界中の人々に『地獄』『死後の裁き』を明らかにされ、体験させ、そして警告しておられます

  8. 彼は『再臨』や『携挙』信じています。
    • それゆえ、彼は「イエス・キリストの来臨」(第二テサロニケ2・1)や、「私たちが、同時に彼らといっしょに雲の中に奪い取られ、空中で主とお会いすること」(第一テサロニケ4・17)などを多くの箇所で教えています。
    • 現代でも、神は世界中の人々に、特に神の民に『再臨』や『携挙』について明らかにされ、それが非常に間近であることを警告しておられます
      (→再臨・携挙の本参照)
 これら1.〜8.を含めて「神の御旨のすべてを知らせることを差し控えはしなかったパウロは、『一貫性のある保守派のクリスチャン』たちにとっての立派なお手本です。
 旧約聖書にも精通していたパウロは、イザヤ書から、「神のことばにおののく」べきこともわきまえていたはずです。

神のことばにおののく

 パウロを初めとする『一貫性のある真の保守派のクリスチャンたち』は、「神のことばにおののく聖徒たちです。

(神)はこの者に目を留める
 すなわち、へりくだっており、心が砕かれており、私のことばにおののく者
(イザヤ66・2)

 『聖書の特別な摂理的保持』『棚上げ』にしたり『否定』したりする人々や、聖書の一部しか信じない人々は、神のことばにおののく人々でしょうか?
 答えは明らかに、『否』です

 けれども、「神のことばにおののく」人々は幸いです。
 神は、そのような聖徒たちに「目を留めて」くださるからです


現代の聖書本文批評学者たち
…多くの福音派神学校聖書本文批評学の入門書として使うことが指定され、あるいは推薦されている本二人の著者が、
  • ブルース・メッツガー聖書に対する疑い否定で満ちた聖書学者、および
  • バート・D・アーマン神の存在すらも信じない聖書学者・不可知論者なのです!!

神の御霊のことが理解できる人・できない人
…前者は、人間の理性よりも神のことば最高の判断規準とする人々です。
彼らは、霊的に新しく生まれ変わっており、聖霊が内住しておられ、知性が一新されており、「霊的なことによって霊的なことを判断」する人々(第一コリント2・13)です。…

神学者や指導者たちが批判的になる理由
ケネス・E・ヘーゲン
ケネス・E・ヘーゲン
『生まれながらの人』は、神の御霊のことがらを受け入れません。
 なぜなら、その人は、それらのことがわからないからです。…

無知による豪語目が覚めた牧師
…私は聖書を正しく読んでもいませんでした。
 私は今まで、本当の神のことばではなく、人間的な考え、自分の思うことをみなさんに語っていました。私は神様の前に悔い改めましたが、みなさんにも謝らなければなりません。
 みなさん、まちがった教えを語ってきた私を赦してください…

自分に理解できないことを批判した牧師
…私は、厳しく批判することによって、そういうものへの不信感をいつも表明していました。
 私には理解できなかったからにすぎません。
 私は、神が確かに用いておられた人々をあちこちで厳しく批判していました。

ティッシェンドルフの正体
 …ティッシェンドルフ博士によりシナイ山のギリシャ修道院から取り出されたものは、根気強きシモニデス氏自身の手の作品であることを、私はこの手紙により、すべての人に宣言します。
 1843年2月、彼がアトス(のパンテレイモン修道院)でそれを書いているのを、私自身が見たからです……

歴史CX 《神の摂理TR
1 聖書に対する二つの手法
2 現代主義の始まり…聖書の奇跡の否定
3 自然主義的本文批評を広めた人々
4 神の啓示出発点です!!
5 聖書を信じる学び』の3原則
6 一貫性のあるクリスチャンの『手法』
7 古代聖書神の摂理
8 TRについての三つの見解
9 新約聖書本文の保持『共通の信仰』
10 神に用いられたエラスムス
11 TR伝統的本文相違箇所
12 神の摂理心に留めない批判者たち
13 神の摂理継続・神が確証されたTR


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……

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