聖書の歴史T-4 |
『旧約聖書』が改ざんされているものか否かは、その訳例を調べることにより、簡単に見分けることができます。 神が歴史を通じて保持してこられた本当の旧約聖書の本文は、マソラ本文です。(→《旧約聖書の真の本文… マソラ本文は、神の信託を受けたユダヤ人のレビ人たちが伝えてきた旧約聖書の本当の本文です。 一方、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、影響力の大きい改ざん旧約聖書と本文が登場しました。以下の二つです。
ビブリア・ヘブライカは、ルドルフ・キッテル(聖書を信じない『聖書改ざん者』)が、オリゲネス(聖書改ざん者)作成の改ざん聖書や偽造写本『シナイ写本』『バチカン写本』等を基に創り出した改ざん聖書本文です。 訳例を調べてみましょう。 |
■訳例比較…イザヤ9・3 旧約聖書の歴史と改ざん(S4-【6】)に、ビブリア・ヘブライカの『改ざん事例』として、イザヤ9・3の事例があります。 マソラ本文に基づく聖書の訳は、
他方、ビブリア・ヘブライカに基づく現代版聖書の訳例は、
ビブリア・ヘブライカに準拠して翻訳された現代版聖書には、マソラ本文による訳例とは正反対の訳文が書かれています! つまり、次のようにして見分けることができます。
次に、日本語の『明治元訳 旧約聖書』『文語訳 旧約聖書』について調べてみましょう。 ………………………… (注1)"Not increased the joy" or "Increased the joy" in Isaiah 9:3? Does the Hebrew Masoretic text underlying the KJV have any errors? |
■明治元訳 旧約聖書の改ざん 明治元訳 旧約聖書について調べてみましょう。 1883年から1887年にかけて明治元訳 旧約聖書の数々の分冊が刊行され、1887年に『明治元訳 旧新約全書』として発行されました。これは、後に発行された『舊新約聖書』『文語訳聖書』の旧約聖書にも使われました。 たとえば、1914年(大正三年)一月に当時の「米国聖書会社」(神奈川県横浜市山下町)が発行した『舊新約聖書』という聖書があります。 これは、1887年発行の『明治元訳 旧新約全書』と同じ内容です。 その中のイザヤ9・3の訳例を調べると、こう記されています。
したがって、この明治元訳 旧約聖書も、マソラ本文に基づく訳文(否定形。上記参照)ではなく、改ざん聖書であることがわかります。 ところで、『明治元訳 旧新約全書』が発行された1887年は、まだビブリア・ヘブライカ(1906年)は発行されていませんでした。 ですから、明治元訳 旧約聖書はビブリア・ヘブライカに基づいて改ざんされたのではあり得ません。 では、何に基づいて改ざんされたのでしょうか? 明治元訳 旧約聖書の多くの書の翻訳に関与したのは、イギリス人宣教師であったP.K.ファイソン(1846年〜1928年)でした。(→翻訳者_旧約聖書) 彼は、このイザヤ9・3の翻訳にも関わりました。
B.F.ウェストコットが1870年からケンブリッジ大学の神学教授職に就いていたため、ファイソンはウェストコットから影響と感化を受けたはずです。 そして、改訂版英語聖書RVの編集作業がウェストコットとF.J.A.ホートの主導で開始したのも、1870年でした。 新約聖書本文WHは1881年に発行され、RVの旧約聖書は1885年に発行されました。 P.K.ファイソンは、自分の恩師であるウェストコット教授らが発行したそれらの聖書や本文のことを知っていたはずです。 ファイソンは1874年に日本に宣教師として来日し、1883年から1887年にかけて刊行された『明治元訳 旧約聖書』の多くの書(あるいは、最も多くの書)の翻訳に携わりました。(Philip Fyson、翻訳者_旧約聖書) 記録によれば、ファイソンが植村正久とともに『以賽亜書』(イザヤ書)を翻訳し刊行したのは、1887年です。 上記の『明治元訳 旧約聖書』イザヤ9・3の訳と、次のRV英語旧約聖書のイザヤ9・3の訳を照らし合わせると、ファイソンがRVの旧約聖書(1885年)を採用したと考えられます。
すなわち、『明治元訳 旧約聖書』イザヤ9・3の訳文には、RVの旧約聖書が採用されたと考えられます。
ただし、『明治元訳 旧約聖書』の翻訳のためにRV聖書が全面的に採用されたというわけではありません。 翻訳作業の途中(1885年)でRVの旧約聖書が登場したからです。(上図参照) しかも、明治元訳 旧約聖書の翻訳者たちには、イギリス人だけでなくアメリカ人もいて、『信仰の立場もさまざま』だからです。 また、ファイソンの関わった明治元訳 旧約聖書の数々の書の訳文を調べると、RV聖書の訳と合致しているものだけでなく、合致していないものが存在することがわかります。 その中には、RV聖書とも、マソラ本文とも、カトリックの聖書のラテン語ウルガタ聖書の本文とも合致していない訳文も存在します。 ファイソンについては、次のような記録も残っています。
ファイソンは、彼自身の判断により、『さまざまな本文』の『さまざまな読み方』の中から取捨選択して翻訳したと考えられます。つまり、『明治元訳 旧約聖書』は、特定の旧約聖書本文を全体に適用して完成されたものではなく、一貫性がなく、バラバラなのです。 こうして、『明治元訳 旧約聖書』は、改ざんされた旧約聖書として出来上がったのです。 ファイソンと同様に、他の翻訳者たちの中には、RV等に基づいて翻訳した人々がいたかもしれません。 現在は詳細を知ることは不可能かもしれませんが、少なくとも明らかなのは、『明治元訳 旧約聖書』には上記のイザヤ9・3の事例のような改ざんが含まれていることです。 『明治元訳 旧約聖書』は、『神が歴史を通じて保持してこられたマソラ本文』による訳文とは異なる訳文の、 |
■ファイソンが知らなかったこと ファイソンは、キング・ジェームズ版の聖書を読んで育ち、宣教師になることを志したはずです。その聖書は、マソラ本文による旧約聖書と、TR聖書本文による新約聖書でした。 すなわち、神が歴史的に保持してこられ、イエス・キリストが認証された本当の聖書です。 その『マルコの福音書』には、全世界に出て行って、福音を宣べ伝えなさいというみことばがあり、彼は日本で福音宣教を行う召しを受けて来日したはずです。 彼は、彼の恩師であるケンブリッジ大学のウェストコット教授らが創ったWH本文やRV聖書を疑うことなく受け入れたことでしょう。 そして、日本語の聖書翻訳にそれを採用することに何の疑念も抱いていなかったことでしょう。
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■あと三年早かったなら… 宣教師たちおよび日本の聖徒たちが明治元訳の旧新約聖書を作り出そうとした当初は、英語のキング・ジェームズ版の聖書と同様に、新約聖書はTR聖書本文に基づくもの、旧約聖書はマソラ本文に基づくものを想定していたはずです。 そして実際、『明治元訳 新約聖書』は、TR聖書本文に基づくものとして1880年に誕生しました。
1881年にWHの改ざん新約聖書本文が登場しましたが、『明治元訳 新約聖書』は、すでに発行されていたため、改ざんという『難を逃れる』ことができました。 しかし、『明治元訳 旧約聖書』の場合は、事情が異なりました。翻訳作業の途中の1885年にRVの旧約聖書が登場し、途中から「改ざん」が混入してしまったのです。 もし、『明治元訳 旧約聖書』が、あと三年早く、1884年までに完成していたとすれば、『難を逃れる』ことができたはずです。 しかし、そうはなりませんでした。 その結果、マソラ本文から日本語に翻訳された旧約聖書は、日本では発行されることなく今日に至っています。 |
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