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WH本文に由来する"聖書"1

降霊術者らが作った"聖書"

改ざん新約聖書のルーツ本質


 聖書の歴史Uの四つのページは、どれも非常に重要な内容を扱っています。
 聖書は、こう教えています。
「だれも、あなたがたを、どんな仕方でも、だますことのないようにしなさい」(第二テサロニケ2・3)
ごまかしのないを慕い求めなさい。それによって成長するためです」(第一ペテロ2・2)
 以下のページを、どうぞ順にじっくりお読みください。


TOP 12345678


1
悪霊と交流する降霊術者

 19世紀後半、イギリスで二人の熟練した降霊術者ウェストコットホートが、WH本文と呼ばれる新約聖書本文を作りました。
 そして、この二人が主導する1871年〜1881年の『聖書改訂委員会』により、このWH本文を土台とする最初の英語聖書RV(Revised VersionまたはERV)が作られました。
 英語聖書RVを初めとして、19世紀後半以降に登場した現代の数々の新約聖書日本語聖書も)は、このWH本文を土台として作られています。

 ウェストコットとホートとは、どういう人物なのでしょうか?
ウェストコット
B.F.ウェストコット
ホート
F.J.A.ホート

 B.F.ウェストコット(1825年〜1901年)は、イギリス国教会の主教であり、また、ケンブリッジ大学の教授でした。
 F.J.A.ホート(1828年〜1892年)も、イギリス国教会の聖職者であり、またケンブリッジ大学の教授でした。
 ただし、それは彼らの表向きの肩書きでした。
 彼らは"秘密"主義者であり、彼らのことは一般の人々には知られていませんでした。
 けれども、彼らが書いた手紙や彼ら自身の家族の証言から、彼らの実態がわかってきました。
 すなわち、
  • ウェストコットのの証言や、
  • 息子アーサー・ウェストコット氏の著書『B.F.ウェストコットの生活と手紙』(1903年発行)、
  • ホートの息子アーサー・ホート氏の著書『F.J.A.ホートの生活と手紙』(1896年発行)、
  • さらには彼らの"親友"であったエドワード・ホワイト・ベンソンの息子A・C・ベンソン氏の著書『エドワード・ホワイト・ベンソンの生涯』
などにより、一般の人々に知られなかったことが明らかになりました。
 そうして、B.F.ウェストコットも、F.J.A.ホートも、"親友"のエドワード・ホワイト・ベンソン(後のイギリス国教会のカンタベリー大主教)もみな、悪霊と交流する降霊術者であったことが明らかになりました。


神が堅く禁じておられる

 降霊術心霊術・死者との交流)は、聖書で神が堅く禁じておられるです。
 旧約聖書の申命記にはこう書かれています。

「あなたの神、イェホバがあなたに与える地にあなたが入る時、それらの国々の忌み嫌うべきことを行うことを学んではならない。
 あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせるもの、占いをする者、卜者、まじない師、呪術師、呪文を唱える者、オーブ霊(ファミリアー・スピリット)に尋ねる者、口寄せ(死人の霊を伝える者)、死人に尋ねる者が見出されてはならない。
 なぜなら、これらのことを行う者はみな、イェホバにとって忌み嫌うべきものだからである。…」
(申命記18・9〜12)

 この「オーブ霊」や「死人の霊」、あるいは「亡霊」は、すべて悪霊です。
 そういう悪霊と関わること、交流することを、神は堅く禁じておられ、そういうことは神にとって「忌み嫌うべきこと」(9節)です。
 そして、「これらのことを行う者はみな」、神にとって「忌み嫌うべきもの」(12節)です。
 つまり、「死人の霊」「亡霊」と関わる人々、降霊術に関与するすべての人はみな、神にとって「忌み嫌うべき」存在となるのです。
 そういう罪に対する対処、刑罰について、レビ記にこう書かれています。

「彼らの間に男か女でオーブ霊(ファミリアー・スピリット)を使う者(霊媒、あるいは、口寄せ(死人の霊を伝える者がいれば、その者は必ず殺されなければならない
 彼らは打ち殺されなければならない。

 彼らの(血の責任)は彼らの上にある」(レビ記20・6、27)

 つまり、「死人の霊」「亡霊」と関わる人々に対する刑罰は、当時であれば、「打ち殺す」ことでした。
 現代の降霊術者が当時のイスラエルの民の中にいたとすれば、その人はただちに「打ち殺され」たはずです。
    ただし、
  • 現在でも、それが神が堅く禁じておられるであり、
  • そういう行為が神にとって「忌み嫌うべきこと」(申命記18・9)であり、
  • その行為者が神にとって「忌み嫌うべき」存在(申命記18・12)であること
  • に変わりはありません。

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2
降霊術の正体

 かつては心霊術の教師であったラファエル・ガッソン氏は、その後、救われてクリスチャンとなりました。彼は心霊術(降霊術)の正体について、著書『悪魔による偽造物』で、こう述べています。(詳細は、同書の「第二章 心霊術の正体」参照)

 心霊術とは、『死者の霊』とみなされているもの(亡霊)とコミュニケーション交信)をしようとする試みです。
 このカルトに携わる人々は、「案内ガイドの霊」「亡くなった愛する人」ふりをしている悪霊どもに自分を明け渡しています。
 心霊術者たちが服従するようになる相手とは、本当は悪霊どもです。
 人々がそのことに気付いていても、いなくてもです。…

《亡霊(悪霊)との交わりを求める人々》
降霊術の会
《降霊術の会》
降霊術の会

サタンと悪霊ども
亡霊
 聖書のみことばが述べていることと照らし合わせると、クリスチャンが到達し得る結論は、ただ一つだけです。
 すなわち、人が交流している相手のそれらの霊どもは、高度に進化した「案内ガイドの霊」「死者たちのたましい」ではなく、本当は、亡くなった人々になりすましている悪霊どもであるということです。

サタンと悪霊ども

 心霊術者たちにとっての「神」が、本当は「この代の神」(第二コリント4・4)であるという事実を確証するものとして、1865年11月4日発行の『バナー・オブ・ライト』誌は、次のように報じています。

 「降霊術の会で、コントロールしているそのは、霊媒者であるコナント夫人から、次のような質問を受けた。
 『私たちが悪魔と呼んでいる者を、あなたは知っていますか?』
 その答えは、こうであった。

 その同じ悪魔が、我々の、我々のである』
 彼ら自身の口から真実が漏れているのです」
(『悪魔による偽造物』「第二章 心霊術の正体」)
 


 こうして明らかなように、霊媒者の神、降霊術者たちの神とは、悪魔です。
 亡くなった人になりすましている亡霊とは、悪霊です。
 亡霊と交信(交流)するとは、すなわち、悪魔交信(交流)することであり、悪魔の支配に自分を明け渡しているのです。
 そのような人は、悪魔傘下にいる人であり、イエス・キリスト傘下にはいません。
《悪霊・悪魔と交わる降霊術者》
降霊術の会
《悪霊・悪魔と交わる降霊術者》
降霊術の会


ウェストコットとホート悪霊との関わり

 ウェストコットとホート悪霊と深く関わりました。
 彼らは降霊術に深く関わり、悪霊交信(交流)しました。(→ウェストコットホートの降霊術との関わり 参照)
 フィル・ストリンガー博士は次のように述べています。(Phil Stringer:Were Westcott and Hort Secret Practitioners of the Occults?

 1851年、ウェストコットとホートはエドワード・ホワイト・ベンソン(1829年〜1896年。降霊術者であり、後にカンタベリー大主教となる)とともに『亡霊クラブ』を設立しました。
 このクラブは亡霊や超自然的現象を研究することを目的としていました。
 このクラブは、そのようなが現実に存在し、人間に現れるという考えに基づくものでした。
 『オカルトと超心理学の辞典』によれば、この『亡霊クラブ』のメンバーは、亡霊に関わる個人体験を語っていました。
 このクラブは、最終的には『心霊現象研究協会』(1882年設立。SPR:The Society for Psychical Research 現在も活動を続けている)となりました。
(それは、霊媒を通じて死者と交信する降霊術の会を開き、催眠術、心霊術、降霊術、テレパシー、トランス状態、透視、ESP、亡霊、亡霊屋敷などの現象を調べ、心霊現象についての法則を決定しようとするものでした)
 このSPRは、1800年代の後半、イギリスのエリート階級の人々の間に降霊術の興隆をもたらす大きな要因となりました。
フィル・ストリンガー博士
フィル・ストリンガー博士


《悪霊・悪魔と交わるウェストコットとホート》
降霊術の会
《悪霊・悪魔と交わるウェストコットとホート》
降霊術の会

 ウェストコットとホートは、彼らが二十代の頃から長期にわたり、「死人の霊」「亡霊」と深く関わった人々でした。
  • 現在でも、それが神が堅く禁じておられるであり、
  • ウェストコットとホートのそういう行為が神にとって「忌み嫌うべきこと」(申命記18・9)であり
  • その行為者が神にとって「忌み嫌うべき」存在(申命記18・12)であったこと
  • に変わりはありません。
 ウェストコットとホートがそれぞれ、どのようなことを行ったかを見てみましょう。

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3
大ぜいの悪霊との交流を"喜び"としたウェストコット
(Phil Stringer:Were Westcott and Hort Secret Practitioners of the Occults? 参照)
ウェストコット
B.F.ウェストコット
 亡霊悪霊)との交流(交信)は、1800年代後半のイギリス社会で、非常にもてはやされるものとなりました。
 ビクトリア女王ですら、降霊術に関わりました。
 ウェストコットの息子アーサー氏によれば、ウェストコットは『聖徒たちとの交わり』(実際は"亡霊"との交流)も行いました。
 死んで間もない人々の霊との交流は可能だと信じられていたのです。
 聖書翻訳者のフィリップス(J. B. Phillips:フィリップス訳聖書の翻訳者)も、『聖徒たちとの交わり』(実際は"亡霊"との交流)を信じていました。
 彼は、C・S・ルイスの死後、ルイスの"霊"が自分を訪れたと信じていました。

 ウエストコットは、どのようなことを行っていたのでしょうか?
 ウェストコットの息子アーサー氏によると、父B.F.ウェストコット"亡霊"たちとそのような体験を行っていました。
 アーサー氏はこう記しています。

『聖徒たちとの交わり』は、ピーターバラ大聖堂(イングランドの東部にある聖堂)と特に関連があったようです。
 彼(B.F.ウエストコット)には、この『聖徒たちとの交わり』を実現させるための並はずれた力がありました。
 夜、その大きな聖堂の中で一人でいることが、彼にとって喜びだったのです。…
 そこで彼はいつも大ぜいの霊たちと交流していました

 フィル・ストリンガー博士は、ウェストコットのの証言を紹介しています。

サタンと悪霊ども
オークランド城
ウェストコットのの証言

 ある時、ウェストコットはオークランド城のチャペルの暗闇の中で、いつものように一人で瞑想にふけり、それから家に帰りました。
 するとウェストコットのが彼に会い、「一人で寂しくなかったの?」と尋ねました。
 するとウェストコットは、こう言いました。

「いや、そこにはいっぱいいる

サタンと悪霊ども
ウェストコット
降霊術者
ウェストコット
後の聖書"改訂"主導者


聖書の中にない"教理"を受けて広めたウェストコット

 ウェストコットは1887年発行の著書の中で、次のように述べています。

「我々が多くの教師たちの助けによって学びつつあるのは、死者たち我々に対して行使している支配権である。…」
ウェストコット
ウェストコット

 このような"教理"は聖書の中には存在しません。
 むしろ、それは反聖書的な"教え"です。
 これはいったい、どこから来た"特別情報"なのでしょうか?
 降霊術者は、"亡霊(死者の霊)"すなわち"悪霊"との交流を通して、彼らなりの"啓示""特別な知識や情報"を受けることがあります。
 聖書は、こう言っています。

「さて、御霊がはっきりと語っておられます。
 後の時代に、ある人たちは、惑わす霊どもに、また、悪霊どもの教えること心を向けて信仰から離れるようになります」(第一テモテ4・1)

 ウェストコットもホートも、「惑わす霊どもに、また、悪霊どもの教えること心を向け」た降霊術者でした。
 人が亡霊悪霊)に対して自分の心を開き、耳を傾けるなら、悪霊はその人に働きかけ、話しかけるようになり、他の人々が知らない何らかの"特別情報"を伝える可能性があります。
 降霊術者たちは、そういう"悪霊どもの教えること"心を向けていき、悪魔と悪霊どもの支配下にますます入っていくのです。
 "クリスチャン"と呼ばれる人々であっても、そういうことをするなら、聖書の神への正しい「信仰」から離れるようになります。
 ウェストコットホートも、聖書の神への正しい「信仰」から離れた降霊術者でした。

 ウェストコットは、上記のような"悪霊どもの教えること"を本を通しても広めました。
 彼は反聖書的な"教え"宣布者でもあったのです。

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4
"テーブル回し"を行って悪霊と交流したホート
Westcott and Hort | Bible Ready参照)

 1864年10月、F.J.A.ホート(当時36歳)は彼の妻に宛てた手紙で、こう記しています。

「…夕食時、私たちはとても素敵なパーティーをした。ド・モルガン夫妻と、H・M・バトラー、ファラー、ブレイディと彼の母親、そしてH・W・ワトソンである。
 夕方、私が一度も会ったことのなかったブレイディ夫人が入って来た。
サタンと悪霊ども
ホート
F.J.A.ホート
 私たちはテーブルを回してみたが、あの生き物たちは反応しなかった。
 ド・モルガン夫妻は輝いていて楽しそうであった

(F.J.A.ホートの息子アーサー・ホート氏著 "Life and Letters of Fenton John Anthony Hort, 第2巻"

 (ド・モルガン[ド・モルガンの法則で知られる数学者]は、妻ソフィアとの共著で『物質から霊へ:十年間にわたる霊現象の体験の結果_質問者への案内ガイド』(1863年)を出版しました)
 「この『私たちはテーブルを回してみたという語句は、まさにオカルト降霊術の会に言及しているものです。
 あの生き物たちは反応しなかった』とは、ホートおよび彼のゲストたちが交流しようと呼びかけていた"霊"悪霊)に言及しています。
 ウェストコットとホートは、熟練したオカルト実践者たちでした。



テーブル・ムービング
降霊術の会の『テーブル回し』
テーブル・ムービング テーブル・ムービング

サタンと悪霊ども
降霊術の会
サタンと悪霊ども
降霊術の会

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5
ウェストコットとホートが関わったオカルト団体

『亡霊クラブ』(『ケンブリッジ亡霊協会』)…1851年設立。
 設立者:ウェストコットホート、およびエドワード・W・ベンソン(1829年〜1896年)(後のカンタベリー大主教)
 他のメンバー:J.B.ライトフット
(ウエストコットの生涯の友人は、ホート、J.B.ライトフット、エドワード・W・ベンソンでした)
サタンと悪霊ども
ウェストコット
降霊術者
ウェストコット
後の聖書"改訂"主導者
サタンと悪霊ども
ホート
降霊術者
ホート
後の聖書"改訂"主導者

サタンと悪霊ども
ベンソン
降霊術者
ベンソン
サタンと悪霊ども
ライトフット
降霊術者
ライトフット
後の聖書"改訂"委員

 『オカルトと超心理学の辞典』によれば、この『亡霊クラブ』のメンバーは、亡霊に関わる個人体験を語っていました。The Society for Psychical Research
《亡霊クラブ》
サタンと悪霊ども
降霊術の会
 エドワード・W・ベンソンの息子A・C・ベンソン氏は、著書『エドワード・ホワイト・ベンソンの生涯』で、こう述べています。
「私の父がケンブリッジで始めたことの一つは、"亡霊クラブ"の土台作りでした。
 それは、超自然の研究のためのあの心霊協会(すなわち、『心霊現象研究協会』[SPR])の先駆けでした。
 "亡霊クラブ"のメンバーには、ライトフットウェストコットホートがいました」
(A・C・ベンソン著『エドワード・ホワイト・ベンソンの生涯』)



『使徒クラブ』(The Apostles 定員12人)
 1820年にケンブリッジ大学でジョージ・トムリンソン(当時は学生)により設立されたクラブ。
 その後、ウェストコット、ホートシジウィック、バルフォア、モーリス(J. F. D. Maurice)らが加わりました。
サタンと悪霊ども
ウェストコット
降霊術者
ウェストコット
サタンと悪霊ども
ホート
降霊術者
ホート
サタンと悪霊ども
シジウィック
降霊術者/自動筆記者
シジウィック
サタンと悪霊ども
バルフォア
降霊術者
バルフォア
 ホートの息子アーサー氏は、こう記しています。

 「ホートは…1851年、『使徒クラブ』という謎めいたクラブに入りました。…
 彼はいつもこの秘密クラブ忠実なメンバーでした。…
 彼はメンバーたちを『沈黙の申し合わせ』束縛する『宣誓文』を書き上げました」
 入会者は、それまでのすべてのメンバーが署名した本に自分の名前を署名し、一人の『使徒』が『呪い』(すなわち、秘密の宣誓)を告げました。
 その呪いの文は、1851年頃に『使徒』F.J.A.ホートによって書かれましたCambridge Apostles
 その時から、それはすべての入会者に対し、警告として読み上げられました。  それはこういうものでした。The Cambridge Apostles, 1820-1914

《『使徒』F.J.A.ホートが書いた "呪い"宣誓文概要》

ホート
《ホート》
もし、このクラブの存在を明かすなら、その者のたましい永遠に拷問の苦しみの中で、のたうち回るようになる


 メンバーのヘンリー・シジウィックは、「このクラブへの愛着のきずなは、私の生涯で知る限り最強の集団結束力である」と記しました。
 シジウィック『自動筆記』(悪霊による行為)にも関わっていました。Satan’s ‘Apostles’
 その後、この『使徒クラブ』の中に同性愛者たちも現れました。

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6
『エラヌス・クラブ』 …1872年設立。定員12人。
 設立者:ウェストコット、ホート、J.B.ライトフット
 この三人はみな、後の聖書"改訂"委員となりました。
サタンと悪霊ども
ウェストコット
降霊術者
ウェストコット
サタンと悪霊ども
ホート
降霊術者
ホート
サタンと悪霊ども
ライトフット
降霊術者
ライトフット

 他のメンバー:シジウィック、アーサー・バルフォア(1848年〜1930年 後のイギリス首相)ほか
サタンと悪霊ども
シジウィック
降霊術者/自動筆記者
シジウィック
サタンと悪霊ども
バルフォア
降霊術者
バルフォア
《エラヌス・クラブ》
サタンと悪霊ども
降霊術の会

 バルフォアは、彼の降霊術死者の霊との交信)の行為で有名になりました。
 この『エラヌス・クラブ』は最終的にはオカルトの秘密結社として知られるようになりました。
 バルフォアとシジウィックは数々のオカルト組織や、神智学霊媒者ヘレナ・ブラヴァツキーが起こした宗教)などにも関わっていました。
 ホートの息子アーサー氏によれば、『エラヌス・クラブ』シニアの使徒たち』のクラブでした。

 アーサー氏はこう記しています。
『使徒クラブ』シニア版のような、『エラヌス』と呼ばれるクラブの集会にも、ホートいつも出かけて行きました。
ホート
《ホート》

 1877年のある集会は、 ホートの部屋で開かれました

 また、トレンチ、アルフォードに関する証言もあります。
 「1870年代、シジウィックはバルフォアの家での降霊術の会に活発に参加していました。
 これらの降霊術の会を構成している人々は、『使徒クラブ』の名簿に記されている『親密な友人たちのグループ』と同じ人々のようです。
 この秘密クラブ『使徒クラブ』『エラヌス・クラブ』)の名簿は現在も存在します。
 トレンチアルフォード、ライトフット、ウェストコットとホートなどのメンバーはみな、印刷された本として持っていました」(Eranus

サタンと悪霊ども
トレンチ
秘密クラブメンバー
トレンチ
後の聖書"改訂"委員
サタンと悪霊ども
アルフォード
秘密クラブメンバー
アルフォード
後の聖書"改訂"委員

 つまり、後に聖書"改訂"委員となるトレンチアルフォードは、『使徒クラブ』『エラヌス・クラブ』とういう二つの秘密クラブの、両者の、あるいは、いずれかのメンバーだったのです。
 これらのクラブは心霊術者(降霊術者)たちの団体であり、死者コミュニケーションをすること(ネクロマンシー:死者の霊を介して行われる魔術)などの反聖書的行為を信じる団体でした。

…………………………………………
Cambridge Apostles
THE NINETEENTH CENTURY OCCULT REVIVAL



『心霊現象研究協会:SPR』 (SPR:The Society for Psychical Research)…1882年設立。
 設立者:シジウィック(初代の総裁として9年間務めました)、アーサー・バルフォア、フレデリック・マイヤーズほか
サタンと悪霊ども
降霊術の会

 これは、霊媒を通じて死者と交信する降霊術の会を開き、催眠術、心霊術、降霊術、テレパシー、トランス状態、透視、ESP、亡霊、亡霊屋敷などの現象を調べ、心霊現象についての法則を決定しようとするものでした。
 フレデリック・マイヤーズは、死者たちについての彼の研究に基づき、死者たちは霊の領域で住んでいると信じ、心霊研究の将来をこう予言しました。
 「私は今や、我々が死んでも生き続けることには少しの疑念も感じない。
 紀元2000年になる前に全世界はこのことを受け入れているであろうことを、私は確信している」
 このSPRは、1800年代の後半、イギリスのエリート階級の人々の間に降霊術の興隆をもたらす大きな要因となりました。
THE NINETEENTH CENTURY OCCULT REVIVAL_The Legacy of Westcott & Hort By Barbara Aho)
 SPRは現在も存在します。Society for Psychical Research

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7
降霊術者らが主導した聖書"改訂"委員会

 こうして明らかなように、1871年〜1881年の聖書"改訂"委員会には、少なくとも5人の秘密クラブ員・降霊術者/オカルト主義者がいたのです。
(ほかにユニテリアン派のG.V.スミスもいました。ユニテリアン派は、三位一体を否定イエス・キリストの神性を否定イエス・キリストのあがないを否定聖書の霊感を否定しました)
 そして聖書改訂委員会を主導したのは、ウェストコットとホートら降霊術者たちでした。

《聖書"改訂"委員会の主導者たち》:
B.F.ウェストコット(1825年〜1901年)
  • 聖書"改訂"主導者
  • 降霊術者
  • 秘密クラブ設立者・メンバー
F.J.A.ホート(1828年〜1892年)
  • 聖書"改訂"主導者
  • 降霊術者
  • 秘密クラブ設立者・メンバー
ライトフット:Joseph Barber Lightfoot (1828年〜1889年)
  • 降霊術者
  • 秘密クラブ設立者・メンバー
トレンチ:Richard Chenevix Trench (1807年〜1886年)
  • 秘密クラブメンバー
アルフォード:Henry Alford (1810年〜1871年)
  • 秘密クラブメンバー
G.V.スミス
  • ユニテリアン
 …ほか
《聖書"改訂"委員会の主導者たち》
サタンと悪霊ども
ウェストコット
"改訂"主導者
降霊術者
ウェストコット
WH本文
RV
サタンと悪霊ども
ホート
"改訂"主導者
降霊術者
ホート
サタンと悪霊ども
ライトフット
降霊術者
ライトフット
サタンと悪霊ども
トレンチ
秘密クラブ員
トレンチ
サタンと悪霊ども
アルフォード
秘密クラブ員
アルフォード

スミス
ユニテリアン
スミス

 数々の秘密クラブのメンバー間の結束力は、並はずれて強力なものでした。
 メンバーのヘンリー・シジウィックは、「このクラブへの愛着のきずなは、私の生涯で知る限り最強の集団結束力である」と記しました。
 ユニテリアンG.V.スミスについては、彼を委員会に入れないようにする動きがありました。
 ところが、ウェストコットとホートのほか、委員のスタンレー監督も、旧約聖書担当委員のサーウォール司教も、「スミスを委員会から除くなら、我々は委員を辞める」と言って反対しました。George Vance Smith
 こうしてウェストコットとホートらは票決で反対派を退け、有利に主導したのです。聖書"改訂"委員会参照)
 こうして、この委員会が作り出した英語聖書RV(またはERV)について、G.V.スミスは、それがユニテリアン派の教えを支持する"聖書"となったことをはっきり宣言しました。
 実際、それは、リベラル派ユニテリアン向けの"聖書"となっていました。(次のページで詳述)

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8
聖書"改訂"委員会の真実

 ウェストコットとホートは、どういうことをしたのでしょうか?

1TR聖書本文への敵対

 彼らはTR聖書本文を敵対視していました
 1851年、F.J.A.ホートはこう書き記しました。
ホート
《ホート》
「私は、ギリシャ語聖書をほとんど読んだことがなくあの悪辣なTRに… あの悪しきTRが…」
(息子アーサー・ホート著『父F.J.A.ホートの生活と手紙』)

2独自の本文の持ち込み
WH本文  ウェストコットとホートは聖書改訂委員会に加わる20年以上も前から彼ら独自のギリシャ語新約聖書(WH本文)に取り組んでいました。
 1870年から『聖書改訂委員会』が始まると、ウェストコットとホートは、その用意していた本文を秘密裏に委員会に持ち込みましたTR新約聖書本文とは全く異質の本文でした。

3口封じ公開
 彼らは、1870年からの約11年間、秘密の誓約を委員たちにさせて口封じを行い、自分たちの作業を隠し続けました。ちょうど、ホートがかつて『使徒クラブ』で"呪い"宣誓文を書いてメンバーに課したように、です。
 このことは、同じイギリスでKJ版聖書が翻訳発行された時とは正反対です。
 KJ版聖書の翻訳作業は公開されつつ進められました。(→ キング・ジェームズ版聖書の歴史参照)
 イエス・キリストはこう言われました。
「私は世に公然と話しました。
 私は、ユダヤ人たちがいつも集まる会堂や神殿でいつも教え、隠れて話したこと何もありません
(ヨハネ18・20)

 ところが、ウェストコットとホートらは「隠れて秘密裏に」事を進めました。

4悪霊との交流の継続
 その聖書"改訂"の期間中でも、ウェストコット、ホート、ライトフットらは降霊術に関わり続けていました。
 たとえば、1872年、ウェストコット、ホート、J.B.ライトフット(いずれも聖書改訂委員)は、オカルトの秘密結社として知られるようになった『エラヌス・クラブ』を設立しました。
 また、前述のように、1877年にはホートは自らの部屋を会場として『降霊術の会』を開いていました。

悪霊と交流を続けたウェストコットとホート
《エラヌス・クラブ》
サタンと悪霊ども
降霊術の会
1872年、聖書改訂委員主導者ウェストコット、ホート、ライトフット設立。後にオカルトの秘密結社として知られるに至る)
サタンと悪霊ども 降霊術の会
1877年ホート(聖書改訂委員主導者)は自らの部屋を会場として『降霊術の会』を開催)

《悪霊・悪魔と交わるウェストコットとホート》
降霊術の会

WH
RV
5直前の公開
 ウェストコットとホートのこのギリシャ語本文WHが公開されたのは、英語聖書RVが初めて登場するわずか五日前のことでした。
 そのため、バーゴン監督のような聖書を信じる学者たちによる検証妨げられましたFacts about Westcott and Hort

6欺き・違反・偽り
 彼らは、教会(イギリス国教会)を欺きました
 教会(イギリス国教会)が彼らに課していたことは、TR聖書本文の『小さな変更』(たとえば、大文字、句読点、古代語の廃止など)を施すことだけでした。(『小さな変更だけのはずであった聖書改訂』参照)
 ところが、彼らはそれに違反し、TR本文を廃棄して全く別の英語聖書RVを作り出しました。
 彼らは教会(イギリス国教会)に偽りを言いだましたのです。
 ちょうど、アナニアとサッピラがペテロの前で偽りを言って欺いたようにです(使徒5・1〜10参照)。

7正体隠匿
 ウェストコットとホートらは自分たちの正体隠していました
(この二人のことだけでなく、『聖書改訂委員』の中にライトフットトレンチアルフォードなど降霊術者秘密結社設立者やメンバー幾人もいることについても、です)
ウェストコット
ウェストコット
ホート
ホート
 その正体とは、
  1. ウェストコットホートも、降霊術心霊術・死者との交流)という、聖書で神が堅く禁じておられるを犯し続けた人々であったこと(申命記18・9〜12、レビ記20・6、27)、
    惑わす霊どもに、また、悪霊どもの教えること心を向けて」、聖書の神への正しい「信仰」から離れた人々(第一テモテ4・1)であったこと、です。
  2. すなわちウェストコット大ぜいの亡霊悪霊)との交流を"喜び"とした人であり、
    ホートは、降霊術の会を開いてテーブルを回し、あの生き物たち(悪霊)の反応を伺った人であったこと、です。
サタンと悪霊ども
オークランド城
サタンと悪霊ども
降霊術の会
降霊術の会

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福音派・保守派の人々はだまされた!!




聖書の歴史U WH本文に由来する"聖書"
  1. 改ざん聖書のルーツ本質
    現代の新約聖書のルーツは、19世紀後半、イギリスで二人の熟練した降霊術者が作った新約聖書本文です。
    降霊術者らが作った"聖書"

  2. 福音派・保守派の人々はだまされた!!
    真実隠蔽! それは聖書不信者・キリスト不信者向けの"聖書"でした。
    聖書を信じる人々、キリストを信じる多くの聖徒たちだまされてきました
    リベラル派ユニテリアン向け"聖書"

  3. 超重要聖句が読めなくされた"聖書"
    このみことばを一度も読んだことがない人が多いはずですが、これは超重要聖句神のことばです!
    聖書信者読めない重要聖書箇所
    1ヨハネ5・7 保持する聖書消された"聖書"

  4. 改ざん聖書の最終目的地 !!
    改ざん聖書は、どこに向かっているのでしょうか?
    現代の新約聖書の歴史 _三段階の流れ
    "一つの世界宗教"のための "一つの世界聖書"




日本語"聖書"WH本文》 WH本文を土台とする日本語"聖書"
福音派・保守派の人々はだまされた!!

 19世紀後半、イギリスで二人の熟練した降霊術者ウェストコットホートが、WH本文と呼ばれる新約聖書本文を作りました。
 そして、この二人が主導する1871年〜1881年の『聖書改訂委員会』により、このWH本文を土台とする最初の英語聖書RV(Revised VersionまたはERV)が作られました。
リベラル派向けWHリベラル派向けRV
 英語聖書RVを初め、19世紀後半以降に登場した現代の数々の新約聖書日本語聖書も)は、このWH本文を土台として作られています。ネストレ版本文もUBS版本文もWH本文を土台として作られています)

 WH本文に由来するおもな日本語新約聖書は以下の通りです。(→新約聖書と本文現代の新約聖書の歴史 _三段階の流れ参照)
(1881年〜)
  • 『大正改訳 新約聖書』(1917年〜)(WH聖書本文、ネストレ版本文)
  • 『口語訳聖書』(新約 1954年〜)(ネストレ版本文)
  • 『新改訳聖書』(新約 1970年〜)(ネストレ版本文)
  • (1975年〜)
  • 『共同訳聖書』(新約 1978年〜)(UBS版本文)
  • 『新共同訳聖書』(新約 1987年〜)(UBS版本文)
  • (2008年〜)
  • 『新改訳2017』(新約 2017 年〜)(ネストレ版本文・UBS版本文)
  • 『聖書協会共同訳』(新約 2018年〜)(UBS版本文)


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