【4】"清廉潔白な聖職者"を装った淫行者
ビリー・グラハムは自叙伝で、こう述べています
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「旅行で自分の家族から離れていた間に淫行に陥った伝道者たちのことを、私たち(彼と彼のミニストリー・チーム)はみな知りました。私たちは、評判が傷付けられたり嫌疑をかけられたりするどんな状況も避けることを、自ら誓約しました。その日以降、私は私の妻以外の女性と旅行することも、会うことも、二人だけでいっしょに食事をすることもしませんでした」
(b rule:sexual immorality) |
そして彼の名が付けられた『ビリー・グラハム・ルール』と呼ばれるものが存在します。それは、
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「だれか異性の人と二人だけで決していっしょに時間を過ごしてはいけない」 | というものです。
ほとんどの人は、これらのことから、あたかもビリー・グラハムが道徳的に清廉潔白な聖職者であったかのように考えるかもしれません。
しかし、実際は、決してそうではありませんでした!
- 女性F(オーストラリア出身。現在はクリスチャン)は、ビリー・グラハムによる性被害者の一人です。
彼女はまだ幼い頃に人身売買されてアメリカに連れて行かれ、性被害を受けました。
大人になって彼女はそのことを自らの著書の中でも述べ、アメリカやオーストラリアが関与する国際的な犯罪組織の存在も告発し、国際社会に訴えています。
- 女性Sは、かつて高度のマインド・コントロールによって支配されていた性奴隷でした。
彼女をコントロールしていた一人は、アメリカCIA(中央情報局)の工作員でした。
その後、彼女はこのマインド・コントロールから逃れ、自らの人生について記した本"MK"を書きました。
彼女は、アメリカの著名な政治家たちのほか、ビリー・グラハムによっても性被害を受けたことを述べています。
- 女性Dはこう述べています。
「今日、ビリー・グラハムの死がこのアメリカ合衆国中でニュースになっています。彼がまるで神の人であるかのように持ち上げられるのを見て、私は非常に怒りを覚えます。…
私は5歳くらいだったと思います。…
私はそれまでに経験していたSRA(悪魔崇拝の儀式での虐待)のカルト体験から、自分がどう行動するのかわかっていたように思います。
私を数々の儀式に連れて行ったのは、私の幼児期の牧師でした。
ところが、この時は、そこにいたのはビリー・グラハムだけでした。
私が記憶しているのは、私がすすり泣いたことと、ビリー・グラハムから顔を平手打ちされたことです。
そして、だれか一人の男が急にその部屋に入って来て、私を連れ出しました。
私が平手打ちされたのは、私が泣きやまなかったからです。…」
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- 1952年、フランスのパリで、ビリー・グラハムと一人の伝道者が二人の売春婦と一緒に夕食をとり、男女のペアがそれぞれの家に向かったことが伝えられています。(Marshall Frady.,"B…, A Parable of American Righteousness", p.169-170)
- 1954年、カリフォルニア州サクラメントでのクルセードの時、警備に当たっていた男性が、一人の"高額の売春婦"がビリー・グラハムのホテルの部屋にこっそり入るのを見ました。
ビリー・グラハムがクルセードに出かけて行く前でした。
その間、その部屋にいたのは、その女性とビリー・グラハムだけでした。("Illuminati Mind Control(PDF)",Fritz Springmeier)
クルセードの会場に集まった多くの人は、「福音伝道者ビリー・グラハムは、これから語るメッセージのためにホテルの部屋で神の御前に静まって祈っていたにちがいない」と信じていたかもしれません。
しかし、そうではありませんでした!
彼はホテルの部屋で、一人の"高額の売春婦"と一緒に過ごしていたのです!
彼は大ぜいの人々に向かって、『罪の悔い改め』や『聖さ』を語ったかもしれません。
けれども、それはまさに、『羊の服を着た狼』である彼自身に向かって語られるべきことでした!
福音伝道者ビリー・グラハムは、"清廉潔白な聖職者"を装った淫行者でした!
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