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フリーメーソン教皇の即位


 ローマ・カトリック教会にルシファー礼拝をもたらしたのは、フリーメーソンの二人のローマ教皇、ヨハネ23世およびパウロ6世でした。
サタン=ルシファー
ヨハネ23世
(1958年〜1963年在位)


サタン=ルシファー
ルシファー礼拝者


サタン=ルシファー
パウロ6世
(1963年〜1978年在位)

 しかし、従来のローマ・カトリック教会はフリーメーソンとみなして非難していました。


カトリック教会であったフリーメーソン

 以前からフリーメーソンローマ・カトリック教会に影響を及ぼしていましたが、1958年以前は、代々を通じて、ローマ・カトリック教会の多くの教皇はフリーメーソン非難してきました。注1

 たとえば、ローマ教皇レオ13世 (1878年〜1903年在位)は、こう言いました。

レオ13世  「…フリーメーソンと呼ばれる、あの強力に組織され、広まっている組織…彼らは今や大胆に、神ご自身に敵対して興隆しつつある。
 彼らはカトリック教会の破壊を公然と計画しており、しかも、キリスト教諸国を完全に腐敗させるという明確な目的をもって、このことをしている。…
 教皇庁はこのフリーメーソンという一派を糾弾し、この組織を、法に反するもの、キリスト教界にも国家にも有害なものであると公に宣言した。
 さらに、教皇庁は、だれでもその組織に入ることを禁止し、特に重い罪の者たちにはカトリック教会が刑罰を課することとした」(1884年)

 「彼らはすでに裁かれている。彼らの目的も、彼らの手段も、彼らの教義も、そして彼らの行動も、すべて確実に知られている。
 彼らはサタンの霊に取り憑かれており、彼らはサタンの道具である。
 彼らは、サタンと同様に、イエス・キリストおよび彼のみわざに対する致命的かつ執拗な憎しみで燃えている。彼らは、あらゆる手段でそれを打倒し束縛しようととしている」(1890年)注2

「キリスト教とフリーメーソン本質的に両立し得ないことを、我々は忘れないようにしよう。…
 それゆえ、我々は、フリーメーソンを、神の敵カトリック教会、そして、我々の母国の敵として、あらわにしようではないか」(1892年)  

 ヨハネ23世が新教皇に即位する直前の1958年5月23日、ローマ教皇ピウス12世(1939年〜1958年在位)は、こう言いました。

ピウス12世 「現代の背教の根源は、科学的無神論と、弁証法的唯物論と、合理主義、…、
そしてフリーメーソンである。
 フリーメーソンこそ、それらすべてのである


 ところが、それから約5ヶ月後、ヨハネ23世教皇となった1958年10月28日以降は、事態一変しました!
 このヨハネ23世フリーメーソン第33階級最高位のメンバーでした
……………………………………………
注1ヤン・アビナレス:Mexican Freemasons Mourned For John XXIII's Death
注2Freemasonry ― Catholics’ Deadly Foe


フリーメーソンの教皇ヨハネ23世

 ヨハネ23世(本名: アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ Angelo Giuseppe Roncalli ,1881年〜1963年6月3日)は、次のような人物でした。注3

フリーメーソンのイギリスの第33階級(最高位)の指導者であったイヴ・マルソドンは、こう述べました。
ヨハネ23世はフランスにいた時期に第33階級最高位)のフリーメーソンとなった
「我々は心から、ヨハネ23世の改革を支持する」注4

 1994年11月2日、"30 Days Magazine"誌はこう報じました。
 1940年代後半、ローマ教皇ヨハネ23世はフランスのパリにいた時にフリーメーソンに入会したことを、我々は報じた。
 我々が指摘したように、もしそれが本当なら、アンジェロ・ロンカッリ(ヨハネ23世)はローマ教皇として彼は自動的に破門となるため、本質的に不適格とされたはずである。
 カトリック教徒ではない者として、彼がカトリック教会の長となるのは不可能であった。

 ヨハネ23世をよく知るフリーメーソンの人物がこう述べています。
「私はロンカッリ枢機卿(ヨハネ23世)をとてもよく知っている。
 彼は理神論者であり、合理主義者であった。
 彼の力は、奇跡を信じたり神聖なものを敬ったりすることによるものではなかった」注5
サタン=ルシファー

ヨハネ23世
(1958年〜1963年在位)


枢機卿らのもくろみ

 ヒーナン枢機卿は1958年のコンクラーベ(教皇選出の選挙)の際に出席しており、ヨハネ23世を選出した人です。彼はこう述べています。
「ローマ教皇ヨハネ23世が選ばれたのは、彼が非常に高齢(76歳)だったからである。
 彼のおもな役割は、(イタリアの)ミラノの 大司教モンティニ(後のパウロ6世)を、枢機卿にさせ、次のコンクラーベで彼(パウロ6世)が選出されるようにすることであった。
 まさにそれが方針であり、それは正確に遂行された」(ヒーナン枢機卿の伝記: "Crown of Thorns")

 (ヨハネ23世を選出した) 1958年のコンクラーベの後のことを、アルデン・ハッチ氏はこう記しています。
ヨハネ23世はその枢機卿たちに、もう一晩とどまるよう要請した。…
 彼の選出の秘密を外部の人々に明かさないよう、もう一度彼らに警告するためであった。…」 (Alden Hatch, A Man Named John, Hawthorn Books, 1963, p. 163)

 このように、1958年の当時、すでに多くのフリーメーソンのメンバーが、カトリック教会の中にも、コンクラーベ(教皇選出)のメンバーの中にもいて、彼らはヨハネ23世新教皇とすることを申し合わせていたのです。
……………………………………………
注3Pope St. John XXIII or Antipope John XXIII?
注4Yves Marsaudon in his book Ecumenism Viewed by a Traditional Freemason, Paris: Ed. Vitiano; quoted by Dr. Rama Coomaraswamy, The Destruction of the Christian Tradition, p. 144.
注5Journal de Geneve, by Freemason Carl Jacob Burckhardt, A.D.O Datus, “AB INITIO,” p. 60


フリーメーソンの教皇パウロ6世

 1963年、ヨハネ23世の死去により、パウロ6世注1cが新たに教皇に就任しました。 (在位は1963年〜1978年)
 彼もフリーメーソンであり、彼を新教皇に選出することも、フリーメーソンたちが前もって申し合わせていたことでした。
  • 1963年6月21日: パウロ6世がローマ教皇に即位。
  • パウロ6世の戴冠式の時期、アメリカのいくつもの新聞は、パウロ6世フリーメーソン会員であることを証拠となる写真付きで報じました。
  • パウロ6世を教皇に選出することは、コンクラーベ(教皇を選出する選挙)の直前にフリーメーソン会員の指導者ウンベルト・オルトラニの家で開かれたフリーメーソン会員の枢機卿たちの会合で計画されていました。("30 Days Magazine",1993年11月3日)
  • 彼は神学生の時期、悪名高い同性愛者として知られていました。
  • 彼の母親の墓碑にはフリーメーソンシンボルがいたるところに彫り刻まれていました。
サタン=ルシファー

パウロ6世
(1963年〜1978年在位)
 
[参考ページ]プロテスタント&カトリック向けの"聖書"


次へ 33指令"サタン好みの聖書" 1



サタンが命じて作らせた偽聖書
  1. ルシファーについての聖書の教えと啓示
  2. バチカンで行われているルシファー礼拝
  3. フリーメーソン教皇の即位
  4. 33指令サタン好みの聖書 1
    33指令サタン好みの聖書 2
  5. フリーメーソンとは?
  6. バチカン内に浸透しているサタニスト
  7. フリーメーソン儀式列席のグラハムピール
  8. グラハムピールが受けた33回儀式
  9. ビリー・グラハム正体 1
    ビリー・グラハム正体 2
  10. サタンが書かせた
  11. ルシファー献げられたカトリック教会
  12. サタン世界戦略: 33指令_全文
    カトリック教会変容
    エキュメニカル運動指令実態
    聖書の元凶:キリスト冒涜集団


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