《ローマ・カトリック教会打倒のための33の目標》
すべてのフリーメーソンの同胞は、これらの極めて重要な計画の進展に関する報告をしなければならない。
世界中のカトリック教会を弱体化させる最終段階に向けての前進的な計画である。
カトリック教会内で働くすべてのフリーメーソンの者たちは、以下のことを歓迎し、それらのことを遂行しなければならない。
- ミサの際もミサ以外でも、すべての祈りから、カトリック教会の守護者聖ミカエルをきっぱりと取り除け。
「それらはキリスト崇拝から気をそらすものだ」と言って、その像を取り除け。
- 金曜日に肉を慎むことや断食などのような、レントの告解(罪の赦しの儀礼)の行事を取りやめよ
。
自己犠牲のどんな行為も妨害せよ。
それらに代えて、喜びの行為、幸福、隣人愛を好むべきである。
こう言え、「キリストは我々のために、すでにパラダイスを勝ち取った」、「人間のどんな努力も無駄である」と。
すべての者にこう告げよ、彼らは自分の健康に真剣に留意なければならない、と。
肉、特に豚肉の摂取を勧めよ。
ミサを考え直し、その神聖さを汚すことを、プロテスタントの牧師たちにさせよ。
聖餐式においてキリストが実際に臨在するということについて、疑いの種を蒔け。
聖餐式は単なるパンとぶどう酒にすぎず、純粋に象徴として意図されたものであることを確認せよ。(プロテスタントの信仰にいっそう近いものとして)
カトリックの神学校や学校の中に、プロテスタントの者たちを増やせ。
統一へ向けての道としてエキュメニズムを奨励せよ。
だれでもキリストが実際に臨在することを信じる者を、教会に対する破壊であり不従順であるとして非難せよ。
ラテン語でのミサや礼拝や歌を禁止せよ。なぜなら、それらは神秘と敬意の感覚を与えるからだ。
それらを、占い師たちの呪文として提示せよ。
人々は司祭たちを、優れた知性の者たちとは考えなくなり、聖なる奥義をになう者たちとして敬われることはなくなるだろう。
女性たちに、教会内で自分の頭をベールで覆わないように勧めよ。
女性の朗読者たちや、女性の司祭たちを要求せよ。
そのアイデアを、民主主義として提示せよ。
ウーマンリブの運動を起こせ。
教会内に入る者たちは、くつろぐために、ひどい服装をすべきである。
それは、ミサの重要性を損なうことになるだろう。
忠実な者たちが聖餐を受ける時にひざまずかせないようにせよ。
修道女たちに、彼女たちはピアノを思いとどまらなければならないと告げよ。子どもたちには、聖餐式の前後に手をつながないように。
彼らに、神はありのままの彼らを愛していること、そして、彼らは完全にくつろぐべきであることを告げよ。
教会内では、ひざまずくことも、片ひざを曲げることも、排除せよ。
信徒席を取り除け。
人々に、ミサの間は彼らは直立の姿勢で自分の信仰を示さなければならないと告げよ。
オルガンの聖なる音楽を取り除け。
ピアノ、ギター、ユダヤのハープ、ドラム、足踏み、聖なる笑いを、諸教会に導入せよ。
これは、人々の個人的祈りやイエスとの会話から彼らの気をそらす。
イエスが子どもたちに対して信仰生活への呼びかけをする時間を持つな。
祭壇の周りで、エキサイティングな服を着て、礼典の踊りを行え。劇場やコンサートでも。
マリアとヨセフに対する歌から神聖な性質を取り除け。
彼らへの崇敬は偶像礼拝であると示せ。
崇敬を主張する者たちを、ばかげている者たちとせよ。
プロテスタントの歌を導入せよ。
それにより、「カトリック教会はようやく、プロテスタンティズムが本当の宗教だと認めるようになった」とか、少なくとも、「プロテスタンティズムはカトリック教会と等しいものである」という印象を与えるだろう。
すべての賛美歌を排除せよ。イエスに対する賛美歌もだ。
なぜなら、そういうものは、人々がまだ子どものころから、神への難行苦行の生活から生じる幸福と静寂のことを考えさせるからである。
従来の儀式はどこか間違っていたと人々に思わせる新しい歌を導入せよ。
どのミサでも(少なくとも一つのミサでは)、イエスのことは何も言わず、その代わりに人々への愛だけを語るようにせよ。
若者は、隣人愛のことを聞くと感動するだろう。
愛と許容と結束(統一)を説教せよ。
イエスには言及するな。
聖餐(聖体拝領)についてのどんなアナウンスも禁止せよ。
聖人のどんな遺物も取り除け。その後で、祭壇からもそれらのものを取り除け。
その代わりに、サタンのミサで人間をいけにえとして献げる時に使われる、神聖化されていない異教のテーブルを置け。
ミサの祝典を遺物を含む祭壇でのみ行わせようとする教会法を取り除け。
聖櫃(せいひつ)内の聖餐のパンの前でミサの祝典を行うことを中止せよ。
ミサの祝典のために使われる祭壇上でのどんな聖櫃(せいひつ)も認めるな。
そのボードは食卓テーブルの外観を呈するものにすべきである。
それは少しも神聖なものではないことを表すために、持ち運び可能なものでなければならず、たとえば、会議用およびトランプ遊び用など二通りの目的で使用しなければならない。その後で、そのテーブルにイスを置け。
司祭は、食事の後でくつろぐのと同じように、聖体拝領の後は、その姿勢をとらなければならない。
司祭は、ミサの間は決してひざまずいても、片ひざをついてもならない。事実、食事の時、ひざまずく者など一人もいない。
司祭のイスは聖櫃(せいひつ)の場所に置かれなければならない。
会衆に、聖体の代わりに司祭を礼拝し、あがめるよう奨励せよ。聖体に従うのではなく、司祭に従うよう奨励せよ。
会衆に、司祭がキリストであり、彼らの指導者であると告げよ。
聖櫃(せいひつ)を別室に置き、見えなくせよ。
聖人たちを教会カレンダーから消えるようにし、常に、ある決まった時期をいくつか残すようにせよ。
聖人たちについて司祭が説教することを禁止せよ。福音書に言及されている者たちは別である。
会衆に、プロテスタントの者たちの中には、(そういうものがあれば)おそらく教会内で、あきれてしまう者たちがいるはずだと告げよ。プロテスタントの者たちを混乱させるどんなことも避けよ。
聖書朗読の際は、「聖なる(holy)」という語を省け。たとえば、「聖ヨハネによる福音書」の代わりに、「ヨハネによる福音書」と言うだけにせよ。
これは、会衆に、もはや聖人たちを敬うべきではないと思わせることになるだろう。
新たな数々の聖書を書き続けて、それらがプロテスタントの聖書と同じものとなるようにせよ。
「聖霊(Holy Spirit)」という表現の中の「聖(Holy)」という形容詞を削除せよ。このことで道が開かれていくであろう。
優しさに満ちた母親のように神の女性的性質を強調せよ。
「Father」という用語の使用を排除せよ。
敬虔についての人々のどんな本も消滅するようにし、それらを破壊せよ。
その結果、イエス、マリア、ヨセフの神聖なる心への連祷は、聖餐の準備としても、終わるであろう。
聖餐の後の感謝の祈りも同じく不必要なものとなるだろう。
天使たちの像や絵も、すべて消えるようにせよ。
我々の敵どもの像に、なぜ邪魔させるべきであろう?
それらを、神話、あるいは、おとぎ話であると定義せよ。
天使たちに関する話をさせるな。それは我々の友であるプロテスタントの者たちを混乱させるものである。
悪霊を追い払う小さな悪霊払いを廃止せよ。そのことに努め、「悪霊は実在しない」と告知せよ。
こう説明せよ、「これは聖書で悪を描写するために採用されている方法であって、邪悪な者なしには数々の興味深い物語は存在し得ないのだ」と。
その結果、人々は地獄の存在を信じなくなり、地獄に落ちることも恐れなくなるだろう。
繰り返しこう言え、「地獄は神から離れていることにすぎず…何も恐ろしいものは存在しない」と。
こう教えよ、「イエスは、ただの人にすぎず、兄弟たちも姉妹たちも一人もなく、権力者たちを憎んだ者であった」と。
こう説明せよ、「彼は遊女たちを愛した、特にマグダラのマリアを愛した。彼女たちは教会や会堂とどう関わればよいか知らない者たちであった」と。
「イエスは、聖職者の指導者たちに従うなと忠告した」と彼らに告げ、「彼は偉大な教師ではあったが、教会の指導者たちに従うことをなおざりにした時、正しい道からそれた」と説明せよ。
十字架に関してそれを勝利として議論することを阻止せよ。その反対に、それを敗北として提示せよ。
シスターたちが虚栄心、魅力、美に集中するようになれば、彼女たちをその天職に対する裏切りへと誘うことが可能であることを覚えよ。
彼女たちに、彼女たちの教会論的な習慣を変えさせよ。それは当然、彼女たちが自分のロザリオを是認されないものとして捨て去ることに通じるであろう。
修道女たちに告げよ、彼女たちは自分の習慣を棄てなければ、受け入れられなくなる、と。
会衆の間でも、教会論的な習慣の信用を損なうようにせよ。
すべてのカテキズム(教理問答)を焼却せよ。
宗教教師たちにこう告げよ、「神自身を愛することの代わりに、神の被造物を愛することを教えよ」と。
「人目もはばからずに愛することは、成熟の証しである」と。
「セックス」という用語が日々の宗教授業で、誰もが知っている語となるようにせよ。
「セックス」を新たな一つの宗教とせよ。
子どもたちに現実を教えるために、宗教学課にセックスのイメージ(像)を導入せよ。
必ず、その数々のイメージが明白なものであるようにせよ。
諸学校に奨励せよ、性教育において進歩的な考え方をする学校となるように、と。
司祭の権威を通して、性教育を導入せよ。そうすれば、親たちはそれに何も反対することはなくなるであろう。
カトリックの諸学校を抑圧し、修道女たちの天職を妨げよ。
修道女たちに、彼女たちは低賃金のソーシャルワーカーたちであること、そして、カトリック教会は彼女たちを排除しようとしていることを明らかにせよ。
カトリックの信徒の教師でも政府の学校の教師たちと同額の賃金をもらっていると力説せよ。
カトリック教徒でない教師たちを採用せよ。
司祭たちは、該当する世俗の従業員たちと同額の給与を受けなければならない。
すべての司祭は自分の聖職者用の長服と十字架を取り払い、だれにでも受け入れられるようにしなければならない。
これに従わない者たちを、馬鹿げた者たちとせよ。
教皇が関わる諸大学を破壊して、教皇職を完全に押さえ込め。
諸大学を教皇から切り離し、こうして政府がそれらを助成するようになるのだと言え。
宗教的研究施設の名前を、世俗的な名前で置き換えよ。エキュメニズムに好意的にさせるために。
たとえば、「無原罪懐胎の学校」の代わりに、「ニュー・ハイスクール」と呼ぶのだ。
全教区でエキュメニズムの部門を設立し、それらがプロテスタントの者たちによってコントロールされるようにせよ。
教皇のための祈りとマリアのための祈りが禁じられているのは、それらがエキュメニズムをはばむからだ。
地方の司祭たちは有能な権威者たちであると告知されている。教皇は名目上の長にすぎないことを支持せよ。
会衆に、教皇の教えは会話のためにだけ役立つが、それ以外は重要ではないと説明せよ。
教皇権と戦い、彼の活動に関する年齢制限を設けよ。
その年齢制限を徐々に引き下げ、彼を過重労働から守りたいのだと説明せよ。
大胆になれ。聖公会の教会会議を導入することによって教皇職を弱めよ。
そうする時、イギリスにおけるのと同様に、教皇は名目上の長にすぎなくなるであろう。イギリスでは、上院と下院が統治し、それらから女王は指示を受けるのである。
次に、司教たちの権威を弱くし、司祭たちのレベルの研究施設を生じさせよ。こう言え、この仕方で司祭たちは彼らにふさわしい注目を受けているのだと。
最後に、司祭たちを統治する信徒たちのグループを形成して、司祭の権威を弱めよ。
この仕方で、あなたたちは激しい憎悪を生じさせることになり、枢機卿たちさえもカトリック教会を放棄するようになり、その後で、カトリック教会は民主的になるであろう。…新たなカトリック教会である。…
司祭制度への数々の職務者を減らし、それに対して平信徒が畏敬の念を失うようにせよ。
だれか一人の司祭のスキャンダルが公になれば、何千人もの職務者たちを滅ぼすことになるであろう。
だれか一人の女性への愛のためにすべてを棄てた司祭たちを称賛し、彼らを英雄扱いせよ。
平信徒に下げられた司祭たちを、真の殉教者のように、もうこれ以上耐えることができないところまで抑圧された者のように、称賛せよ。
その反面、何らかのスキャンダルの際に禁じられていることとして、聖職者の職務に就いている我々フリーメーソンの同胞たちは知られてはならず、彼らの名前が公開されてもならない。
聖職者内部の同性愛に寛容であれ。
会衆に、司祭たちは孤独(寂しさ)で苦しんでいるのだと告げよ。
聖職者不足を理由に数々の教会の閉鎖を開始せよ。
その行為は良いことであり、節約的なこととされている。
神はどこででも祈りを聞いてくれると説明せよ。
この仕方で、諸教会の存在は、途方もないお金の浪費となるであろう。
とりわけ、伝統的な敬虔さを実践している教会をすべて閉鎖せよ。
信仰の弱い平信徒と司祭たちの委員会を利用せよ。彼らはマリアのどんな幻(顕現)でも、奇跡らしきものでも、特に大天使ミカエルの奇跡らしきものでも、特に大天使ミカエルの奇跡らしきものでも、それらを難なく非難し、とがめるであろう。
第二バチカン公会議で、そういうどんなものも、少しの程度でも、決して是認されないようにせよ。
もしだれかが、そういう啓示に従うなら、あるいは、だれかがそれらを再考するとしても、それは権威に対する不従順であるとせよ。
預言者たちを、教会会議の権威に敵対する不従順な者たちとして提示せよ。
彼らの評判を落とし、だれ一人彼らのメッセージを考慮しなくなるようにせよ。
対立教皇(アンチポープ)を立てよ。彼がプロテスタントの者たちを、またおそらくはユダヤ人たちをも、カトリック教会の中に連れ戻すようにせよ。
もし司教たちが投票権を与えられるようになれば、だれか一人の対立教皇が立てられることが可能となるであろう。
この仕方で、多くの対立教皇が投票権を受けるようになり、そうして、妥協案として、一人の対立教皇が職務に就けられるようになるであろう。
真の教皇が死んだものとなるようにせよ。
第二および第三学年の学生たちのために、聖餐の前の告解(罪の赦しの儀礼)を取りやめ、そうして彼らが第三および第四学年、さらにその上のクラスに進む時、告解について何も心配しないようにせよ。
その後、告解は消えていくであろう。
グループでの解決の伴う共同体の告白を導入せよ(沈黙の内に)。
会衆に、これは聖職者不足のために起きていることだと説明せよ。
聖餐(パン)を配ることは、女性たちと平信徒たちによって行われるようにせよ。
こう言え、「今は平信徒の時代である」と。
プロテスタントの者たちがするように、舌の上にではなく手に聖餐(パン)を置くことから始めよ。
キリストはそのようにしたと説明せよ。
我々の神殿での「黒ミサ」(black mass)のホストたちを幾人か集めよ。
その後で、個人的な聖餐の代わりに、聖別されていないホストたちのカップ(杯)を配れ。それは、会衆が家に持ち帰ることができるものである。
会衆にこう説明せよ、こうやってこの聖なる賜物を日常生活に取り入れることができる、と。
毎回の聖餐のためにホストたちの自動分配器を設置せよ。そして、それらの聖櫃(せいひつ)に名前を付けよ。
彼らは「ピース・サイン」(peace sign)を交わさなければならないと告げよ。
人々に、教会に来て中に入ることを奨励せよ。デボーションと祈りを妨害するためだ。
『十字を切る』しぐさをするな。その代わりに、ピース・サインをせよ。
キリストも起きて弟子たちにあいさつしたと説明せよ。
そのような瞬間に心を集中させてはならない。
司祭たちは、聖餐のパンには背を向け、会衆を重んじなければならない。
対立教皇(アンチポープ)が選出された後、司教たちの教会会議も、司祭たちの協議会も、教区の評議会も解散せよ。
これらの新たな条文に、許可なくどんな宗教上の質問をすることも禁止せよ。
こう説明せよ、神は謙虚さを愛され、栄光にあこがれる者たちを憎まれるのだ、と。
教会会議の権威に逆らう不従順、疑問を投げかけるすべての者を非難せよ。
神への不従順を阻止せよ。
会衆に告げよ、彼らは、より上位のこれらの聖職者たちに従わなければならない、と。
その教皇(=対立教皇)に、彼らの継承者たちを選ぶ最大限の権力を与えよ。
神を愛するすべての者に、破門(除名)を覚悟で命令せよ、「あの獣の刻印を付けよ」と。
ただし、それを「獣のしるし(sign)」と呼ぶな。
「十字を切る」ことは、人々に関しても、彼らを通しても、行われるべきではなく、使われるべきでもない。(あなたたちは、もはや祝福すべきではない)
「十字を切る」ことは、偶像崇拝および不従順を指し示すものとされるであろう。
教皇の無謬性以外、従来の数々の教理を偽りであると宣言せよ。
イエス・キリストを革命に失敗した者と布告せよ。
「真のキリストは、まもなく来る」とアナウンスせよ。
選ばれた対立教皇(アンチポープ)にだけ従わなければならない。
会衆に告げよ、彼の名前が発せられる時、彼らは身をかがめなければならない、と。
教皇のすべての配下の者たちに命令せよ、聖戦を戦い、『一つの世界宗教』を拡大させよ、と。
サタンは、人間がどこで、あのすべての失われた金を見出すかを知っている。
あわれみなしに世界を征服せよ!
このすべてのことは、人類が常に渇望してきたあらゆるものを人類にもたらすであろう。すなわち、『平和の黄金時代」だ。
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