■アメリカで処刑された33人の男女
(詳細は→"Did Calvin Murder Servetus?" by Stanford Rives,APPENDIX N 参照)
- 1659年〜1661年 『ボストンの殉教者たち」(Boston martyrs)
17世紀にアメリカ・マサチューセッツ州セイラムに渡ったカルビニストたちがいます。
『マサチューセッツ湾植民地』(オランダのチャーター会社)の総督ジョン・エンデコット(カルビニスト)は、クェーカー教徒たちに対し、もし、唯一の合法的教会である『オランダ改革派教会』に抵抗すれば死刑だと脅しました。
彼はこう言いました。
「注意しろ。我々の教会法に違反するな。
もし違反すれば、おまえたちは必ず絞首刑になる」("The Flushing Remonstrance" in the Liberty Magazine)
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ジョン・グリーンリーフ・ウィッティアの詩『カサンドラ・サウスウィック』で、ウィッティアは総督エンデコットを「暗く横柄な」人物として表現し、クエーカー教徒に対して「苦々しい憎しみと侮り」を表したと言われています。
また、繰り返し違反した人々には、「耳を切り落とすこと」や、「舌に、熱した鉄で穴を開けること」などが法制化されていました。(John Endecott ジョン・エンデコット "John Endecott: A Biography", by Mayo, Lawrence Shaw ,1936 参照)
その後、1659年〜1661年、メアリー・ダイアーら4人のクェーカー教徒
が『マサチューセッツ湾植民地』の議会のもとで『宗教上の信念』だけの理由で絞首刑にされました。
さらにエンデコットは、もう一人のクェーカー教徒にも、「追放していたのにマサチューセッツに戻った」という理由で死刑判決を下しましたが、これは実現しませんでした。
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