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シナイ写本は4世紀に書かれたのではなく、古文書学の専門家であるコンスタンティン・シモニデス氏により19世紀に書かれました。 シモニデス氏がいたその修道院(アトス山にあるパンテレイモン修道院)は、一冊の写本聖書をロシア皇帝に献呈しようとしていました。 そのため、シモニデス氏がそれを書いたのです。 その写本自体は偽造物ではありませんでした。
■酸化していないベラム皮紙 そのベラム皮紙(上質皮紙。動物の皮から作られる)は酸化していません。 それとは対照的に、800年も前の『マグナ・カルタ』(1215年にイギリスで制定された大憲章)は非常にもろい(壊れやすい)ものです。 ところが、シナイ写本は、マグナ・カルタの二倍も古いもの(4世紀に書かれたもの)であると主張されています。 皮のコラーゲン(ベラム)は腐敗してバラバラになるものですが、シナイ写本は 新鮮で、しなやか です。(シナイ写本を保管している)大英博物館そのものが、その摩耗は劣化によるというよりも、機械的損傷によるものであると記しています。 こうして大英博物館は、あからさまには言うことばできないことですが、シナイ写本がとても古いものではあり得ないことを実質的に認めています。 ■現代のギリシャ語が使われている! シナイ写本が19世紀に書かれたことの二番目の証拠は、それが聖書以外の数々の書物を含んでいることです。その一つは、『ヘルマスの牧者』と呼ばれるものです。これは、一つの外典ですが、ラテン語で書かれた断片でのみ保存されているものです。 シモニデス氏はそれをギリシャ語で発行することに貢献しました。 ティッシェンドルフは、シナイ写本を入手した人物です。 《ティッシェンドルフ》 ところが、その後、彼は、シナイ写本の数々のページの中に、それと同一の『ヘルマスの牧者』の写本があるのを見つけました。 そして、それから、ティッシェンドルフはこの真実(『ヘルマスの牧者』が現代版の作品であること)を否定しました。 シナイ写本の中には、『バルナバの手紙』(写真↓)もあります。 これは、1843年にコンスタンティン・シモニデス氏によって出版されています。(ティッシェンドルフがシナイ写本を発表する前) この『バルナバの手紙』には、『ヘルマスの牧者』の場合と同じく現代的なギリシャ語があり、シナイ写本の中で、『ヨハネの黙示』が終わったすぐ後に続いており、この写本全体が現代のものであることを証明しています。
ですから、シナイ写本が19世紀の作品であることが証明されるのです。 シナイ写本が4世紀のものであるという主張は偽りです。 シモニデス氏は、自分がそれを書いたことをいつも述べました。 それはロシア皇帝のためにのみ書かれたのであり、それ以外のものとする意図は全くなかったのです。 ■同一人物によるマルコ16・9〜20の削除! NIV、ESV、さらにはNKJVなどの現代版聖書の脚注には、こう書かれています。
これにより、その発行者たちの意味することは、この箇所がシナイ写本およびバチカン写本の中にはないということです。 けれども、マルコの福音書のこの終わりの箇所は、主なるイエス・キリストの復活についての記述です。 マルコの福音書のこの復活の箇所は、聖書に付け加えられたのではなく、一人の偽造者がシナイ写本およびバチカン写本の両方からそれを取り除いたのです。 その証拠は、子どもでもわかるくらいに非常に明白です。 その同じ偽造者はシナイ写本とバチカン写本の両方を取り扱い、自分の犯罪についての同じ証拠を残しました。 犯罪者たちは常に何らかの「跡」(あと)を残すものでが、この場合は注意深くもありませんでした。 二枚の皮紙を折って、綴じ合わせると、8ページ分の帖(じょう)(折り本)になります。 一つのページだけ入れ替えるためには、一帖の全部を差し換える必要があります。 バチカン写本とシナイ写本の両方で、マルコの福音書の終わりの箇所を含む一帖の全部が、それ以外の写本の箇所とは別の一人の人物の筆跡で書かれています。 マルコ16・9〜20が書かれていたはずの、ちょうどぴったりのサイズのギャップ(空隙)も存在します。 しかし、最もショッキングなのは、バチカン写本とシナイ写本の両方で差し換えられて書かれている箇所(マルコ16・8迄、およびルカ1・1以降)が、同一人物の筆跡で書かれていることです!! (詳細は→『偽造されたシナイ写本』シリーズ) したがって、シナイ写本もバチカン写本も、(異なる時代の)異なる人々によって書かれてはいても、両者とも、同じ一人の犯罪者によってマルコ16・9〜20が削除されたのです。 この二つの写本は、どちらも偽証物です! ■消された署名・19世紀に製造された墨汁・不自然な虫穴! シモニデス氏は、自分のいくつもの署名(サイン)がどのページに書かれているかを述べましたが、その一つ一つのページで、その署名が消されていました。 たぶん、ティッシェンドルフ自身がそれをしたのでしょう。 そのような抹消の一つは、19世紀に製造された墨汁で行われていました。 別の数々のページには、正方形の数々の穴があります。 それは、偽造者により、作業の途中でできたものであり、どんな虫によっても作られることのない穴です。 本物の虫穴なら、一冊の本の中でページとページの間にマッチする(ぴったり合う)はずですが、シナイ写本では、マッチしていません。 別のあるページでは、すでに存在する虫穴を避けるために、文字が小さめになっている箇所があります。 また別のページでは、執筆が穴の前でストップし、穴を越えた所から再びスタートしています。 これは、その執筆が、すでに存在する虫穴の後から行われたことを証明しています。 ■15世紀に書かれたバチカン写本・19世紀に書かれたシナイ写本! シナイ写本は19世紀に書かれました。 バチカン写本は15世紀のある人物の手によって書かれています。 本当の聖書本文は、あの『受け入れられた本文』(TR)です! 1453年、コンスタンチノープルの陥落後、TR本文のすべてのギリシャ語写本が西洋に送られました。トルコ人たちによる破壊から免れるためにです。 エラスムスは、それらの写本が、改ざんされた聖書であるラテン語ウルガタ聖書(ローマ・カトリックの聖書)といかに異なるものであるかに、すぐに気付きました。 その当初(4世紀)から、ウルガタ聖書以外のどんな聖書を読むことも、だれにも許されませんでした。 違反した者は死刑に処するという条件付きでした。 この『受け入れられた本文』(TR)が西洋に届いてからまもなく、それに反撃するべくバチカン写本が偽造されたのは、決して偶然の一致ではありません。 なぜバチカン(ローマ教皇庁)はこれらのことを行うほどにまで激しく聖書に敵対するのでしょうか? その答えは簡単です。 それは、『聖書を土台とするキリスト教』とは何の関係もありません。 ですから、事実、20世紀に至るまで何世紀もの間、聖書を信じる敬虔なクリスチャンとして生きる人々は、いつでも生きたまま火刑に処せられてきました。 今やローマ法王は、カトリック教徒であっても、そうでなくても、無神論者たちでさえも、みな天国に行くことになると言っています。 |
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●歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現" 2 白いシナイ写本・ 3 だれがシナイ写本を 4 色付けされたシナイ写本 5 シナイ写本の意図的な削除 6 偽造写本『2427』の正体 7 ティッシェンドルフが持ち去った 8 ティッシェンドルフに抜き取られた 9 シナイ写本・バチカン写本_ 10 バチカン写本・シナイ写本の構成 11 外典を含むバチカン写本・シナイ写本 12 マルコ16・9〜20が無い写本 13 2写本の検証1 14 2写本の検証2 |
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聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された |
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