聖書の歴史Q-6 |
■ネストレ版本文で『非常に重要な写本』とされた『2427』
これはネストレ版の『ギリシャ語新約聖書』(第27版)です。 これは、クルト&バーバラ・アーラント、イエズス会のカルロ・マリア・マルティニ、ブルース・メッツガーなどの人々によって編集されています。 これは、今日の世界で翻訳されている新約聖書の、ほとんどすべての翻訳を決定づけるギリシャ語本文です。 ローマ・カトリックの聖書でも、ギリシャ正教の聖書でも、プロテスタントの聖書でも、バプテスト派の聖書でも、です。 UBS(聖書協会世界連盟)、ウィクリフ聖書翻訳協会、あるいはそれ以外の何百もの団体で働きをしている翻訳者でも、この公式な聖書本文以外の本文を使用することは許されていませんでした。ただし、第28版が出るまでは、です。 こちらが、そのマルコの福音書の箇所です。 私はここで何カ所かに色づけをしています。 これらのオレンジ色の箇所がわかるでしょうか? (それぞれクリックすると拡大されます) これらの箇所は、『重要な本文の読み方』とされるものが指摘されている箇所ですが、どれも、ギリシャ語写本『2427』というたった一つの資料から見出される『読み方』なのです。 それは『非常に重要な写本』と考えられ、マルコの福音書の一つの語、語句、節におるどんな変更(変化形)のためにも決してないがしろにしてはいけないものとされました。 私がみなさんにこのことについてお話しするのは、なぜでしょうか? なぜなら、それは偽物だからです。 この偽物の写本は、シナイ写本とどんな関わりがあるのでしょうか? このことは、偽造物を見つけ出す方法について私たちに特別な教訓を教えてくれるのです。 |
■アーラントの"最善の資料"とされた写本『2427』
ここにあるのは、カートとバーバラ・アーラントによる本文批評の教科書、『新約聖書の本文』です。 この本の中の『カテゴリー1』に分類されるもの(カートとバーバラ・アーラントにより"最善の資料"とされるもの)の中に、写本『2427』の最後のページが載っています。 写本『2427』は、小さな写本です。それにはマルコの福音書しか書かれていませんが、 イラストが描かれています。 (クリックで拡大されます) この写本『2427』を見てみましょう。 これらの文字は小文字です。 興味深いのは、この箇所です。(クリックで拡大されます) これは、14世紀のもの、1300年代のものとされています。 そして、これが『カテゴリー1』に入っているのです。 |
■バチカン写本とほぼ全く同じ写本『2427』
なぜ、1300年代の写本が"最善の写本"の一つとみなされているのでしょうか? なぜなら、それがバチカン写本(下の写真)の本文と、ほぼ全く同じであるからです。 バチカン写本は、シナイ写本とともに、現代版聖書のほぼすべての変化形の作成のために使われているものです。 バチカン写本は(エジプトの)アレキサンドリア型写本であり、アレキサンドリア型写本は『カテゴリー1』("最善の資料")に分類されています。 写本『2427』も『カテゴリー1』に分類されています。 私の教授の教授であったアーネスト・カドゥマン・コルウェルは、この写本『2427』に別の名前を付けました。 彼はこの写本を、『古代のマルコ福音書』と呼びました。 『最古で最善のもの』としてです。 彼は、これはマルコの福音書の『原初の本文』を保持していると言いました。 この写真で、彼はエドガー・グッドスピード(向かって右側の人物)といっしょにいます。グットスピードは、『外典付きの新約聖書』を作りました。 彼は、シカゴ大学のために写本『2427』を入手した人物です。 本文批評学者たちには、『1300年代のある書記者が、バチカン写本の中にあるマルコ福音書とほぼ同一のマルコ福音書の写本を持っていて、それから書き写した』と思われたようです。 ただし、このマルコの福音書は、当時の他の数々の聖書の本文とは全く異なるものでした。 こうして、コルウェルも、エドガー・グッドスピードも、キルソップとシルバ・レイクも、カートとバーバラ・アーラントもみな、写本『2427』を導入しました。 さて、だれでも知っているように、どの写本も、何かから書き写したもの(コピー)です。 この写本『2427』は、何から書き写したものなのでしょうか? コルウェル教授はそのことについて考えましたが、決して答えを見出すことはありませんでした。 それは偽物かもしれないと疑った人々も少数いました。 コルウェルは、『写本『2427』に関して言われているどんなことも間違っている』と言いました。 けれども、彼らの行動計画がストップしたわけではありませんでした。 先ほど見た通り、『ネストレ版ギリシャ語新約聖書』で、彼らは、写本『2427』はマルコの福音書の原文を証言するものとして最も重要な『証言』であると主張したのです。 これを見てください。(クリックで拡大されます) これが長年にわたり、彼らの本文の決定に影響を及ぼしてきたのです。 |
■写本『2427』の原文
ところで、私たちは写本『2427』が何からのコピー(写本)であるのかを見出さなければなりません。 ここで登場したのが、ステファン・カールソン氏です。(詳細→"Archaic Mark" (MS 2427) and the Finding of a Manuscript Fake) カールソン氏は写本『2427』を注意深く分析しようとしました。 2005年の夏、彼は、マーガレット・ミッチェルがその写本全体をインターネット上に掲載していることを知りました。 そして彼は仕事にとりかかり、最終的に、この写本(『マルコの福音書』)の中に、三つの節を見出しました。 マルコ6・2、8・11、そして14・14です。 これらの箇所では、非常に多くの語が欠落しており、書き写していた間に書記者が誤って本文の一行全部を飛ばす(スキップする)ことを三度してしまったように見えたのです。 ただし、それらの行は、バチカン写本の中にあるような短い行ではありませんでした。 それらの行は、現代の印刷された書籍の中にあるような長い行でした。 彼は、写本『2427』に欠落しているそれらの語と同じ語が、別の何らかの本の本文の一行でも欠落しているのを見つけることができれば、書記者がどの本から書き写したかがわかるはずだと考えたのです。 バチカン写本を調べても、うまくいきませんでした。 一つの行にある語数が少なすぎるのです。 ウェストコットとホートの本文を調べても、うまくいきませんでした。 ティッシェンドルフの『ギリシャ語新約聖書』の第七版と第八版を調べても、うまくいきませんでした。 その本は、どこにあったでしょうか? そして、それはいつ作られたのでしょうか? 彼はワシントン・D・Cのいくつもの図書館を巡り、さまざまな聖書を調べました。 カール・ラッハマンの新約聖書や、イエズス会士のマイ枢機卿による版の『バチカン写本』などをです。 けれども、だめでした。 2006年、彼はその欠落している語をカードに書き、イエズス会ジョージタウン大学や国会図書館でさまざまな聖書を調べましたが、何も見つかりませんでした。 最後に、彼はアメリカ・カトリック大学に行き、一ダース(12)くらいの聖書を調べました。 そして、彼は掘り当てたのです。 |
■ブットマンの『ギリシャ語新約聖書』
彼が見つけたのは、フィリップ・ブットマンによる『ギリシャ語新約聖書』のこの特別な版(1860年版)でした。 イエズス会士のアンジェロ・マイ枢機卿(1782年〜1854年)は長年にわたってバチカン写本を管理していました。 彼はティッシェンドルフやトリゲレスに、できるだけそれを見せないようにしていました。 その間、彼は自分自身のファクシミリ版(バチカン写本)を出版するために準備していました。 それ(マイ枢機卿のファクシミリ版『バチカン写本』)が世に出たのは、1857年と1859年でした。
ある人物が、それらのミスをも、そのまま書き写したのです。 その人物は、フィリップ・ブットマンでした。
彼は、マイ枢機卿の数々の間違い(エラー)を、そのまま自分の『ギリシャ語新約聖書』(1860年)の『マルコの福音書』の箇所に書き写したのです。 (詳細→"Archaic Mark" (MS 2427) and the Finding of a Manuscript Fake) ブットマンによる『ギリシャ語新約聖書』には、マイ枢機卿によるファクシミリ版の『バチカン写本』と異なる"ブットマン独自の箇所"が、およそ85箇所ありました。 ブットマンは彼の『ギリシャ語新約聖書』を1860年に発行しました。 ところが、1867年に、ティッシェンドルフによる『バチカン写本』が世に出ました。 それはマイ枢機卿による版の『バチカン写本』(1857年と1859年)より、ずっと良いものでした。 そして、ブットマンの数々のミスのある『ギリシャ語新約聖書』を欲しがる人はなく、人々はティッシェンドルフの『バチカン写本』を買いました。 ブットマンの『ギリシャ語新約聖書』は歴史の『ゴミ箱』の中に葬り去られようとしていました。 ところが、1874年から1917年までの間のある時、ある偽造者がブットマンの『ギリシャ語新約聖書』を入手し、偽物の『古代のマルコ福音書』(写本『2427』)を作ったのです。
(写真左:写本『2427』 写真右:ブットマンの その偽造者は、マイ枢機卿の数々のミスを書き写しただけではありません。 彼は85の"ブットマン独自の箇所"のうちの81箇所をも、同じく書き写したのです。 そういう数々のミスも、そういう数々の"独自の箇所"も書き写している写本は、世界中にそれ以外一つもありません。
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そもそも、いくつかの基本原則に従っていたなら、だれも写本『2427』を信用する必要はなかったのです。 その原則とは、これです。
シナイ写本に関して、彼らはこれらののうち、どれを行ってきたと思いますか? ゼロです。
シナイ写本には出所を証明するものが何もないのです。 しかし、『歴史的に保持されてきた聖書』の場合、出所を証明するのは簡単です。 古代の世界のいたるところで見つかった写本が何千もあるのです。 ちょうど、イエス様がマタイ24・14で言われた通りです。
そして、それらの写本は互いにとても類似しており、『多数派、大多数』(Majority)を表す『M』という一文字で表示されています。(クリックで拡大されます) 現代の学者たちは、この『歴史的に保持されてきた聖書』の本文を激しく嫌っています。 この多数派の本文を表している写本は、小さな筆記体の写本だけでも1200以上あるのです。 ところが、それらの写本が、批判的なギリシャ語本文の中で参照リストに挙げられているのを、みなさんが見ることはありません。 カートとバーバラ・アーラントによれば、こうです。
つまり、彼らが取り組むべき本文が『歴史的に保持されてきた本文』ばかりであるなら、彼らの仕事はなくなってしまうのです。 彼らは、『大きく相違しているもの』を必要とするのです。 しかし、私たちはそういうものを必要としません。 私たちが必要とするのは、 すなわち、『聖書を信じる忠実な人々』という『流通過程』を通して歴史的に保持されてきて、私たちの言語に正しく翻訳された神のことばです。 英語であれば、それはキング・ジェームズ版聖書です。 だれかが、自分たちの聖書のほうが優れていると主張しようとする時、私はただこう言うだけです。 「お願いします、それを証明してください」 |
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●歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現" 2 白いシナイ写本・ 3 だれがシナイ写本を 4 色付けされたシナイ写本 5 シナイ写本の意図的な削除 6 偽造写本『2427』の正体 7 ティッシェンドルフが持ち去った 8 ティッシェンドルフに抜き取られた 9 シナイ写本・バチカン写本_ 10 バチカン写本・シナイ写本の構成 11 外典を含むバチカン写本・シナイ写本 12 マルコ16・9〜20が無い写本 13 2写本の検証1 14 2写本の検証2 |
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聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された |
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