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賢明なるギリシャ人シモニデス氏が『偽物のシナイ写本』に関して載せた記事を、私は貴誌により読みました。 あの旧新約聖書の写本および『バルナバの手紙』と『ヘルマスの牧者』、すなわち、ティッシェンドルフ博士によりシナイ山のギリシャ修道院から取り出されたものは、根気強きシモニデス氏自身の手の作品であることを、私はこの手紙により、すべての人に宣言します。 1843年2月、彼がアトス(のパンテレイモン修道院)でそれを書いているのを、私自身が見たからです。 そして私が確実なこととしてさらに知っているのは、それが彼により、コンスタンティウス総主教に渡されたことです。 総主教は、それをシナイの聖カタリナ修道院に送りました。 それが聖書の他の大文字写本と比較され、その後で同じシモニデス氏によって書き写され、ロシアのニコラス皇帝に献呈されるようにするためにです。
それで、コンスタンティウス総主教の命令により、聖なる修道士カリストラトゥスがそれを、その同じ修道院の他の数々の写本と比較し、一部を修正した後、それをその書庫に残し、シモニデス氏の帰還を待っていました。 けれども、シモニデス氏の来るのが間に合わず、その件はそのままにされていました。 それは、1844年5月にティッシェンドルフ博士がシナイのギリシャ修道院(聖カタリナ修道院)に来るまでのことでした(私の記憶違いでなければ、です)。 彼はそこに数日間滞在し、図書館員の許可を得て、私たちが今話題にしているその写本を彼の手中に収めました。 彼(ティッシェンドルフ)は、それを熟読し、何度も繰り返し熟読し、その小さいほうの分割部分を密かに抜き取りました。
そして、彼は邪魔されることなく立ち去りました。 そして彼は、最後にもう一度その同じ修道院に来た時、ロシア領事を通して、その残りの分割部分も入手しました。 私の判断では、決して果たされそうにない大げさな約束と引き換えに、です。 私はその場にずっといたので、そういうすべてのことを知っているのです。 そして私は今、真実のためにそれらのことを隠し立てせずに語っているのです。 そして、私はさらに宣言して言いますが、ティッシェンドルフ博士が入手したその写本は、シモニデス氏が約22年前に書いたのと同一の写本であり、それ以外の何物でもありません。 なぜなら、私はそれがティッシェンドルフの両手の中にあるのを見て、その作品だと認識したからです。 そして私は、まず、シモニデス氏に知らせました。 彼は、それまで、そのことについて知らずにいました。 すなわち、シナイ山の修道院の書庫から彼の写本が抜き取られたことです。 また私は、その中に半直線の文字列で書かれている『シモニデスによる』という語(署名)も初めから見ていました。 ところが、二日後、その芸術的に書かれた文字列を含むリーフ(皮紙)が無くなっていました。 だれによって行われたのか、私にはわかりません。 また私がさらに知っているのは、その写本がレモンの汁できれいにされて(洗われて)いたことです。 表向きには、それらの皮紙をきれいにする目的であっても、本当は、文字の鮮度を弱めるためです。 実際、そうなっていました。
《色付けされた皮紙》
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■ ティッシェンドルフ
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●歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現" 2 白いシナイ写本・ 3 だれがシナイ写本を 4 色付けされたシナイ写本 5 シナイ写本の意図的な削除 6 偽造写本『2427』の正体 7 ティッシェンドルフが持ち去った 8 ティッシェンドルフに抜き取られた 9 シナイ写本・バチカン写本_ 10 バチカン写本・シナイ写本の構成 11 外典を含むバチカン写本・シナイ写本 12 マルコ16・9〜20が無い写本 13 2写本の検証1 14 2写本の検証2 |
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