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● アリウスの友人であったエウセビウス 紀元325年、アリウス派の異端を押さえ込み、また決着を付けるべく、ニケア会議が招集されました。 アリウス(紀元336年死去)は、イエスは肉において来られた神ではないと信じていました。 すなわち、イエスは一人の被造物にすぎないと信じていたのです。 アリウスにとって、イエスは一人の人間以上の存在ではあっても、決して神ではなかったのです。 初代教会の歴史を記した「偉大な歴史家」とされているエウセビウスも、アリウス派でした。すなわち、宗教心はあっても新しく生まれ変わってはいない一人の人間であり、また、アリウスの友人でもありました。 コンスタンティヌスとエウセビウスは、この会議の正統派の主教たちから大きな圧力を受けて、主なるイエス・キリストの神性に関し、「より懐柔的な見解」を取りました。 彼らは、もはやアリウス派ではなくなりましたが、それを完全に否定しようともしなかったのです。 しかし、イエス様に関してそうすることは、決してできません。 人は、キリストの神性について、「懐柔的な見解」を取ることはできません。 その人が本当にクリスチャンであるか否かについての根本的な問いは、「あなたにとって、イエス様はどういうお方か?」ということです。 もし、だれかが、「イエス様は、肉において来られた神であられる」、「彼は、人類の罪のための血のあがないをするために、世界の人々の罪のために死なれて三日目に死人たちの中からよみがえられた」と信じていないなら、その人はクリスチャンではありません。 それが、「クリスチャン」についての聖書的な定義です。 「クリスチャン」とは、単に水のバプテスマを受けたことのある人、堅信礼を受けたことのある人、あるいは、教会員名簿に名前が載っている人のことではありません。
アリウスは追放されましたが、二年後、コンスタンティヌスが彼の復帰を許可しました。 アリウスと同じように、コンスタンティヌスとエウセビウスも、「イエス様と父なる神は本質的に一つである」という教えを遵守してはいませんでした。 ● アリウス派であったローマ・カトリック教会の主教たち コンスタンティヌスはローマ帝国の皇帝であっただけでなく、実質的に、ローマ・カトリック教会の教皇でもありました。 そのような者として、彼には、教会内のすべての主教や大主教たちを任命する義務と権威がありました。 人間的な見地からすると、教会組織はローマ政府の権威の下に完全に入っていたのです。 彼の息子であるコンスタンティヌス二世は、皇帝となった時にその権力を引き継ぎました。彼も、父親と同様に、アリウス派でした。 また、彼によって任命されたすべての主教も、教理はアリウス派でした。(注1) ………………………………… (注1)E.H.Broadbent,"The Pilgrim Church",pp.21-22 |
《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》
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■さらに深い理解のために(英語)… 《エウセビウスとは?》 《オリゲネスとは?》 フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.102~[PDF] 聖書に関わるサタンの策略などについて(David Blunt) → Which Bible Version:Does it Really Matter? |
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●歴史P 聖書の改ざんの起源 1 新約聖書が前もって警告していたこと 2 第一世紀から始まっていた聖書の改ざん 3 異端がはびこっていたエジプト 4 オリゲネスによる聖書の改ざん 5 オリゲネスの『ヘクサプラ』とは? 6 ローマ皇帝が選んだ『エウセビウス-オリゲネス版』聖書 7 エウセビウスが作った50冊の聖書 8 異端アリウス派のエウセビウス 9 50冊の聖書とコンスタンティヌス帝 10 ローマ・カトリックの公式聖書…ラテン語ウルガタ聖書 |
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聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された |
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