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■プロテスタント&カトリック向けの"聖書"
そのような聖書を作ることは、エキュメニカル運動の進展のために大きく貢献することになります。 (注1a)Mexican Freemasons Mourned For John XXIII's Death Pope St. John XXIII (注1b)MASONRY PROVEN CONCLUSIVELY TO BE WORSHIP OF LUCIFER, SATAN! Part 1… (注1c)Pope St. Paul VI |
■1966年: UBS総裁マイケル・ラムゼイとの会見
1966年、パウロ6世は、UBS(聖書協会世界連盟)の総裁であったマイケル・ラムゼイ(1904年〜1988年)と会見しました。 マイケル・ラムゼイは、イギリス国教会のカンタベリー大主教(1961年〜1974年在位)でもあり、WCC(世界教会協議会。『エキュメニカル運動』の推進団体)の委員の一人でもありました。 彼はイギリス国教会の聖職者たちとともにローマ教皇のもとを訪れ、パウロ6世の指輪に口づけしました。 セント・ポール大聖堂(聖パウロ大聖堂)はイギリスのロンドンにあるイギリス国教会の聖堂です。 その天井に、フリーメーソンのシンボルがあります。
1966年、UBS(聖書協会世界連盟)の総裁でもあったマイケル・ラムゼイは、イギリス国教会の聖職者たちとともにバチカンを訪れ、パウロ6世と会見しました。 翌年の1967年、マイケル・ラムゼイはアメリカを訪れた際、1966年のパウロ6世との会見に言及して、こう言いました。
………………………… (注2) Don Stanton, Mystery Babylon, Secunderabad: Maranatha Revival Crusade, April 1981 (注3) Ecumenicalism under the Spotlight, Challenge Press, pp. 22-23(M.L. Moser, Jr.氏による引用) |
■1967年: カトリック教会がUBSの本文編集に参画 そして1967年、パウロ6世は聖書学者カルロ・マルティニをUBS(『聖書協会世界連盟』)に送り、新約聖書本文の編集に携わらせる働きを開始しました。 《プロテスタント&カトリック向けの聖書》を作り出すため、すべての教会をカトリック教会へと統一させていくために、です。
教皇パウロ6世がUBSの新約聖書を編集させるために送ったカルロ・マルティニは、こういう人でした。
カルロ・マルティニは、UBSの新約聖書編集委員との共同作業を1967年から2002年まで約35年間続けました。 |
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■1975年: プロテスタント&カトリック向け聖書本文 1975年にUBS(聖書協会世界連盟)から発行されたギリシャ語新約聖書第3版は、プロテスタント&カトリック向けの最初の"聖書本文"でした。 マイケル・D・セムリエン氏はこう述べています。
ディビッド・ダニエルズ氏はこう述べています。
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■WH本文に基づく"新約聖書" UBS(聖書協会世界連盟)の編集委員会を代表するメッツガーはこう述べています。
(→ ◆カトリックと聖書協会世界連盟(UBS)の協定参照)
このように、マルティニおよび編集委員たちは、ウェストコットとホート作成のWH本文を土台の本文としてUBS版本文やネストレ-アーラント版本文を作成しました。
さらにカトリック教会でも使用可能な"聖書本文"へと変えるべく、「1968年から1979年までの間」だけでも、「そのギリシャ語の本文に500以上の変更」を行いました。マルティニは、2002年までこの働きを続けました。 こうして、《プロテスタント&カトリック向けの聖書本文》が作り出されました。 ただし、実際は、リベラル派とユニテリアン&カトリック向けの聖書本文です。 (→《リベラル派とユニテリアン向けの"聖書"》参照) |
■カルロ・マルティニが本文編集に加わる前と後 カルロ・マルティニが新約聖書の本文編集に加わる前と後の相違は次の通りです。
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■旧約聖書の本文 1979年に、カトリック教会は"新たな"ラテン語ウルガタ聖書"Nova Vulgata"を作りました。 これは、UBS第3版のギリシャ語新約聖書と1977年の新たなヘブル語旧約聖書(BHS)に基づく"新たな"ラテン語ウルガタ聖書です。 2008年にはモルモン教の教職者もUBS聖書本文の編集に加わり、新たな旧約聖書本文(BHQ:ビブリア・ヘブライカ・クインタ)も作られました。 (→《モルモン教も加わったビブリア・ヘブライカ》・ |
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■現代の新約聖書の歴史 _三段階の流れ
1881年に登場した英語"聖書"RV以降の新約聖書の歴史を三つの段階にまとめると、こうなります。 (1)【リベラル派+ユニテリアン】 リベラル派+ユニテリアン向けの本文と聖書 (1881年〜) ●そもそもRVは、TR本文を敵視していたリベラル派・降霊術者のウェストコットとホート、およびユニテリアンらの人々により、リベラル派とユニテリアン向けのものとして作られました。 (→《降霊術者らが作った改ざん"聖書"》・ 《リベラル派とユニテリアン向けの"聖書"》参照)
●その後、RVの土台となった聖書本文WH(ウェストコットとホート作成)からは数々の"聖書"が生まれました。 それらの新たな"聖書"は、同じくユニテリアンの人々が支配的であった『英国外国聖書協会』(その後、UBSに改称)を通して世界中で発行されていきました。(→聖書協会TBSとUBS参照) ●このWH本文を土台として、リベラル派の人々(メッツガー、アーラントなど。《現代の数々の聖書を編集するリベラル派の人々》参照)がUBS版聖書本文とネストレ-アーラント版聖書本文を作りました。 こうして、《プロテスタント向けの本文と聖書》(実際は、リベラル派とユニテリアン向けの本文と聖書)が登場しました。 ですから、それは、【リベラル派+ユニテリアン】向けの聖書です。 (2)【+カトリック】 リベラル派+ユニテリアン+カトリック向けの本文と聖書(1975年〜) 第二バチカン公会議の後、カトリック教会はカルロ・マルティニをUBSの新約聖書編集委員として送りました。
ですから、それは、【リベラル派+ユニテリアン+カトリック】向けの聖書です。
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この三つの段階の流れを図示すると、こうなります。 (1)【リベラル派とユニテリアン】向けの"聖書"(1881年〜) (2)【リベラル派+ユニテリアン+カトリック 】向けの"聖書" (1975年〜) (3)【リベラル派+ユニテリアン+カトリック それは、さらに"進化"していくことでしょぅ。 |
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■『一つの世界聖書』 やがて、この"聖書"は、『一つの世界宗教』のための『一つの世界聖書』となっていくことでしょう。 ディビッド・ダニエルズ氏はこう述べています。
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■イエス・キリストが認証された聖書 1994年2月19日、聖書を学んでいたアラビア半島にある学校の教室で、神の御子イエス・キリストが10歳の子どもたち21人に同時に現れてくださいました。(詳細は→《イエス様が確証された『本当の聖書』》参照) その時、イエス・キリストは手にKJ版(キング・ジェームズ版)の金縁の聖書を持っておられました。 それは非常に意味深い、重要な啓示でした。 KJ版聖書は、旧約聖書はマソラ本文から、新約聖書はTR本文から翻訳されたものです。 神の御子のイエス様は、
(詳細は→《神に認証された聖書》参照)
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●歴史U WH本文に由来する"聖書"
1 降霊術者らが作った改ざん"聖書" 2 リベラル派とユニテリアン向けの改ざん"聖書" 3 1ヨハネ5・7 保持する聖書・消された"改ざん聖書" 4 "一つの世界宗教"のための"一つの世界聖書" |
聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された |
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聖書の歴史W 信仰破壊システム 【1】全くちがう二種類の聖書 |
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★地獄に行った偽クリスチャンたち |
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