聖書の歴史 目次 

ウェストコットホートの信念

フロイド・N・ジョーンズ博士

ウェストコットとホートの「信念」

 ウェストコット(1825年〜1903年)は、イギリス国教会の主教であり、また、ケンブリッジ大学の教授でした。そしてホートも、任職を受けたイギリス国教会の聖職者であり、またケンブリッジ大学の教授でした。  ウェストコットとホートは、プロテスタントの学者であると見せかけて、キング・ジェームズ版聖書の1881年改訂委員会に参加するようになりました。
 実際は、彼らは教理と信念と行いにおいても、まさにローマ・カトリックでした。
 ウェストコットとホートがお互いや家族に宛てて書いた手紙が出版されたことにより、以下のことがわかってきました。
B.F.ウェストコット:悪霊との交信者
ウェストコット
(1825年〜1901年)
 表向きには、「聖職者」「大学教授」であったが、裏では、『亡霊クラブ』を設立して降霊術に関わり、オークランド城(イギリス)やペテルブルグの大聖堂(ロシア)に出かけて行き、「暗闇の中」で悪霊と「交信」していた。
 聖書を「神のことば」とも、「神の霊感」によるものとも信じてなく、イエス・キリストの「神性」も「あがない」も否定した。

 ある時、ウェストコットが修道院の近くにいて、チャペルに入った時、あるピエタ像(マリアがイエス様の死体を抱えている等身大の像)を見つけました。注1
 1847年にフランスから婚約者に送った手紙の中で、ウェストコットはその出来事に関し、こう記しました。
 「もし私が一人だけであったら、そこで何時間もひざまずくこともできたはずだ」
   [アーサー・ウェストコット著『B・F・ウェストコットの生活と手紙』(1903年発行)

 その時、彼は一人ではなかったので、その行為を慎まなければなりませんでした。
 なぜなら、そうすれば、彼の信念が本当はローマ・カトリック的であることが明らかになってしまったはずだからです。

 1865年十一月十七日、彼は大主教ベンソンに手紙を書き、こう述べています。
 「聖母マリア崇拝が、どういう忘れられた真理を証言しているものなのか、私は知ることができたらいいのにと思う」

 彼は、人間の堕落の話は、一つの寓話であって、進化の長い期間のことを述べているものだと言いました。
 彼は創世記の第一章から第三章が文字通りの歴史であること否定し、人間の堕落も否定しました。

 ウェストコットは、すべての女性は「マリア」という名前を付けるべきだと感じ、その結果、彼の妻のサラは、彼の求めにより、彼女の名前に「マリア」という名前を付け加え、それ以後、彼は彼女をそのように呼びました。

 ホート(1828年〜1892年) はこう言いました。
 「福音派の人々は、私には、不真実というよりむしろ、倒錯しているように見える」
[息子であるA・F・ホート氏の著書『F・J・A・ホートの生活と手紙』第一巻(1896年発行)
 この箇所は、1858年十月二十一日の手紙からの引用注2)]

 1865年十月十七日、ホートはこう書きました。
 「『マリア崇拝』と『イエス崇拝』は、その原因と結果において共通点がとても多くあることを、私は長年にわたって確信してきた」注3

 1867年十月二十六日、ホートはライトフット博士に宛てて書いた手紙で、自分が堅固な司祭制度主義者であることを告白していながら、ウェストコットに宛てた手紙では、「信者が祭司である」というプロテスタントの教えに関して、それを『気が狂った恐怖』であると記しました!注4
 彼は、エデンが文字通りの園であることを信じてはなく、また、アダムの堕落が彼の子孫のどの人物の堕落とも異なることについても、信じていませんでした。注5
F.J.A.ホート:悪霊との交信者
ホート
(1828年〜1892年)
 表向きには、「聖職者」「大学教授」であったが、裏では、『亡霊クラブ』を設立して降霊術に関わった。以前はウェストコットの弟子でもあった。
 聖書を「神のことば」とも、「神の霊感」によるものとも信じてなく、イエス・キリストの「神性」も「あがない」も否定した。
 弁舌が伝説となるほどの説得力を持っており、『無敵の弁護士』にもなったであろうと言われた。


 1980年三月四日、彼はカンタベリー大主教に宛てた手紙で、旧約聖書の批評学に関し、ホートの意見に同意して、こう書きました。
 「たとえば、創世記の最初の三章が文字通りの歴史のことを述べていると考えている人は一人もいないと私は思う。
 目を開けてその箇所を読んで、そのように考えることがどうして可能なのか、私には全く理解できない」注6

 1848年七月六日、ジョン・エラートン師に宛てた手紙で、ホートはこう述べました。
 「私には、純粋にローマ・カトリック的見解のほうが、福音主義的な見解よりも真理に近いものであり、その真理に行き着くことになるように思われる。
 …我々は数々の秘跡(サクラメント)をあえて見捨てることはしない。さもないと、神が我々を見捨てるであろう」注7

 また、1864年のウェストコット主教に宛てた手紙で、ホートは自分の確信を、こう述べました。
 「プロテスタントの教義は、補足的で一時的なものにすぎない」注8

 1861年十二月四日、ホートはウェストコットに、自分はギリシャ哲学のほうが好きであると書きました。
 ウェストコットとホートは二人とも、イギリス国教会の主教J・H・ニューマンの影響を受けました。
 このニューマンは、ローマ教会に復帰して、枢機卿とされた人です。ニューマンは天使論の教理を持っており、その中で彼は、「神と神の被造物との間に、多くの中間形態のものが存在した」というグノーシス派(異端)の見解を教えました。
 ウェストコットとホートは、コールリッジおよびモーリスの影響も受けました。この二人のユニテリアン派(キリストを神と認めない一神教)の人物は、汎神論的で形而上学的な人々であり、「聖書の霊感」を低く評価していました。
 コールリッジは、「理性こそが、神的なロゴス(ことば)であった」と言いました。
 フレデリック・モーリスは、ユニテリアン派の聖職者の息子であり、オクスフォード大学およびケンブリッジ大学の優秀な学生でした。
 彼は英国国教会の聖職者となった後、異端の教えのゆえに、ロンドンのキングスカレッジの校長の職を解雇されました。
 モーリスは、彼の時代の多くの指導者たちに、指揮官的な影響力を持っており、ホートに対してもそうでした。
 1871年十一月八日、ホートはモーリスについて、こう書きました。
 「モーリス氏は二十三年間にわたり、私の親友である。
 私は彼の数々の著書から大きな影響を受けてきた注9

 ウェストコットも、モーリスの著作に負うところが多いことを認めていました。注10
 ホートの息子は父親について、こう書きました。
 「父は在学中、コールリッジの魔法にかかりました」注11
 このように、この二人のイギリス国教会の「聖職者」(ウェストコットとホート)は、きわめてローマ・カトリック的な信念を表明していたのです。
 二人とも、ダーウィンの進化論を受け入れていました
 1860年四月三日、ホートはジョン・エラートン師に宛てた手紙で、こう宣言しました。
 「しかし、私の関心を最も引いたのは、ダーウィンの本であった。…
 それは、自分が著者と同時代であることを誇りに思わせてくれる本である。…
 この進化論は、論駁することのできないものであると私は思う」注12

 ウェストコットとホートは、イエス・キリストの死が罪人のための身代わりのあがないをただ一度で達成したことを否定しました。
 彼らが代わりに選んだのは、十字架刑を通してのあがないではなく、受肉(神性がキリストの肉体に宿ったこと)を通してのあがないを力説することでした。
 この見解は、マリアの地位を高めようとする試みでした。
 このような姿勢は、ローマ・カトリックのミサを支持するものです。
 こうして、彼らの見解は、イエス様が流された血を通してのあがないではなく、イエス様がマリアの内に宿って生まれたことによるあがないだったのです!
 さらに、ウェストコットは、聖書の数々の奇跡の記述を疑いました
 1847年八月十一日、ウェストコット主教はこう記しました。
 「私は奇跡の記述を一度も読んだことがないが、それがありそうもないことであると本能的に感じる」注13

 ウェストコットとホートは、聖書の最初の手書きの原稿が神の霊感によるものであったことすら信じていなかったのです!
 この二人の著書の「序文」で、彼らは不敬虔にもこう記しました。
 「このような『原文の崩れ(腐敗)』が生じたのがいつの時点であったかを正確に探ろうとしても、得られるものはほとんどない。
 それらの原因は、それを最初に書いた人物にあるのかもしれない。
 あるいは、口述を聞いて書き取ったとすれば、その書き取った人が原因かもしれない…」注14

………………………………………………
注1)Arthur Westcott(息子),"Life and Letters of Brook Foss Westcott",Vol.1,p.81
 ウェストコットとホートの信念についての詳しい文書としては、George H.Coy,"The Inside Story of the Anglo-American Revised New Testament",pp.79-88 を参照。
注2)A.F.Hort(息子),"Life and Letters of Fenton John Anthony Hort",Vol.1(第一巻),p.400
注3)同書、第二巻 p.50
注4)同書、第二巻 p.51
注5)同書、第一巻 p.78
注6)Arthur Westcott(息子),"Life and Letters of Brook Foss Westcott",第二巻 p.69
注7)A.F.Hort(息子),"Life and Letters of Fenton John Anthony Hort",第一巻 pp.76-77
注8)同書 第二巻 p.31
注9)同書 第二巻 p.155
注10)A. Westcott著書 第二巻 p.11
注11)A.F.Hort著書 第一巻 p.42
注12)同書 第一巻 pp.414,416
注13)A. Westcott著書 第一巻 p.52
注14)ウェストコットとホート著"Introduction to the New Testament in the Original Greek",p.280


《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.54~,133~[PDF]》 


ウェストコットホートの降霊術との関わり  ウェストコットとホート消えていった 改ざん聖書本文RVの誕生


さらに深い理解のために(英語)
フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書
→ "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.54~,133~[PDF]
バーゴン著『伝統的本文の要約』(ウェストコットとホートの本文について)
Summary of The Traditional Text
聖書本文/ウェストコットとホートについて(同)
Which Text - Which Foundation
ウェストコットとホートの本文について(D. A. Waite博士)
Westcott & Hort's Greek Text and Theory Refuted
Jerry Bouey 師(Eagle's Wings Ministries)による聖書の版/ウェストコットとホートについて
Bible Versions - Does It Matter?




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聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された現代版『新約聖書』
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