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ある時、ウェストコットが修道院の近くにいて、チャペルに入った時、あるピエタ像(マリアがイエス様の死体を抱えている等身大の像)を見つけました。(注1) 1847年にフランスから婚約者に送った手紙の中で、ウェストコットはその出来事に関し、こう記しました。
その時、彼は一人ではなかったので、その行為を慎まなければなりませんでした。 なぜなら、そうすれば、彼の信念が本当はローマ・カトリック的であることが明らかになってしまったはずだからです。 1865年十一月十七日、彼は大主教ベンソンに手紙を書き、こう述べています。
彼は、人間の堕落の話は、一つの寓話であって、進化の長い期間のことを述べているものだと言いました。 彼は創世記の第一章から第三章が文字通りの歴史であることを否定し、人間の堕落も否定しました。 ウェストコットは、すべての女性は「マリア」という名前を付けるべきだと感じ、その結果、彼の妻のサラは、彼の求めにより、彼女の名前に「マリア」という名前を付け加え、それ以後、彼は彼女をそのように呼びました。 ホート(1828年〜1892年) はこう言いました。
1865年十月十七日、ホートはこう書きました。
1980年三月四日、ウェストコットはカンタベリー大主教に宛てた手紙で、旧約聖書の批評学に関し、ホートの意見に同意して、こう書きました。
1848年七月六日、ジョン・エラートン師に宛てた手紙で、ホートはこう述べました。
また、1864年のウェストコット主教に宛てた手紙で、ホートは自分の確信を、こう述べました。
1861年十二月四日、ホートはウェストコットに、自分はギリシャ哲学のほうが好きであると書きました。 ウェストコットとホートは二人とも、イギリス国教会の主教J・H・ニューマンの影響を受けました。 このニューマンは、ローマ教会に復帰して、枢機卿とされた人です。ニューマンは天使論の教理を持っており、その中で彼は、「神と神の被造物との間に、多くの中間形態のものが存在した」というグノーシス派(異端)の見解を教えました。 ウェストコットとホートは、コールリッジおよびモーリスの影響も受けました。この二人のユニテリアン派(キリストを神と認めない一神教)の人物は、汎神論的で形而上学的な人々であり、「聖書の霊感」を低く評価していました。 コールリッジは、「理性こそが、神的なロゴス(ことば)であった」と言いました。 フレデリック・モーリスは、ユニテリアン派の聖職者の息子であり、オクスフォード大学およびケンブリッジ大学の優秀な学生でした。 彼は英国国教会の聖職者となった後、異端の教えのゆえに、ロンドンのキングスカレッジの校長の職を解雇されました。 モーリスは、彼の時代の多くの指導者たちに、指揮官的な影響力を持っており、ホートに対してもそうでした。 1871年十一月八日、ホートはモーリスについて、こう書きました。
ウェストコットも、モーリスの著作に負うところが多いことを認めていました。(注10) ホートの息子は父親について、こう書きました。 「父は在学中、コールリッジの魔法にかかりました」(注11) このように、この二人のイギリス国教会の「聖職者」(ウェストコットとホート)は、きわめてローマ・カトリック的な信念を表明していたのです。 二人とも、ダーウィンの進化論を受け入れていました。 1860年四月三日、ホートはジョン・エラートン師に宛てた手紙で、こう宣言しました。
ウェストコットとホートは、イエス・キリストの死が罪人のための身代わりのあがないをただ一度で達成したことを否定しました。 彼らが代わりに選んだのは、十字架刑を通してのあがないではなく、受肉(神性がキリストの肉体に宿ったこと)を通してのあがないを力説することでした。 この見解は、マリアの地位を高めようとする試みでした。 このような姿勢は、ローマ・カトリックのミサを支持するものです。 こうして、彼らの見解は、イエス様が流された血を通してのあがないではなく、イエス様がマリアの内に宿って生まれたことによるあがないだったのです! さらに、ウェストコットは、聖書の数々の奇跡の記述を疑いました。 1847年八月十一日、ウェストコット主教はこう記しました。
ウェストコットとホートは、聖書の最初の手書きの原稿が神の霊感によるものであったことすら信じていなかったのです! この二人の著書の「序文」で、彼らは不敬虔にもこう記しました。
……………………………………………… (注1)Arthur Westcott(息子),"Life and Letters of Brook Foss Westcott",Vol.1,p.81 ウェストコットとホートの信念についての詳しい文書としては、George H.Coy,"The Inside Story of the Anglo-American Revised New Testament",pp.79-88 を参照。 (注2)A.F.Hort(息子),"Life and Letters of Fenton John Anthony Hort",Vol.1(第一巻),p.400 (注3)同書、第二巻 p.50 (注4)同書、第二巻 p.51 (注5)同書、第一巻 p.78 (注6)Arthur Westcott(息子),"Life and Letters of Brook Foss Westcott",第二巻 p.69 (注7)A.F.Hort(息子),"Life and Letters of Fenton John Anthony Hort",第一巻 pp.76-77 (注8)同書 第二巻 p.31 (注9)同書 第二巻 p.155 (注10)A. Westcott著書 第二巻 p.11 (注11)A.F.Hort著書 第一巻 p.42 (注12)同書 第一巻 pp.414,416 (注13)A. Westcott著書 第一巻 p.52 (注14)ウェストコットとホート著"Introduction to the New Testament in the Original Greek",p.280 |
《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.54~,133~[PDF]》
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■さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.54~,133~[PDF] バーゴン著『伝統的本文の要約』(ウェストコットとホートの本文について) → Summary of The Traditional Text 聖書本文/ウェストコットとホートについて(同) → Which Text - Which Foundation ウェストコットとホートの本文について(D. A. Waite博士) → Westcott & Hort's Greek Text and Theory Refuted Jerry Bouey 師(Eagle's Wings Ministries)による聖書の版/ウェストコットとホートについて → Bible Versions - Does It Matter? |
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