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■『聖書"改訂"委員会』の謀略 ウェストコットとホートは、どういうことをしたのでしょうか? (1)【TR聖書本文への敵対】 彼らはTR聖書本文を敵対視していました。 1851年、F.J.A.ホートはこう書き記しました。
(2)【独自の本文の持ち込み】 ウェストコットとホートは聖書改訂委員会に加わる20年以上も前から、彼ら独自のギリシャ語新約聖書(WH本文)に取り組んでいました。 1870年から『聖書改訂委員会』が始まると、ウェストコットとホートは、その用意していた本文を秘密裏に委員会に持ち込みました。TR新約聖書本文とは全く異質の本文でした。 (3)【口封じ・非公開】 彼らは、1870年からの約11年間、秘密の誓約を委員たちにさせて口封じを行い、自分たちの作業を隠し続けました。ちょうど、ホートがかつて『使徒クラブ』で"呪い"の宣誓文を書いてメンバーに課したように、です。 このことは、同じイギリスでKJ版聖書が翻訳発行された時とは正反対です。 KJ版聖書の翻訳作業は公開されつつ進められました。(→ キング・ジェームズ版聖書の歴史参照) イエス・キリストはこう言われました。
ところが、ウェストコットとホートらは「隠れて、秘密裏に」事を進めました。 (4)【悪霊との交流の継続】 その聖書"改訂"の期間中でも、ウェストコット、ホート、ライトフットらは降霊術に関わり続けていました。 たとえば、1872年、ウェストコット、ホート、J.B.ライトフット(いずれも聖書改訂委員)は、オカルトの秘密結社として知られるようになった『エラヌス・クラブ』を設立しました。 また、前述のように、1877年にはホートは自らの部屋を会場として『降霊術の会』を開いていました。
ウェストコットとホートのこのギリシャ語本文WHが公開されたのは、英語聖書RVが初めて登場するわずか五日前のことでした。 そのため、バーゴン監督のような聖書を信じる学者たちによる検証が妨げられました。(Facts about Westcott and Hort) (6)【欺き・違反・偽り】 彼らは、教会(イギリス国教会)を欺きました。 教会(イギリス国教会)が彼らに課していたことは、TR聖書本文の『小さな変更』(たとえば、大文字、句読点、古代語の廃止など)を施すことだけでした。(『小さな変更だけのはずであった聖書改訂』参照) ところが、彼らはそれに違反し、TR本文を廃棄して全く別の英語聖書RVを作り出しました。 彼らは教会(イギリス国教会)に偽りを言い、だましたのです。 ちょうど、アナニアとサッピラがペテロの前で偽りを言って欺いたようにです(使徒5・1〜10参照)。 (7)【正体の隠匿】 ウェストコットとホートらは自分たちの正体を隠していました。 (この二人のことだけでなく、『聖書改訂委員』の中にライトフット、トレンチ、アルフォードなど降霊術者や秘密結社の設立者やメンバーが幾人もいることについても、です)
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●歴史U WH本文に由来する"聖書"
1 降霊術者らが作った改ざん"聖書" 1 2 3 4 5 6 7 8 2 リベラル派とユニテリアン向けの改ざん"聖書" 3 1ヨハネ5・7 保持する聖書・消された"改ざん聖書" 4 "一つの世界宗教"のための"一つの世界聖書" |
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聖書の歴史W 信仰破壊システム 【1】全くちがう二種類の聖書 |
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