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● サミュエル・ロビンス・ブラウン(Samuel Robbins Brown 1810 ~ 1880年)は、 中国および日本への宣教師です。 彼はこう宣言しました。 「もし私に百回生きる人生があるとしたら、そのすべてを日本に献げるであろう」 彼が日本に残した偉大な遺産の一つが、ヘボンとともに主導して完成された、「明治元訳 聖書」です。 《S.R.ブラウンの生涯》 ■1810年、アメリカ・コネチカット州にて生まれる。 ■1839年〜1847年、中国にて宣教師として奉仕する。 ■1839年、マカオに到着。 ■1841年、シンガポールにてヘボン夫妻と出会う。 ■1847年、妻の病気のためアメリカに帰国。 ■1859年(安政6年)十一月に来日。神奈川県の成仏寺に三年間滞在(ヘボン、ゴープルとともに)。(1871年、ゴーブルは『摩手(マタイ)福音書』(カタカナ書き)を発行) ■1861年より、ブラウンはヘボンとともに新約聖書の翻訳を進める。 ■1869年(明治2年)、再来日し、新潟英語学校に就任。 ■1872年(明治5年)、「新約聖書馬可傳(マルコ伝)」・「新約聖書約翰傳(ヨハネ伝)」 (訳者: ヘボン、ブラウン 木版刷りでの出版)を発行。 ■1873年、「新約聖書馬太傳(マタイ伝)」(同)を発行。 ブラウン塾を開設。植村正久,本多庸一らキリスト教指導者を輩出。 ■1877年、「東京一致神学校」をヘボンらとともに設立。後に『明治学院』となる。 【参考】 → ★「明治学院」と「東京一致神学校」
■1879年、アメリカに帰国。■1880年、「明治元訳 新約全書」(TR準拠 )発行(ヘボンが旧約聖書の委員長、ブラウンが新約聖書の委員長、ほかに、グリーン、奥野昌綱、高橋五郎、松山高吉らも加わる)。 ■1880年七月二十日、アメリカ・マサチューセッツ州でブラウン死去。 ■1887年、『明治元訳 旧新約全書』が発行される。 |
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●歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現" 2 白いシナイ写本・ 3 だれがシナイ写本を 4 色付けされたシナイ写本 5 シナイ写本の意図的な削除 6 偽造写本『2427』の正体 7 ティッシェンドルフが持ち去った 『シモニデス写本』 8 ティッシェンドルフに抜き取られた シモニデス氏の写本 9 シナイ写本・バチカン写本_ |
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